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「とまぁ、今回の騒動の発端は、こんな感じかな。化想を出した後だから、数日はしっかり様子を見とくけど、あの二人の様子を見た限りじゃ、大丈夫そうだね」


志乃歩しのぶはそう言いながら、鍵を回しドアを開ける。そのドアの向こうに広がる光景に、たま子は感嘆した。たま子が離れと呼ばれている書庫に入るのは、今日が初めてだ。書庫と聞いて何となく想像していたのは、よくある図書室の風景だったが、この建物の外見は普通の家。中はどうなっているのだろうと気になっていたが、想像以上に書庫と呼ぶべき書庫だった。


家の中は吹き抜けになっており、その壁一面、天井まで本棚になっていて、本がぎっしりと埋まっている。壁以外にも棚は幾つもあり、それらも本でぎっしりと埋まっていて、階段下の空いた空間まで本棚になっていた。

その本の多さに圧倒されながら中へ進んで行くと、一番奥の壁の前で志乃歩は足を止めた。それから目の前の本棚をずらすと、その奥に扉が見えた。重厚な鉄の扉だ。それを開けると、そこには地下へ続く階段があり、下りて行くとまたしても、本、本、本…。外観からは想像もつかない広い地下室は、ここにも本棚がずらりと並んでいた。


「…まだ、こんなに…どうしてこんなに本があるんですか?」


ぽかんとしたたま子に、志乃歩は笑った。


「ここは、僕の先生から譲り受けた家なんだ。先生も阿木乃亥あぎのい家とは別に、代々化想操術師けそうそうじゅつしをやってる家の出でね、みんな勉強熱心というか研究熱心というか。それで、この本の山って訳」


そう言う志乃歩は、どこか寂しそうに頬を緩めていた。


「…地下の本は、全てがそうって訳じゃないけど、化想を封じた本は全部ここに収めてるんだ。一人につき、一冊。だから自然と量も溜まるんだよ」


へぇ、と頷きながら、たま子はふと首を傾げた。


「あの、化想を封じるって事は、この本も化想で出来てるんですか?」

「そうだね、本自体は何の変哲もない普通の物だけど、その上に化想が施されてるんだ」


そう言って、志乃歩はポケットから小さなダイスを取り出した。面が幾つもあるそれには、様々な記号が描かれている。


「これは?」

「僕の化想を出す道具の一つだよ。この記号一つ一つに、化想を記憶させてる」

「そんな事が出来るんですか?」


志乃歩は、ひとつ頷いて話を続けた。


「化想を出すにも方法が色々あるし、その種類も様々だ。僕のシラコバトは、毎回、絵を描いて出してる訳じゃなくて、紙に鳩をイメージした絵を描いて、それに鳩のイメージをインプットさせてる。術師の技術だね。だから、それさえあれば、指でなぞるだけで鳩を呼び出す事が出来るんだ。ちゃんと鳩の能力を維持したままね。でもそれは、いくら真似しても、描いた術者本人じゃないと全く同じ化想を出す事は出来ない、描いたものに化想をインプットさせるには、意識を繋げないといけないから。念みたいなものを送って、その絵に蓋をする感じかな。それが、指紋認証みたいな、本人確認と同じで鍵となるんだ。だから、他の術師がそれに触れて僕の鳩を呼び出そうとしても、それは形ばかりで僕の鳩とは言えない。

この本にも、そういった記憶を維持させる力が使われている。吸い込んだ化想を記憶させられるようにね、なかなか作るのに苦労するんだよ」


志乃歩は、「ね」と野雪のゆきに同意を求めたが、野雪は「大した事ない」と、つれない返答だ。志乃歩は肩を竦め、「凡人には苦労するんだよ」と、苦笑った。


「それに、化想を取り込む事も簡単じゃない。他者の化想は、まず本来の絵に戻す訳じゃないし、化想を生んだ人の心や思考から切り離す事になる」

「心って、切り離しても大丈夫なんですか…?」

「何て言うのかな…その人に取り巻く薄い膜を剥がすイメージかな?勿論、化想を出したその人に何かあってはいけないから、他者の世界を理解して、化想を壊さず本に封じるのは並みの術師じゃ難しい事だよ。阿木之亥が化想を守らず壊すのは、そもそもそれが出来る術師が少ないからだろうね」

「封じるには、血印けついんだとより頑丈だ」

「…血、ですか?」


話に割って入った野雪に、志乃歩は「ダメダメ!」と、たま子の視線を野雪から自分へと向かせた。


「確かに、血は化想と術者を繋ぐものだから、より強い力を持って封じる事が出来る。イメージを具現化するにも、ペンより血の方が心や思考と直結してるから、より詳細に化想を作る事が出来るしね。でもそれは、身を削る事になるから普通の化想を生み出すより、術者への負担が大きくなるんだ。イメージに囚われる確率は高くなるし、そうなれば化想の世界を彷徨い続ける事になる」

「そ、そんな事しようとしてたんですか?」


思わず野雪を振り返るたま子だが、野雪はやはり平然としている。


「俺は人より感情が乏しいから、化想に左右されない」

「え?」

「…まぁ、だから出来る事もあるんだけどさ。それでもダメだよ、野雪だって人間なんだから。もう人形じゃないんだ」

「へまはしない」

「そういう事じゃないんだって!」


憤慨する志乃歩に目もくれず、野雪はガラス戸がついた本棚の空いたスペースに、大晴たいせいの化想を封じた本をしまい、ガラス戸を閉めた。本の背表紙には、大晴の名前と化想を出した日の日付が記されていた。昨日、本をしまいに来なかったのは、まだ大晴の事に不安を感じていたからだろうか。


それから野雪は戸に手をあて、暫し目を閉じる。その姿は、まるで祈りを捧げているようにも見えた。

たま子はその姿を見て、大晴の化想の中で見た様々な野雪の姿を思い出していた。

無表情の瞳に、無感情の言葉に、何度助けられただろう。


「…私、野雪さんは感情豊かだと思います」

「何々?詳しく聞かせて」

「あの鳴島さんを見る目が優しさで溢れていたというか、突き放さず背中を押したり、そんなの感情がなければ出来ません」

「仕事だから」

「え?」


野雪が振り返り、たま子はきょとんとした。


「俺は俺の役目を全うしてるだけ。志乃歩に助けて貰った日から、俺はその為に生きてる」


淡々とそれだけ言うと、野雪はさっさと階段を上がって行ってしまった。

そんな野雪の姿を見て、志乃歩は仕方なさそうに溜め息を吐いた。


「ごめんね、ああいう奴なんだ」

「いえ…」

「でもそう、本人が気づいてないだけで、優しさを持ってる子だよ。たまちゃんが気づいてくれて嬉しいよ、保護者としてね」


その優しい眼差しに、たま子は思わずといった様子で視線を俯けた。


「…いえ、ただ、凄いなと思って。私は怖がるばかりで何も出来なかったので」

「それが普通。これから慣れていけばいいよ、勿論、記憶を戻す為の情報も集めながらね」

「…ありがとうございます」


志乃歩は微笑み、先に行く野雪を追いかける。

たま子は階段の途中で足を止め、一度本棚に視線を向けると、再び彼らの後を追いかけた。



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