水 ~光~

水沢朱実

第1話

ごぼり、と水の音がする。

私の口から零れた空気の断片が

音を立てて水の中を“上”に向かって浮かび上がって行く


“上”に反して、

“沈んでいる”という感覚は、なかった。

ただ、

“私”という物体がにぶい光さす水の中で、

上にも行けず、下にも行けず、

ただたゆたっている。


・・・…私はどうしたのだろう。

私は、何故、ここにいるのだろう。

夢という形の断片が、ただここにあるからなのか。

私はごぼり、ともう一つ息を吐き、苦痛はない、と自覚する。


にぶく光る上からの光に照らされて、

私は考える。

何かが、ごっそりと自分の記憶から抜け落ちている。

私は、何を忘れたのだろう?

私は、これから何を思い出すのだろう?

私の記憶の向こう側には、連綿と連なる“日常”の記憶が確かにあった、はずなのだ。


――思い出したい。

訳もなく、そう思った。

それがたとえ、痛みを伴うものであっても。

私は還りたい。

この水の記憶も、忘れずにいるから。

ただ水に抱(いだ)かれた幸せな記憶を、

私はきっと、忘れずに生きていくから。




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水 ~光~ 水沢朱実 @akemi_mizusawa

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