17
***
たま子が
そんなたま子と
化想は、化想同士で気配を辿る事が出来る。
志乃歩がシラコバトを飛ばすのも、化想が生まれる気配を感知させる為だ。シラコバトの飛べる範囲は決まっているが、その範囲内なら、化想の気配をシラコバトが逃す事はなかった。
この時も、シラコバトが化想の出る気配を感知し、志乃歩達はすぐに現場に向かったのだが、それと同時に
現場に着けば、壱登から報告を受けた通り、化想は既に現れて人の目にも触れており、その為、警察に何件も通報が入っていたという。
何故、こんなにも化想が現れるスピードが速いのか。
一般の人が出す無意識下の化想は、シラコバトが化想が出る気配を感知してから、実際に化想が現れるまで時間がかかる。それは、どんなに心や頭の中の思いが膨れ上がっても、それを化想として現すのには、感情とは別の力が必要になるからだ。
どんな事でも準備がいる。本人が無意識の状態となって、その間の記憶を失うのも、化想に全ての神経や力が注がれるからかもしれない。
ただ、化想操術師の場合は力の使い方を知ってる。現代では、プロとして幼い頃から訓練を受けてきた術師がほとんどなので、化想を生み出す速さは当然、一般人とは異なる。
中には天性のものか、天然でやってのける人間もいるが、それは稀で早々ない事だ。
なので、今回の化想が現れる速さを見れば、これは術師か、もしくは術師から訓練を受けている者の仕業だろう。
だが、術師であるなら、何を目的としているのだろうか。
戸惑いながら現場に向かう道中で、志乃歩達にもその化想の姿が確認出来た。何の化想かは分からないが、遠目から見ると巨大な風船のようにも見える。ただ、その場所が立ち入り禁止となってる廃工場の屋上なので、目にした人々は不思議に思っただろう。それも、ただそこに止まっているだけならまだいいが、その巨大な何かは暴れているような動きを見せているという。遠目からでは、風船が浮き沈みしているように見えなくもないが、近くにいる人々からは、ドタドタとした大きな物音が絶えず聞こえ、いつ屋上から転げ落ちてくるか分からない、そんな暴れっぷりを見せているようで。警察に通報が入ったのは、その為のようだ。
志乃歩達が現場に着くと、すでに周囲は警察によって包囲され、人払いがなされていた。騒ぎになったので、
既に化想は出ているが、他に被害が出るといけないので、念の為、
目隠しには、化想の姿が映し出されていたが、先程までの動き方と違い、徐々に静かに揺れる動きに変わってきている。黒兎が周囲の人々の不安を煽らないように、擬似の姿を見せているからだ。なので、実際の化想は、まだ暴れている。
工場の屋上に出ると、皆は更に困惑した。
近くで見ても、化想が何を表しているのか分からなかったからだ。前衛的なアート作品に見えなくもないが、それよりも、幼い子供が描いた落書きといった方がしっくりくる。しかも、その落書きがそのまま具現化しており、何より大きい。
一応、頭と胴体だろうか、丸のような三角のような非常に微妙な形が二つ、それらが上下に分かれて区切られている。志乃歩達が来ても、化想はこちらに見向きもせず、体を床に打ち付けているような動きをしていた。床からはその振動が伝わってくる、コンクリートに微かにヒビが入っているが、それが元からかなのか化想によるものかは分からない。
「…絵そのままっていう化想もあるけどさ、それってリアルな絵の場合じゃん。僕、こんな子供の絵がそのまま化想になってるの初めて見たよ」
この化想を生み出した者は、この落書きを完成形として頭に思い浮かべながら描いた事になる。志乃歩は感心するように化想を見上げて呟いた。
「いや、子供の頃に戻りたいって気持ちの表れが、この落書きになったのかも。それとか、この落書きに恨みがあるとか」
「え、恨み…?」
そんな風に、のんびり首を傾げている二人を見て、壱登は焦ったように志乃歩へと詰め寄った。
「そんな悠長な事言ってないで、早く対処して下さいよ!あんまり遅いと、今度から無条件に阿木之亥の家に連絡する事になるんですから!」
その壱登の必死な様子に、志乃歩は「本当に苦手なんだね」と、何だか申し訳なさそうに呟くので、壱登は取り乱した事を恥じてか、小さくなりながら、口をもごもごとさせている。
「だって皆さん、乱暴で…。そりゃ、化想操術の第一人者で歴史ある家かもしれませんけど、見てたら志乃歩さん達の方が化想を生み出した人への対応が優しいっていうか…」
「ありがたいね。化想対策課が出来てから僕達にも仕事が回ってくるようになったのは、壱登のおかげだよ」
そう志乃歩にしみじみと声を掛けられれば、壱登は照れくさそうにしながらも、嬉しそうに胸を張った。
「うちに俺や
「それじゃあ、ちゃんとしないとな」
「人がいる」
志乃歩と壱登が話してる中、
化想に隠れていたので見えなかったが、化想の足元には人が一人倒れていた、それがたま子だった。化想に気をつけながら志乃歩と姫子が駆け寄ると、たま子の側にはノートが落ちており、そこには化想と全く同じ絵が描かれていた。
「本当にそのままの絵だな」
「一先ず動きを止めるか?」
「そうだね、空間を作る化想と違うから…。攻撃的な感じもしないけど」
