16
「とまぁ、今回の騒動の発端は、こんな感じかな。化想を出した後だから、数日はしっかり様子を見とくけど、あの二人の様子を見た限りじゃ、大丈夫そうだね」
家の中は吹き抜けになっており、その壁一面、天井まで本棚になっていて、本がぎっしりと埋まっている。壁以外にも棚は幾つもあり、それらも本でぎっしりと埋まっていて、階段下の空いた空間まで本棚になっていた。
その本の多さに圧倒されながら中へ進んで行くと、一番奥の壁の前で志乃歩は足を止めた。それから目の前の本棚をずらすと、その奥に扉が見えた。重厚な鉄の扉だ。それを開けると、そこには地下へ続く階段があり、下りて行くとまたしても、本、本、本…。外観からは想像もつかない広い地下室は、ここにも本棚がずらりと並んでいた。
「…まだ、こんなに…どうしてこんなに本があるんですか?」
ぽかんとしたたま子に、志乃歩は笑った。
「ここは、僕の先生から譲り受けた家なんだ。先生も
そう言う志乃歩は、どこか寂しそうに頬を緩めていた。
「…地下の本は、全てがそうって訳じゃないけど、化想を封じた本は全部ここに収めてるんだ。一人につき、一冊。だから自然と量も溜まるんだよ」
へぇ、と頷きながら、たま子はふと首を傾げた。
「あの、化想を封じるって事は、この本も化想で出来てるんですか?」
「そうだね、本自体は何の変哲もない普通の物だけど、その上に化想が施されてるんだ」
そう言って、志乃歩はポケットから小さなダイスを取り出した。面が幾つもあるそれには、様々な記号が描かれている。
「これは?」
「僕の化想を出す道具の一つだよ。この記号一つ一つに、化想を記憶させてる」
「そんな事が出来るんですか?」
志乃歩は、ひとつ頷いて話を続けた。
「化想を出すにも方法が色々あるし、その種類も様々だ。僕のシラコバトは、毎回、絵を描いて出してる訳じゃなくて、紙に鳩をイメージした絵を描いて、それに鳩のイメージをインプットさせてる。術師の技術だね。だから、それさえあれば、指でなぞるだけで鳩を呼び出す事が出来るんだ。ちゃんと鳩の能力を維持したままね。でもそれは、いくら真似しても、描いた術者本人じゃないと全く同じ化想を出す事は出来ない、描いたものに化想をインプットさせるには、意識を繋げないといけないから。念みたいなものを送って、その絵に蓋をする感じかな。それが、指紋認証みたいな、本人確認と同じで鍵となるんだ。だから、他の術師がそれに触れて僕の鳩を呼び出そうとしても、それは形ばかりで僕の鳩とは言えない。
この本にも、そういった記憶を維持させる力が使われている。吸い込んだ化想を記憶させられるようにね、なかなか作るのに苦労するんだよ」
志乃歩は、「ね」と
「それに、化想を取り込む事も簡単じゃない。他者の化想は、まず本来の絵に戻す訳じゃないし、化想を生んだ人の心や思考から切り離す事になる」
「心って、切り離しても大丈夫なんですか…?」
「何て言うのかな…その人に取り巻く薄い膜を剥がすイメージかな?勿論、化想を出したその人に何かあってはいけないから、他者の世界を理解して、化想を壊さず本に封じるのは並みの術師じゃ難しい事だよ。阿木之亥が化想を守らず壊すのは、そもそもそれが出来る術師が少ないからだろうね」
「封じるには、
「…血、ですか?」
話に割って入った野雪に、志乃歩は「ダメダメ!」と、たま子の視線を野雪から自分へと向かせた。
「確かに、血は化想と術者を繋ぐものだから、より強い力を持って封じる事が出来る。イメージを具現化するにも、ペンより血の方が心や思考と直結してるから、より詳細に化想を作る事が出来るしね。でもそれは、身を削る事になるから普通の化想を生み出すより、術者への負担が大きくなるんだ。イメージに囚われる確率は高くなるし、そうなれば化想の世界を彷徨い続ける事になる」
「そ、そんな事しようとしてたんですか?」
思わず野雪を振り返るたま子だが、野雪はやはり平然としている。
「俺は人より感情が乏しいから、化想に左右されない」
「え?」
「…まぁ、だから出来る事もあるんだけどさ。それでもダメだよ、野雪だって人間なんだから。もう人形じゃないんだ」
「へまはしない」
「そういう事じゃないんだって!」
憤慨する志乃歩に目もくれず、野雪はガラス戸がついた本棚の空いたスペースに、
それから野雪は戸に手をあて、暫し目を閉じる。その姿は、まるで祈りを捧げているようにも見えた。
たま子はその姿を見て、大晴の化想の中で見た様々な野雪の姿を思い出していた。
無表情の瞳に、無感情の言葉に、何度助けられただろう。
「…私、野雪さんは感情豊かだと思います」
「何々?詳しく聞かせて」
「あの鳴島さんを見る目が優しさで溢れていたというか、突き放さず背中を押したり、そんなの感情がなければ出来ません」
「仕事だから」
「え?」
野雪が振り返り、たま子はきょとんとした。
「俺は俺の役目を全うしてるだけ。志乃歩に助けて貰った日から、俺はその為に生きてる」
淡々とそれだけ言うと、野雪はさっさと階段を上がって行ってしまった。
そんな野雪の姿を見て、志乃歩は仕方なさそうに溜め息を吐いた。
「ごめんね、ああいう奴なんだ」
「いえ…」
「でもそう、本人が気づいてないだけで、優しさを持ってる子だよ。たまちゃんが気づいてくれて嬉しいよ、保護者としてね」
その優しい眼差しに、たま子は思わずといった様子で視線を俯けた。
「…いえ、ただ、凄いなと思って。私は怖がるばかりで何も出来なかったので」
「それが普通。これから慣れていけばいいよ、勿論、記憶を戻す為の情報も集めながらね」
「…ありがとうございます」
志乃歩は微笑み、先に行く野雪を追いかける。
たま子は階段の途中で足を止め、一度本棚に視線を向けると、再び彼らの後を追いかけた。
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