第19話

 夕風が優しく頬を撫でる。


 胸に手を当て、呼吸を整える。冷たい汗が背筋を伝った。


 動悸が静まっていくにつれ、心の声が問いかけてくるようになる。俺とよく似た声だ。もしかしたら、あいつも似たような声をしていたかもしれない。


 ――結城翔馬、お前は誰かを助けることができる人間などではないだろう? かつてお前が何をしたか覚えていないのか? また同じ過ちを繰り返すのか?


 そうだ、落ち着け。落ち着くんだ、俺。もう一度よく考えるんだ。


 そもそもこれは、これは俺が助けるべき状況なのか。


 相手は狂人。俺が無傷で済む保証はどこにない。それどころか、逆に猫を傷つけてしまうかもしれないではないか。


 ……そうだ。ここは俺が出るべき幕ではない。大人しく撤退しよう。


 俺は、鉄柵に掛けていた右足を降ろした。足元で砂が鳴る。


「……‼ 誰ですか、そこにいるのは‼ 猫だろうと人だろうと、私の安住の地を奪おうとするなら容赦はしませんよ!」


 俺の足音を聞きつけたのか、女が俺に視線を向けてきた。そのままズカズカと音を立てるように、赤鼻緒の草履で砂埃を巻き上げながら大股で近づいてくる。


「……やっべ、こっち来た」


 突然のことに、俺は逃げ出すことすらできない。そのまま彼女の顔がはっきりと見えるほど、距離を詰められてしまった。


「なんですか! 人のことをジロジロ見て! 私の美しさに見惚れてしまう気持ちはわかりますが、覗き見とは感心しませんね! さあ帰った帰った! これ以上私の縄張りに居座るようならストーカー行為で通報しますよ! この手の事案では女の証言の方が圧倒的に有利ですからね! 社会的に殺されたくなければ、今すぐ立ち去ってください!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る