「何を訴えてるんだろうな」と言いながら、姫子はフリルのスカートに刺繍されたマークをなぞる。マークはピストルのようだが、そこから現れた化想は機関銃だ。銃自体は人工物なので、姫子の意識を切り離しているが、銃を撃ちたい時にその意識を繋げれば、弾の装填をしなくとも、姫子のイメージ通りの弾で撃つ事が可能だ。
志乃歩はそれを見て、黙って銃口を下げさせた。
「何だよ、動きを止めるんだろ?」
「やっぱりここは野雪に任せよう、そんなの撃ってどうするつもり?」
志乃歩の困った笑みを見て、姫子は得意気な顔で機関銃を肩に担ぐと、咥えていた棒つきのキャンディで化想を指差した。
「こいつをぶっ放して、あいつをビビらしてやんだよ」
「やめなさい!術者の精神に影響をもたらしたら、えらい事だ!」
「何でだよ!」
「何でって思う方が何でだよ!」
言い合う大人を横目に、野雪は黙ったままショルダーバッグからノートを取り出し、線を引く。ノートからは、化想に見合うサイズの、大きな人参が現れた。
「え、」
「人参?」
きょとんとする志乃歩と姫子に、野雪は不思議そうに首を傾げた。
「ウサギには人参だ」
「え、あれウサギなの?」
当然と言わんばかりの野雪に、志乃歩と姫子は目を瞬いて化想を見上げ、困惑した。野雪に言われても、暴れる化想がウサギだとは思えなかった事、それに、化想が人参で動きを止めるとは思えなかったからだ。だが、志乃歩達の思いに反して、化想は現れた人参をしっかりと抱きしめると、恐らく座り込んだ。途端に大人しくなった化想に、皆は更に困惑した。
「分っかんねぇな、化想ってのは」
「人の心も同じだ」
首を傾げる姫子に、野雪はやはり淡々と言いながら化想に歩み寄る。それから、その体に触れた。
「どうしたんだ?」
野雪の問いかける声は、温もりを感じない無感情なものに聞こえるが、化想には、化想を生み出した人の心には、その声が温度感を持って届いたようだ。ウサギならばあれは耳だろうか、化想は、でたらめな三角形をしたものを動かし、頭を傾げた仕草をする。それから人参を抱いていた腕のようなものを、今度は野雪へと伸ばし、野雪の体を片腕で包んでしまった。
「野雪!」
志乃歩が思わず声を上げたが、野雪は変わらず平然とした表情のままだ。
「大丈夫、この化想からは何も感じない」
「え?」
「今、切ったみたいだ」
ハリボテみたいだと、野雪は自分を掴むその大きな手のようなものに触れた。
「心は繋がってない」
意識がその化想に乗っていないと言いたいのだろうか、それなら、ただの物と同じだ。
それに対し、志乃歩達は首を傾げた。野雪は今、化想から術者の意識が消えたと言っていた。野雪を捕らえてから意識を切り離す事にどんな意図があるのか、志乃歩には考えつかなかったからだ。
「術師の仕業か?まぁ、意識を通わせていないなら対話も出来ないし、術師の化想ならこのまま壊しても問題ないけど…」
恐らくこれは、術師の化想だ。化想の出るスピードや、意識の切り離し、もしこれが一般の人の無意識下の化想なら、常に意識の流れを感じる筈で、野雪がそれを取りこぼす事はないし。
「壊すか?」
野雪に問われ、志乃歩と姫子は化想を見上げた。
野雪は化想に関する能力が高く、それに、術者に危険が及ぶようなら、化想を壊す提案をしない。志乃歩達は野雪の能力に信頼を寄せているので、その辺りの心配はないが、化想はまだ大事そうに人参を抱いている。その姿を見ると、いくら奇妙な化想でも、何となく壊すのは気が引けてしまう。
「…封じとこう、一応。それに、正体も知れないしね」
志乃歩の言葉に野雪は頷き、化想の手から逃れた。もう、術者とは切り離された化想なので、野雪は難なく化想から離れる事が出来た。
そもそも、この化想に捕らえた時、野雪は危機感を感じていなかった。
野雪には、化想に組み込まれた思いを読み取り、行動する事が出来る。この奇妙な化想の与えられた役割を探ってみても、空洞の中を覗いているようで、目的が見えなかった。そんな化想に対して人参を与えたのも、ウサギ、イコール人参という、野雪の安直な考えからだったが、それでも化想はそれを待ち望んでいたかのようなに、大人しくなった。
「……」
野雪は化想から離れると、少し考え込むように化想を見上げた。自分を捕まえた時にすら、この化想からは何の思いも伝わってこない、そこで化想から意識が切れたのも、ウサギが人参で大人しくなったように、そういう指示が組み込まれていたのだろうか。それは、何の為に。
ポンと、野雪の肩に手が乗る。優しくて大きな手は、確認しなくても志乃歩のものだと分かった。
野雪は考えるのを止めてそれに頷くと、ショルダーバッグから本を取り出し、本に化想を吸い込ませていく。本の開いたページには人参を抱いたウサギの絵が描かれ、野雪はその上から線を引いた。
「目的が分からないな」
野雪の疑問は志乃歩も同じだったようで、志乃歩は野雪の頭を一撫ですると、考え込むように頭を掻いた。
「なぁ、この子が術者って事?」
頭を悩ます志乃歩の脇をすり抜け、姫子が横たわるたま子の傍らにしゃがんで尋ねれば、不意にたま子が目を覚ました。ゆっくりと上半身を起こしたたま子に、志乃歩も側に寄ってしゃがみ込んだ。
「お、目が覚めたみたいだね。君、名前は?」
優しく尋ねる志乃歩をきょとんと見つめ、たま子は辺りを見回し、瞳を泳がせた。
「…私、誰…?」
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