◉背信棄義な行為が招く信用問題。

 秋雨がルーチェにハンドケア体験を行なっていた頃、領主邸では1つの事件が発覚し燃え上がり始めていた。



「セバス執事長、少しお時間を頂いてもよろしいでしょうか?急ぎお伝えしなければならない事があります」


 廊下を歩いていたセバスに、背後から少し青褪めた顔に真剣な眼差しで話し掛けたのは、ガルトラム辺境伯・領主邸の警備責任者であり、先代辺境伯の頃からの忠臣として尽くしてきた男である。

 現在は現場を離れ、全体の警備管理を任されていたこの男は、王都へ向かう先代辺境伯の護衛を指名され、無事に任務を全うして先程辺境伯邸に帰還したばかりであった。

 セバスは帰ってきたばかりの男の申し出に、王都滞在中に先代に問題が起きたものだと思い、近くの休憩室へと連れ立って話を聞く事にした。


「セバス執事長、お時間頂き有難う御座います」

「良いのです。緊急の報告とは何事でしょう?王都で何かありましたか?」

「いえ、今回の王都出張滞りなく日程を消化致しました」


 男の言い方に違和感を覚えたセバスは、報告の真意を確認していく。


「そうですか。それはご苦労様でした。....それでは、緊急の報告は別件だと?」

「はい。.........こちらをご覧ください」


 そう言って男は懐から紙に包まれた小さな物を取り出して見せてきた。


「!!」


 見覚えのある紙に包まれていたのは、ガルトラム辺境伯家の紋章の刻まれた御用達の証であるブローチ。包み紙となっていたのはセバス自身がブローチと共に渡した、リズお嬢様を保護し、至高の菓子とも言うべき〈和菓子〉を取り扱っていた〈気まぐれ猫〉の店主、アキサメ・モリヤの為に描いた地図だった。


「どこでこれを!!教えなさい!!」

「ッ!!?」


 秋雨が何かしらの事件に巻き込まれたと思い声を荒げたセバスと、温厚な執事長の豹変に驚く男。

 セバスの迫力に物怖じしながら、男は苦虫を噛み潰したような表情で語り出した。


「先程、護衛任務より帰還し不在時の警備報告を受けておりましたところ、本日の早朝にアキサメ・モリヤと名乗る男が領主邸を訪ねて来たとの事です」

「良かった....アキサメ殿はご無事でしたか」


 あからさまにホッとするセバスを見ながら、男は続きを話す事に過度のストレスを感じて更に青褪めてしまう。


「どうしました?アキサメ殿が来ているのでしょう、おそらく、奥様との約束の商品が用意出来たのでし.....早朝?何故直ぐに奥様に通さないのです。あまり待たせ過ぎてはアキサメ殿に失礼でしょう」

「ア、アキサメ・モリヤと名乗った男はこちらにはおりません...」

「何を言っているのです。口約束をきちんと守り態々訪ねて頂いたのですよ?こちらが誠意を見せずにどうするのですか。ガルトラム辺境伯の家名に泥を塗る事は出来ませんよ」


 いよいよ男の顔は青白くなり、食いしばった歯はギジリと音を立てた。1秒1秒が永遠にも感じ、意を決しては、躊躇う。

 「どうしたのです?」と、セバスに問いかけられた瞬間、男は堰を切ったように話し出した。


「誠に申し訳ありませんでした!」

「何に対して謝罪しているのです。しっかりと話しなさい」


 セバスは噛み合わない男の応答と、たった今言われた謝罪の言葉で胸中に1つの不安要素が急浮上してきた。

 渡されたブローチ。いや、御用達の証として半ば強引に渡した筈の物が、返されたという事の意味。


『当店は〈気まぐれ猫〉。移り気な猫があちこちに興味を示す様に』


 あれは例え相手が貴族であろうが関係ない。御用達など興味も無いという意思表示では?


『ありがとうございます』


 そう言ってブローチを受け取ったアキサメ殿の顔は、それまで御用達となった商人達の様に喜色満面だっただろうか?


 次々と襲い掛かる不安がセバスを焦らせてしまう。


「ほ、本日早朝、アキサメ・モリヤと名乗る男が奥様を訪ねて領主邸に来ましたが、門番警備の者と話をした後、このブローチを渡し、で、伝言を残して立ち去りました」

「アキサメ殿は何と言っていたのです!教えなさい、早く!」

「は、はい。『口約束とはいえ、約束は約束。商人は信用を第一と致します故、この度の御対応を以てアキサメ・モリヤとのご縁は無かったものとさせて頂きたく』....一言一句漏らさず伝えて欲しいと」

「この馬鹿者が!!」


 正に激昂。相手を震え上がらせる程の覇気を撒き散らしながら声を荒げるセバス。

 男は更に萎縮してしまうが、セバスは微塵も気にすること無くする。


「直ちにその警備担当者を捕まえて地下牢で尋問し真実を報告しなさい!先程の様な薄っぺらい内容では許しません。アキサメ殿をそこまで怒らせるには相応の事をした筈です。

 事態が落ち着くまでその男は地下牢に放り込んでおきなさい!

 私は今から奥様に報告に行きます。あなたは全警備担当に再教育を徹底的に実施しなさい。

 今回の件はあなたが思っているよりもかなり深刻なものですよ?分かっていますか?


 元筆頭公爵家御令嬢であり、現辺境伯夫人の信用問題に繋がるのですよ?


 しかも、相手は他国の人間であり、奥様の様な大貴族の御令嬢だった方でも感嘆する程の商品を扱う傑出した商人。多士済々な故郷との繋がりも強く、この先国中に名が知れ渡るでしょう。

 リズお嬢様によって紡がれたアキサメ殿との僥倖と言っても良き出会いを潰してくれるとは!」


 セバスは一気にまくし立てると、目の前で頭を下げ続ける男に「直ぐに行動しなさい」と言い、退席させる。

 深呼吸をし、冷静さを徐々に取り戻し始めると、この件を報告する為に自身の仕えるガルトラム辺境伯夫人の居る部屋へと急ぐのであった。



 

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