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数時間後、少年は病室で目を覚ました。少年の名前は、鳴島大晴なるしまたいせいといい、体調も問題ないようだった。彼が目覚めてからは、志乃歩しのぶもカウンセラーとして医師と話す鳴島の様子を見ていたが、話しぶりや表情を見ても、彼が化想けそうに囚われている様子はないと判断したようだ。

なので、本人にも、病院に飛んでやって来た彼の両親にも、彼が倒れた原因は、ストレスや寝不足からくるものだろうと医師から告げられた。


本来なら帰宅させても良い状態だったが、彼は化想を出しているので、この日は念の為、入院させる事となった。一晩問題なければ、明日には退院となるだろう。

病院に居れば、一先ず安心だ。化想を理解している病院だし、何かあればすぐに志乃歩に連絡が入る事になっている。なので、志乃歩達は大晴を病院に任せ、この日は家に帰る事とした。






「いやー、とりあえず良かったね。被害も出なかったし、あの子もすぐに目を覚ましたし」


家に帰ると、志乃歩は大きく伸びをしながら、リビングで一息ついている皆を見回した。


「ご両親も大変心配してましたね。家庭環境に問題は無さそうなので安心しました」

「ね。ちゃんと子供を見てくれてる感じがしたな」


黒兎くろとの言葉に、志乃歩は頷いて答えた。そこへ、姫子ひめこがトレイに紅茶を載せて現れれば、皆は自然とソファーの周りに集まっていく。野雪のゆきはいつも通りの無感情な顔つきで、たま子だけが少し放心しているようだった。


「どうだった?初仕事は」


そんなたま子に、姫子がカップを渡しながら声を掛ければ、その気遣うような温もりある声に、たま子は少し戸惑った様子で顔を上げた。


「なんだか、現実に戻ってきた気がしなくて…」


苦笑いながら、礼を言ってカップを受け取るたま子に、姫子は「アタシも最初はそうだったよ」と、労うようにたま子の頭を撫で、再びキッチンへ戻って行った。たま子は撫でられた頭に触れ、はにかむような表情を見せたが、自分の頬の緩みに気づくと慌てて表情を引き締め、それからそんな自分を誤魔化すように、焦って志乃歩に声を掛けた。


「あ、あの、これでこの仕事は終わりですか?」


志乃歩はたま子の様子を見ていたのか、どこか微笑ましそうにしていたが、その問いかけには困ったように眉を下げた。


「うーん、終わりの線引きは難しいなー」

「え?」

「化想を出した人の、その後の見守り活動も我々の仕事ですから」


志乃歩の答えにたま子がきょとんとすれば、黒兎が手元の手帳に何かを書き込みながら教えてくれる。あの黒い手帳には、志乃歩の仕事のスケジュールの他、化想を出してしまった人、その被害者の状況等も書かれているという。


「そう。だから明日もう一度、鳴島君の様子を見に行く。それから、化想を出してしまった理由もちゃんと調べないといけないからね」

「身辺調査も行うんですか?」

「その辺は、壱登いちとが協力してくれてるんだ。向こうにとっては、その報告書を纏めるのも仕事の内だからね」

「…もし、病院から帰ってきて、鳴島さんがまた化想を出したらどうするんですか?」

「その場合は、今日と同じ事をするだけだよ。もし体調の変化があったら、病院に連れていく。眠り続けるような事になったら、今度はちゃんと化想の事をご家族に話さなくちゃね。今日のところは、鳴島君には不安な要素が無かったから話さなかったけど」


「だから、すぐに化想を出す事はないと思うよ」と、志乃歩はたま子を安心させるように言った。だが、たま子が今考えていたのは、大晴への心配だけではない。


「…それが、ここでは通常のやり方なんですね」


「え?」と声を漏らした志乃歩と目が合うと、たま子ははっとして、慌てて言葉を繕った。


「あの、仕事の流れを確認したくて…」

「お!やる気十分で社長は嬉しいよ」


にこりと微笑む志乃歩に、黒兎は何か言いたげに視線を向けたが、志乃歩はそちらには目を向ける事はなかった。


「じゃあ、明日に備えて、今日は各自ゆっくり休んで!」

「はーい。じゃあ、夕飯の準備に取りかかるかー」


再びリビングに戻って来ていた姫子がリビングから出て行こうとすると、それを見て、たま子は慌てたように立ち上がった。


「お、お手伝いします!」

「本当?助かる!」


にこりと笑顔を見せる姫子は、たま子の挙動不審な様子には気づいていないようで、早速、今晩のメニューについて話しているようだ。




連れ立ってリビングを出て行く姫子とたま子を見送り、志乃歩は黒兎を振り返った。


「志乃歩様、」

「僕は部屋でもう一仕事するから、ご飯出来たら呼んで」

「…かしこまりました」


黒兎の言いたい事が、志乃歩には分かったのだろう。言葉を遮ったのは、それを聞くつもりはないという志乃歩の意思の表れだ。黒兎もそれが分かっているので、腑に落ちない思いながらも身を引いた。黒兎の懸念を志乃歩が理解している事も、黒兎には分かっている。分かっていて聞くつもりがないのは、志乃歩には別の考えがあるからで、黒兎が身を引けるのは、志乃歩を信頼しているからだ。


「野雪」


カップを片手に立ち上がりつつ志乃歩が声を掛けると、ソファーに座っていた野雪は顔を上げた。その手には、大晴の化想を封じた本がある。


「疲れてない?」

「大丈夫」

「そっか、今日はゆっくり休むんだよ」

「うん」


頷く野雪の頭を撫でれば、野雪は僅かに頬を緩めた。




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