第44話 夢心地のグラス<終幕>

 昴は、地下駐車場に止めた車に乗り込むとある人物に連絡する。




 「急にごめん。今日、店?わかった。ラストに行くから、空けといて。」




 手短に話すと昴は、電話を切る。ふぅ、と一息つき、車を発進させる。店に行くのには早すぎる時間であったので、自宅へと1度帰ることにする。


 置いてきた天音と凛太朗のことが少し気にかかったが、今の2人なら揉めたりすることはないだろう、きっと、大丈夫だと思うようにした。




 「これから上手く行けよ、ほんと。長かった。でも、ここからは棘の道だ。」




 ぽつりと昴は、呟く。もちろん、その言葉に誰も返事をすることはない。すっかり陽が沈んだ道路は、混み合いなかなか前に進むことができない。道を行き交うそれぞれ誰もが何かを抱えて過ごしているんだろうなと、柄にもなく感傷的に思う。


 昴の家があるR区までは、まだ時間がかかりそうだった。








 家に帰ってからシャワーを浴びて、出て行く準備をする。ダラダラと準備をするとあっという間に時間は過ぎる。昴が指定したラストの時間が迫っていた。今日、店に行けば否応なく酒を飲むことになるであろうと思いつつも、タクシーを手配する気にもなれず、車の鍵を片手に家を出る。


 夕刻とは違い、車は渋滞にはまることはなかった。見知った道を手慣れた運転で通り過ぎてゆく。店の近くのコインパーキングに車を停車し、店に向かう。夜の街の往来は、先ほどの道とは違い混み合っていた。皆、居場所を求め、彷徨っているのであろう。昴もまたその迷える1人なのだから。






 店の名前は、“#Moonlight__ムーンライト__#”。


 この看板も何度見たことだろうか。仕事でもプライベートでも、昴はこの店に顔を出すのが常になっていた。


 店に入ると、入り口付近に控えていた顔見知りのボーイは、すぐにVIPルームに案内した。きっとラストに来ることを伝えられていたのだろう。席に案内されるのと同時に約束をしていた相手、ウイが現れた。




 「こんばんわ。昴。飲み物は、いつものウイスキー。それとも祝杯のシャンパンかしら?」




 ウイの声は、弾んでいるように聞こえた。




 「わかってんだろ。」




 ぶっきらぼうに答えると、ウイは、にやりと笑い、ボーイにウイスキーを、と言う。




 「祝杯、なんてないわよね。どっちに転んでも。」




 「ウイが望んでいた方にならなかったぞ。」




 「私は、別にどっちでもいいわ。必ず奪還する。」




 冗談とも取れる言い方をするウイに半ば昴は呆れる。




 「無理だと思うぞ、いろいろ。」




 目の前に置かれたウイスキーを一口飲みながら、昴は答える。




 「そうかしら。愛にも形はたくさんあるものよ。私は、約束したの。」




 ウイは、何かを思い出すかのように静かに呟く。




 「まぁ、好きにすれば。俺は、ウイのすることには文句は言わねぇよ。無茶苦茶なことはしないって、信頼してるしな。2人は、丸く収まったし、そのうち一緒に住み始めるんじゃねぇの。凛太朗、天音を家まで送った後に治安や天音の住む物件のセキュリティについて調べて、文句言ってたし。その割には、ちょっと突き放そうとして。拗らせすぎなんだよ。」




 昴の言葉で、感傷的な表情で、俯き気味だったウイの顔が緩むのがわかる。




 「へぇ、そんなことしてたんだ。妬けるわね。昴は、それでよかったの?」




 言葉数は少ないが、一言に様々な思いが込められていた。




 「……認めたらダメなんだろうけど、すげぇ嬉しい。だって、もう2度と会えねぇと思ってたのに、これからも天音と関わることができるんだぜ。でも、危険なことには変わりない。だから、俺も凛太朗も体張ってでも守るつもりだ。あいつがどこまでわかってるのかは知らねぇけど。」




 「それが正直な気持ちよね。後悔が少しは報われたはずよ。関わっている者は。これからのことは、これから考えていきましょ。」




 「ああ、そうだな。」




 「ところで。私、今日飲んでないのよ。これ、ジンジャエールだから。昴、車で来たんでしょ?私、運転するからラーメン行きましょ。ここから離れてるけど、深夜だけの営業の美味しいところあるらしいの。そして、家で飲むわ。いいわよね。」




 「……ああ。」




 昴は、散々真剣な話をした後にあっけからんとラーメンに誘うウイに呆れながらも、救われた気がした。勢いに飲まれる、そう言った方が正しいだろう。これからどう時が経って行くのか、未知数だった。しかし、それぞれの人生に色が戻ったことは確かだと、グラスに残っていたウイスキーを一気に飲み干し、昴はしみじみ思うのだった。 

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