駄作集

亡糸 円

観測

 等間隔に街灯の照らすアスファルトの舗装路をドタドタ、不細工な足音を夜中というのにもかまわず不遠慮に不格好な走りで、男はなりふり構わず遁走している。遁走というからには逃走者として追ってくるものが必要であるはずが、背後には追い抜いた街灯の丸が点々続くばかりで人のいる様子はない。我々には男が何に追われているのかも判明せず、また男も何に追われているかなどもうわかっていない。とかく彼は逃げている。必死の形相決死の覚悟で少しでも足を前に前にと遮二無二走っている。顎が上を向いて大口を開けて喉の奥から穴の開いたふいごのような音を漏らしていてもなお、足だけは止まることはない。涙がとめどなく湧き肋骨は軋み肺はつぶれ舌に血の味を感じても、それが男の死因にならんと刻一刻細胞を殺しにかかっていると理解していても、なお。思考に割く余白もない男の頭が送る走れの指令はいつか抽象的に崩れて文字としての原型を失い、我々には言語化できない意思の決定がそれでもただ一つ走るということに帰結している明白さだけが見て取れる。等間隔に並ぶ街灯の下を過ぎるたび、男の様相は悲壮と戯画と喜劇にまみれていく。高度な知性を有するよう進化した結果が理解による他生命にない感情と欲求の獲得であったのならそれは霊長の失敗であり、それでも最優先されるべき事柄が他生命と共通した生存の希求であることの憐憫と無理解はやはり自然発生的なものであって、それが男にどのような意味をもたらすかというのは埒外の話である。観測。観測。男は未だ走っている。遮二無二、滅茶苦茶、矢鱈目鱈、出鱈目といった風な体の動きで主目的たる移動は一応叶っている。五感は機能を失い眼は白を向き鼓膜は破れ舌はちからを失い上下運動に合わせガクガク揺れる顎がかち合った際にだらりとはみ出たそれを切断されている。男の生命活動終了までは、もう幾何もない。何か固い棒状のものが折れる音が二回ほどして、ひたすら走っていた男が地面に倒れこむ。くの字に曲がって顔面からアスファルトに突っ込み、鼻骨をすりおろしながら俯せにのびる。突然の静謐が辺りを包む。生命存在の否定、ある意味で死という音が鳴り響く。等間隔に街灯の照らすアスファルトの舗装路に点々続くばかりの街灯の丸のその間、静謐と真夜に隠された男の姿はもう我々には観測しえない。夜は未だ周囲を黒に溶かし、男が何に追われ走っていたのかは誰にもわからない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る