第36話 生徒指導で鍛えられた声

【10日目、ゴール。朝からトラブルに遭遇しグロッキーになる。】


 1月6日土曜日、快晴。朝はロビーでの朝食からスタートだ。21時就寝し、翌朝六時起床。よく寝た。それだけ疲れていたのだろう。

 本当に静かな宿で、物音で起こされるとかなかった。耳栓もいらない。

 朝は7時から朝食を食べることができる。内容はミックスジュースとコーヒーとパン。これで十分。昨晩出した汚れ物はちゃんと夜中のうちに洗っておいてくれ、乾燥機もかけておいてくれたのかとても良い匂いで、朝、自身のカプセルの前に置いてあった。仕事が早いって素敵だ。

 朝食後、フロントで飲み物を買う。日本では見ることができないファンタを発見。クリームソーダ味と書かれている。価格は150ルピー。   

 一口飲んでみる。うん。日本で発売されない理由がよく分かる、微妙な味だ。

さてロビーで、軽く体をほぐしてから出発。コロンボフォート駅を目指す。今日は世界遺産都市、ゴールへ向かう。


 駅を目指して歩くこと数分、昔、横浜に住んでいたという日本語が堪能なおじさんに突然、声をかけられた。今はこちらに戻ってきて銀行員をしているのだと話す。横浜界隈の地理情報も確かで、身なりも確かにきれい。

「今からどこに行くんだ。」

「ゴール」

「電車は今日この時間は走っていない。今日は土曜日だ。平日じゃないんだよ。」

 その方の話ぶり、スーツの着こなし、表情の置き方などを総合的に見て、信用して良いのではないか?とジャッジしたのが、私の大きな過ちだった。

 もちろん、私が宿のスタッフに電車のことなどの確認を怠ったところから、判断ミスは始まっていた。やはり疲れは取れていなかったのだ。

 その男性がトゥクトゥクを止め、コロンボのバスターミナルに行き、ゴール行のバスに乗りなさい、とアドバイスする。

「途中まで僕も乗るから。途中に僕の勤め先の銀行もあるし。」

バスターミナルまでは距離があるけど、200ルピーで連れて行ってもらえるよう交渉するとまで言う。信じて乗り込んだ私はアホやった。今、思い出しても、自分に殺意を覚えてしまう。

 その方と話しながらトゥクトゥクでコロンボバスターミナルに向かう。スリランカと日本の架け橋になりたい、などおじさんの夢を伺う。

 おじさんが降りたのはペター地区にある、ビルが立ち並ぶストリートだった。この界隈に勤め先の銀行があるという。おじさんはトゥクトゥクドライバーにバスターミナルに連れて行くように告げ、足早に去って行った。

 二人っきりになったトゥクトゥク車内。ドライバーは一言も話さない。そして裏通りで、突然止まる。

「ここからゴール行のバスが出るのか?」

「出るよ。」

「ありがとうございます。」

リュックを担ぎ、200ルピーを渡そうとすると、

「これじゃないよ、3000ルピーだよ。」

と、素っ頓狂な表情を浮かべ、吹っかけてくる。


 そうか。最初からあのおっさんとドライバー、グルだったのか。罠に引っかかった不甲斐なさと、自分への苛つきで頭がくらくらする。

 

 旅行中は日本にいる時よりも緊張感が漲っているというが、疲れがあるときは鈍るものだ。ただ、3000ルピーを支払うつもりは毛頭ない。

 トゥクトゥクから降りて、忘れ物ないかをチェックした後、ドライバーの顔を睨みつける。

「3000ルピーだよ。」

 周囲には幸いにして多くの人通りがある。

 表情に張りのないドライバーだった。そして私のフラストレーションを著しく刺激するくらい、何度も3000ルピーと繰り返し、左手を出してくる。

 ドライバーの後ろを、欧米系の家族連れがこちらに向かって歩いてきた。

この家族のお父さんと目があった瞬間、今だ!と思い、日本語でドライバーに怒鳴りつけた。


 私はトラブルイングリッシュとアンガーイングリッシュが苦手。


 どうせこの国のドライバーも英語が堪能ではないだろうから、英語で切れる必要もないが、シンハラ語でなくても、怒り狂っていることはしっかりと伝える必要がある。

 さながら生徒指導のよう。声は大きいと同僚の先生方にもよく言われるが、日ごろから生徒さんによって鍛えられているせいか、声が通る通る。ささやかな祈りが通じたのか、目の合ったお父さんが、その場で止まってくれた。それだけではない。スタンドの前で順番をついていた男性たちや、スタンド後ろにあるキオスクのような売店で店番をしていた女性までも出てきた。

 日本語であっても、怒っているというのは周囲に十分、伝わるらしい。

 ともかく捲くし立てて怒る私に怖気付いたのか、見知らぬ人に囲まれて面倒くさくなったのか、ドライバーは私から何もお金を受け取らず、トゥクトゥクにまたがり、猛スピードで走って逃げ去って行った。

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