13




大晴たいせいが向かったのは、彼の自宅近辺にある病院だと思われたが、大晴は病院の前を素通りし、どうやら病院の裏にある土手に向かっていたようだった。

志乃歩達は近くのパーキングに車を停めると、シラコバトの導きに従い土手へと上がった。周囲に背の高い建物がないからか、良く晴れた空は大きく見え、川風が優しく吹きつけている。

少し土手の上を歩くと、大晴の姿はすぐに見つかった。彼は土手の斜面に座り、ぼんやりと川原の方を眺めている。そこには、少年サッカーのチームが試合をしていて、選手達や応援の熱い声が盛り上がりを見せていた。


「この後、どうするんですか?」


大晴を見守る側とはいえ、志乃歩以外は初対面だ。化想の中で彼と出会っていても、大晴は記憶にないだろうし、朝別れたばかりの病院で会ったカウンセラーの先生と、こんな場所で偶然にはち会わせるのも妙だ。


そんな思いでたま子が尋ねると、野雪のゆきが何も言わず大晴の方へ向かった。


「あ、」


追いかけようとしたたま子を、志乃歩が止めた。野雪はショルダーバッグからノートとペンを取り出すと、ノートに線を引いた。すると、野雪の手元にサッカーボールが現れた。野雪はそれを手に暫し立ち止まり、辺りに人が来ない事を確認すると、ボールを蹴った。コロコロと転がるボールは真っ直ぐに進むかと思われたが、すぐに脇へ反れ、土手の斜面を転がってしまう。


「あ、」

「え?」


ボールは運良く大晴の近くを転がった為、大晴が手を伸ばしてボールを取ってくれた。思いがけず野雪の思惑と重なり、野雪は気を緩めたのか、大晴の元へ向おうとした所、芝に足を滑らせて土手の斜面に盛大に尻餅をつき、そのまま斜面を滑って行ってしまった。転んだのだ。


「だ、大丈夫ですか!?」


目の前の大転倒は、転んだ本人は恥ずかしいが、目撃した側は心配になる。大晴は驚きながらも、野雪を心配して側に来てくれた。


「…大丈夫」

「立てますか?」


手を差し出してくれる大晴に、野雪は少し戸惑いを見せたが、その手に手を重ねた。だが、起き上がったのが斜面の途中だったからか、野雪は再びバランスを崩し、今度は二人して転んでしまった。


「ははは、いってー!」


怒るかと思ったが、大晴はおかしそうに笑い、笑いながら「大丈夫だった?」と、野雪を心配してくれる。その朗らかさに野雪は目を瞬き、小さく頷いた。


「これ、君の?」

「…うん」

「サッカーやるんだ?」


そう言いながら、大晴はサッカーボールを野雪に渡そうとしたが、野雪はそれを受け取る事なく、隣に座り込んだので、大晴はきょとんとした。


「…君は?」

「え?俺は…、やってた。でも、もう辞めたんだ」

「どうして?」


野雪の問いに、大晴は瞳を揺らし、困り顔で笑った。


「…怪我させたんだ」

「君が?」

「うん」

「事故?」

「…違う。手を、出したから。俺のせい。あいつは足の骨を折って、暫くサッカー出来なくなった。俺のせいなんだ」


大晴は頭をくしゃと搔き、深く息を吐いた。


「…ごめん、初対面の人にこんな話して」


そう苦笑う大晴に、野雪は首を振った。


「初対面だから、話せる事もある」


ぽつりと呟いた野雪に、大晴はきょとんとして、それから戸惑ったように視線を俯けた。大晴としては、野雪の事を妙な少年だと思っているかもしれない。ボールを取ってあげたは良いけど一緒に転んで、すぐに立ち去るかと思えば、隣に座り込んでしまった。無表情の少年は、まっすぐとこちらを見つめ、まるで自分の心の内を知っているみたいだと、大晴は落ち着かないようだった。


でも、野雪は大晴を知っている。彼の化想の中で、こんな風に並んで彼と話したこと。大晴に記憶がなくても、自分が変に思われようと、野雪はここを動けなかった。大晴の中に、溜め込んだ後悔があることを知っている、野雪には彼に伝えたい事があった。


「…会った?」


おもむろに尋ねた野雪に、大晴は初めは何の事だろうと首を傾げたが、まだ自分の手の中にあるサッカーボールに視線を向けた野雪を見て、傷つけた相手の事だと気づき、困って笑った。


「会えるかよ、向こうは顔も見たくないんじゃない?俺なら、そう思う」

「…でも君は、その人じゃない」

「ん?」

「その人じゃないから、相手の気持ちなんか分からない」


淡々と話す野雪に、大晴は僅かに瞳を揺らし、それから耐えきれず逸らした。


「…分かるよ。俺、嫌われてるから」

「でも、後悔してる」

「…なんだよ、アンタに関係ないだろ」

「すぐそこの病院に、その人がいるから会いに来たんだろ」

「…なんで、知ってるんだ?」


大晴は驚いた様子だが、じっと見つめる野雪に対し、居心地が悪そうに視線を逸らした。

何故、野雪がそれを知ってるかという事よりも、自分の心が見透かされている気がしたからだろう。


「……会わす、顔がない」

「大事な友達だって、言ってた」


野雪の言葉に、大晴ははっとして野雪に目を向ける。

今、この場所で、大晴は野雪にそんな話はしていない。どうして分かるんだと、その疑問が、野雪の瞳を見ていたら途端に揺れていく。

野雪の瞳は、自分の心を映す鏡のようで、そんな風に思えるのはどうしてだろうと、揺れる瞳が、野雪を映していく。大晴はその姿を、どこかで見たような気がしていた。


「…どこかで会ったかな、俺達」


困惑の瞳は、失った記憶を取り戻そうとしているかのようで、野雪は無表情の下に戸惑いを隠し、大晴の持つボールに視線を落とした。それから、躊躇いつつ口を開いた。


「…俺、後悔してる事がある。俺のせいで、傷ついた人がいる。ずっと嫌われてると思ってた、でも、そうじゃなかったから。最後に、そう教えてくれたから、だから、会いに行けば良かったって、ずっと後悔してる」


大晴の問いには答えず、野雪は自分の後悔を口にしながら、そのボールを受け取った。


「…間に合うかもしれない、やり直せるかもしれない。こんなに近くにいるんだ」


そうまっすぐと野雪に見上げられ、大晴は戸惑った様子で視線を逸らした。


「…そっちこそ、諦めてんじゃん」

「俺は、叶わないんだ。もう、伝える人はここにはいない。もう、あんなに遠い」


そう空を見上げた野雪の表情は穏やかで、大晴は同じように空を見上げた。その顔を見たら気づいてしまった、そうか、この世にはいないのかと、野雪の後悔の理由を知り、瞳を揺らした。


「…ごめん」

「それ言える相手、君にはまだいる」

「…そうだね」


大晴は、暫し俯き、やがて立ち上がった。


「…会いに、行ってみる」

「うん、…頑張れ」

「ありがと」


大晴は、そう少し泣きそうに笑った。





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