夢想
蓮崎恵
水星
家の前に目玉が落ちていた。何もなかったはずの、ある朝のことだった。いつも通りに起きて、顔を洗った。それから、鞄を手にして、家の扉を開けると、道路に転がっているふたつの目玉を見つけた。よく確かめてみると、ここからまだ少し先の地面にも、たくさん目玉が転がっているのだった。ローファーの先で突いてみると、コロコロと転がっていった。
「気持ちわる」
蚊の鳴くような声でつぶやいた。私は足元に散らばっている球体を避けながら、駅に向かった。梅雨明けで、鬱陶しくなるほどの蒸し暑さが漂っている。蝉が鳴いている住宅街をまっすぐに進む。毎日、同じ駅に向かって、同じ電車に乗る。そんなことも三か月くらい経てば、慣れてくる。ネットニュースを読むとどうやら日本の全国各地で、目玉が道に落ちているとのことだ。気味の悪い出来事だ。しかし、そんな気持ちも、何か大異変が起きるのではないか、という期待のなかに埋もれて行った。
原因不明の「目玉転がり事件」は、教室を騒々しくさせた。私の友達である葵も浮足立っていた。
「おはよ〜、やばくない? 見たあれ?」
「何が? 目玉のこと?」
「そうそう、めっちゃキモくない?」
「それな、ネットニュースそればっかりだった」
「なんか面白そうだったから四つくらい拾ったんだよね、あげるわ」
「なんで拾ってんの、いらないんだけど!」
わたしがそう言うと、葵はふざけて私のカバンに二つの目玉を入れた。その瞳の色は、茶色と黒色の瞳だった。
「ねぇガチでやめて欲しい」
「はは、ごめんごめん。でもこんな珍しいこと起きないし持っとこうよ」
「え〜、まあいいけど」
そのあと葵は、ロッカーに教科書を取りに廊下に出て行ってしまった。教室を見渡すといつも通り二、三人が輪を囲んでいる。葵が戻って来た少し後に、先生が教室に入ってきた。騒がしかった教室は、すぐに静かになり始め、生徒たちの話し声も小さくなっていく。すっかり話し声が止むと、チャイムが荒々しく鳴って、ホームルームが始まった。気だるげな先生の声が、右から左に抜けていく。早く家に帰りたいな。つまらないことを考えて、先生の話を微塵も聞かずにいたが、ふと意識を集中させて話を聞いてみた。すると、気になっていた話題がわたしの耳に飛び込んで来た。どうやら政府のお達しがあったようだ。「目玉には触れてはいけない」、「危険な行為はしないこと」、「落ちている目玉は政府が回収する」…。さっき葵から貰ってしまった目玉、どうしよう。とりあえず面白そうなので、隠し持っておくことにした。
ホームルームが終わると、葵が私の席にきて興奮したように喋り出す。
「ほんとになんだろうね、あの眼球。めっちゃ気になる」
「どうする?葵が拾ってきた目玉たち。私は気になるから持っておくけど」
「明里が持っておくならウチも持っておこうかな。ていうか、なんでこんな物転がってたのかね。」
「さぁ? 宇宙人が落としてきたとか?」
「なんか明里って昔からたまに変なこと言うよね。中学の時からそんな感じ」
葵が笑いながら言うものだから、そんなに変わったことを言っていたかな、と思いながら頭を傾げた。思い出話をしている間に、チャイムが鳴りそうになったから、葵は急いで席に戻っていった。
今日の授業は、やけに頭に入ってこない。周りの生徒たちもみんなどこか夢の世界に入り浸っている。私も今朝の事件や、中学生時代の思い出に気を取られていた。
六限目の授業になると、気怠い一日ももうすぐしたら終わりだ。最後の礼と挨拶が終わると、みんな掃除場所で箒にもたれて掛かり、お喋りを始める。清掃が済むと、朝と同じようなホームルームを繰り返す。やっと一日が終わった。
葵に一緒に帰ろうと声をかけて、昇降口で靴を履き替える。
「今日も京子ちゃん遅いから私の家寄ってく?」
「行きた〜い!京子さん忙しいね〜」
「前まで、中小企業でだいぶブラック企業だったのに、最近業績が鰻登りらしくて。労働時間はあんま変わらないけど給料良くなったったと言って、喜んでたよ」
「京子さんも明里も大変だね〜」
私は、いつも葵とお馴染みの景色を眺めながら、一緒に下校する。葵は、起きるのが遅いから登校時間は一定しなかった。まだ高い場所で照っている太陽を背中に感じながら、家の鍵を開けた。
「ただいま」
「お邪魔しまーす!」
誰も居ない玄関に、ふたりの声が響く。ホームセキュリティーを解除して、薄暗い廊下の電気をつける。階段を登って、わたしの部屋に荷物を置いた後に、お菓子を広げて雑談を始める。今日の授業のここが分からないとか、あの先生怖いとか、学生らしい会話とともに時間が過ぎて行った。
「ねえ見てこれ〜!」
スマホを見ていた葵が急に私にスマホを見せてきた。
「アメリカで未確認生物が見つかったって!」
「これ一般人が書いてるサイトじゃん。絶対嘘だよ」
「え〜、でも面白くない? こういう宇宙人とか都市伝説とかオカルトとか」
「面白いけどエンタメの一種なんだから、真に受けるのはやめときなよ」
「分かってるって〜。そういえばもう七月だからそろそろ心霊番組とかも増えてくる時期だね」
「確か金曜にそういう系の番組あった気がする。また通話しながら見る?」
「いいね! あ、そろそろ六時だし帰るね」
「じゃあね〜、また明日!」
「バイバイ〜」
葵は、手を振って歩いて行った。彼女の影がオレンジの道に落ちる。ひとりになると、私は静かな家のなかで夕飯を作った。もうすぐニュース番組が終わろうとする時間だ。京子ちゃんの分も作って、ラップを料理にかけて冷蔵庫にしまった。京子ちゃんは、私の叔母だ。まだわたしが十二歳の時に、私を引き取ってくれた。叔母というのに、まだ若い。子供がいたとしても、まだ幼稚園児くらいの子供を持っている年齢だろう。それでも引き取ってくれた京子ちゃんには、とても感謝している。
学校に行っていると、一日の時間は瞬く間に過ぎて行く。それにスマホをいじっていると、もう不意に二十二時を回っていることもある。そろそろ京子ちゃんは帰ってくるだろう。そう思っている時に、鍵を開ける音が聞こえた。
「ただいま〜」
「おかえりなさい」
階段から顔を覗かせて声をかける。窮屈なパンプスを脱いだ京子ちゃんが私に気付いた。
「お疲れ様〜。ご飯冷蔵庫の中にあるよ」
「いつもありがとう。先にお風呂入って洗濯機回しちゃうね」
「うん、分かった」
そう返事をすると、私は部屋に戻った。日が変わる直前、ふと朝、鞄に目玉を入れられた事を思い出した。大変なことになるのは嫌だったから、早くそれを鞄から出さなければ。散らばっていた目玉を拾った。少し温かいが、二つとも朝に視た時とさほど変わっていようだった。ひとまず捨てないで、机の上に置いておこう。明日も学校がある。もう寝ることにしよう。
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