草刈り
松本育枝
草刈り
もうすぐ夏休みが終わる。いやだいやだいやだいやだいやだ。
夢を見た。教室に入ると僕を見てみんなが笑っている。僕は自分が素っ裸なのに気がつく。服を着るのを忘れるなんて!僕は教室から飛び出す。足元の床が抜ける。僕はうわあっと叫んで目を覚ます。ツクツクボーシが鳴いている。
台所に行くと母が弁当を作っている。僕の朝飯と昼飯だ。母は朝六時には仕事のために家を出る。帰ってくるのは十二時間後だ。
「あら、今日は早いじゃない」
「うん」
「ねえ、早起きしたなら外のドクダミなんとかしてくれない?頼むわ」
窓の外に目をやると梅雨の時期に一度刈ったはずのドクダミが再び勢力を盛り返し、小さな庭の一角を占拠している。
「隣の庭まで広がってるから気になって」
母のいい所はクドクドと念押ししないところだ。それだけ言うと、さっさと身支度して出かけてしまった。でもクドクド言われないと、それをしなかった時に罪悪感を感じるのはこちらなのだ。
僕は軍手をはめ草刈り鎌を持って外に出た。太陽は左隣の家に遮られてまだ庭には届かない。ぼくは端の方からドクダミを刈り始めた。独特の匂いが鼻をつく。しばらく刈っていると右隣の家のドアが開いた。おじいさんだ。
「おお、早いね。おはよう」
「おはようございます」
おじいさんとは時々言葉を交わす。おじいさんも母とよく似たタイプだ。要するにサバサバしている。
「ドクダミが伸びたなぁ」
「すみません」
「なんであやまるんだ。こいつらが勝手に伸びてるんだ」
「はぁ」
おじいさんは、ひとつかみのドクダミを根元からバサッと刈った。
「この匂い、好きか?」
「みんなは臭いって言いますよね」
「わしは臭いとは思わんな。好きか嫌いかというと、好きな方に近いくらいだな」
「そうですか」
「みんなは、臭いと言われると嗅いでみる前から臭いと思うのさ」
「そうなのかな」
「先入観てやつだ。こいつらは自分が臭いと言われてもへいちゃらだがな」
僕は胸が苦しくなった。下を向いているせいかもしれない。
「こうして刈られたって平気なんだ。そしてまたどんどん伸びる」
「なんで伸びるんだろう」
「伸びるようにできてるからな」
「じゃまなのに…」
「じゃまだとは思わんな」
「え」
「草が伸びてこない夏なんて考えられん。あたりまえのことだからな。わしの庭にドクダミが生える。わしはそれを刈る。ドクダミはまた伸びる。わしはそれを刈る」
「めんどうじゃないですか?」
「めんどうだけどな」
じゃ、どうして…。僕にはよくわからなかった。
「めんどうなのも楽しんでるのさ」
「楽しむ?」
「そもそも生きるのもめんどうだからなぁ。そうじゃないか?」
僕は息が詰まった。
「でも生きるしかないだろ。だから楽しむんだ。こいつらはとりわけ楽しませてくれる」
おじいさんはまたドクダミをつかんだ。根元に鎌を入れる。ザクリ。プンと匂う。
「強いだろ、ドクダミは。強いんだ。伸びるのも早いし、匂いも強い。わしは遠慮する必要がない。こいつらはどれだけ刈られても平気だ。死んだふりしてどうせ来年もまた伸びる。楽しい奴らだ。わしはこいつらが好きだよ」
ザクリ、ザクリ。おじいさんはしばらく黙って鎌を振るう。僕も黙って鎌を振るう。一面にドクダミの匂いが放たれる。太陽の光が左隣の家の屋根から射しこんできた。
「きれいだな…」
僕は思わずつぶやく。ドクダミの葉についた朝露が小さなビーズみたいに煌めく。
「うむ」
おじいさんがうなずく。太陽がすっかり姿を現す頃、僕たちはようやくほとんどのドクダミを刈り終わった。
おじいさんと僕はどちらからともなく立ち上がって背筋をうーんと伸ばした。
「もうすぐ夏休みは終わりか?」
汗を拭きながらおじいさんが僕にたずねる。
「はい」
「楽しめ」
それは残りの夏休みを楽しめという意味か、学校を楽しめということか、あるいは人生を楽しめということか、僕にはわからなかった。
おじいさんは手を振ると家の中にサッサと戻って行った。僕はクラスメートたちの事を思った。新学期にはまたちょっかいを出されるだろう。ぼくは自分をドクダミだと思ってみた。刈られても気にしない。臭いと言われても気にしない。伸びて伸びてみんなをうんざりさせるドクダミ。
「おまえら臭えなぁ」
僕はそう言ってみた。
殺戮を免れてぽつぽつと残ったドクダミは知らん顔で風に揺れている。
草刈り 松本育枝 @ikue108
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