PONTA歴2145年

作家:岩永桂

第01話 降りしきる雨の中で。

PONTA歴2145年


大部屋を個室のように扱い、空間だけが無駄に余った。松嶋菜々子さん主演のドラマが朝方に再放送される中で、看護師たちが主治医の靴の話で盛り上がっている。


「〇〇先生の靴見た? ピカピカの純白やったね」

「しぃー! って、誰かも話題に出して、めっちゃ睨まれとったよ?」


個室の隅の方に窓があり、自分はもう向こうの世界には二度と行けないのだと漠然と思った。それが現実と虚構との距離感か。


大部屋個室に移る前は一般病棟に居た。

揶揄するように、生前の祖母が

「なんかいね。ここは年寄りばっかじゃないかね」

と、ひとりごちた。確かに両隣も真向いもお年寄りの気配がした。


僕は夜明けと共にベッドの上で発狂した。

「うおお、オレは何をやってるんだあ!」

絶対安静の中で強引に立とうとする。注射器を持った看護師が慌てて現れて、腿に注射する。

こんな有り様だが、気分は至って冷静だった。冷静だったが、この頃から統合失調症の気は出ていたのかも知れない。行動前後で何が変わるか判らないが、動きたくてしょうがない。気持ちは前のめりだった。そして、大きな個室に案内された。


統合失調症の関係で搬送されたのではない。この時僕は、手首と腰部に傷を負っていた。自分で傷つけた傷跡だった。手首は手術を施されたが、幻覚が見える位、激しい痛みに襲われた。石臼のようなローラーでぺしゃんこにされて、合挽き肉になるような幻覚だ。指先から手首付近まで、ローラーが潰しにかかる幻覚。


声にならない声で、それを訴えても、看護師と祖母は

「春の陽気ですかねえ」「全くですねえ」

と、取り合ってくれなかった。早くも二回登場の祖母。こんな事件めいたことを起こして、印象が良い筈が無いが、もっと祖母孝行すれば良かったと、今更ながらに悔やまれる。

手首を何度も切りつけたこと、高所から屋根伝いに飛び降りたこと、今となってはその原動力が理解出来ない。


降りしきる雨の中、絶望を思った。……僕は、光を失う。

だいぶ、元気になってから書いた自伝の冒頭部分。

「あの日、雨は降って無かったように思うけど?」

ちょっとした横槍が家族から入る。僕は19年後の今でさえ、視覚的な障害を抱えている訳では無い。視力が各段に落ちたことはパニック障害の引鉄に成り得たが、研究が進み、コラーゲン不足が一時的な視界不良を起こすことが判って来ている。それを当時の自分に言ってあげたら、手首も腰部も無事だったかも知れないが、19年越しの研究成果だ。それが過去を変えられる訳があるまい。


でも、気づけて良かった。やり直しは利かなかったが、再び視界不良に悩んだ時は、コラーゲンのサプリメントを摂取すればいいし、大部屋個室で見た向こう側の世界で、僕は毎日寝起きしている。

※サプリメントの効果は多種多様で在り、コラーゲンが眼精疲労などに効く効果は、斜め読みする位では拾えなかった。重要な情報なら、追って報告したい。


退院後、初めて書いた作文は「雨模様=降りしきる雨の中」と書いた記憶が確かにあるが、晴れていたことも、しっかりと覚えている。心象風景と言うか、自分の表現に酔ってしまっただけだ。

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