Letter Red(2)
アルマが言ったことは正しい。
アレクシスは目を閉じて鼻で大きく息を吐いた。
結婚したにもかかわらず新妻と寝室を共にしない——エリアーナと両親を納得させるためには、情婦、つまりは「愛人」の存在が必要だった。
「私はっ、あなたが困っていたから助けてあげたの。あなたには父が亡くなってからもここに住まわせてもらっている恩がある。
あなたは今でも、目も合わせたくないほどあの
「アルマ……。俺はどうやら、君に間違った理由を植え付けてしまったようだ。妻を避けているのは嫌っているからじゃない。別の……事情があるんだ。俺の身勝手に君を巻き込んでしまったのは、本当に申し訳ないと思ってる」
「嫌いじゃないのなら、どうして奥様を避けるの?! 事情ってなに? わけがわからない。私をここに置いてるのも、ただ「愛人」の存在が必要だったから? そうならそうと、はっきり言って頂戴……っ」
アレクシスは身体を回してアルマに向き合い、泣き出しそうになりながら
「そうじゃない。有能な医師である君は、この屋敷に必要な人だからだ」
「気休めはよして。……そうよね、私の父はアレクの命の恩人だものね? あなたが父の遺言を背負って苦しんでるのは知ってる。恩人の頼みを無碍にできない人だってことも。
でもその事と私の個人的な想いは別物なの……。私は聖人君主じゃないのよ? 嫉妬だってする。仕方がないじゃない、アレクのことが、好きなんだから」
「言ったはずだ。俺は君の気持ちには応えられない」
「どうして……? 奥様とはうまくいってないのでしょう? ねぇ……私じゃだめなの? 偽りの愛人でもいい。あなたのそばにいられるのなら」
アレクシスの青灰色の瞳が怜悧な光を宿す。嘘偽りのない真摯な眼差しをアルマに向けると、はっきりと明言するのだった。
「俺は妻を……、エリアーナを愛しているんだ」
*
夜の帷はすっかり降りて——。
窓際の書卓は青白い月明かりに照らされている。卓上に飾った薔薇の花びらが一枚、また落ちた。
「……ルル、ねぇ、ルルってば……どこにいるの。居たら声を聴かせて?」
エリアーナが窮地のさなかにいると言うのに、うさぎの縫いぐるみは揺すぶっても叩いてもピクリとも動かない。守護妖精のルルは、ここ数日ずっと沈黙を保ったままだ。
「ルルは、今度も助けてくれないのね」
アンには申し訳ないと思ったが、どうしても学園に足が向かず、赤く腫らした目を氷嚢で冷やしながら一日中ベッドの上で過ごした。
半日経ってようやく戻った鳩便には、いつになく筆圧の弱い文字が並んでいた。
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君が悪いのではないよ、自分を責めないで。
エリーがどれほど誠実で真面目なのかを私は良く知っている。
君の夫が激昂するとしたら、そんなエリーを不貞にまで追い込んでしまった不甲斐ない自分に腹を立てているのだと思うよ。
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優しい言葉は、エリアーナを追い詰めないためのクロードの気遣いに違いない……そう思えば、ますます惨めで辛くなってしまう。
一方的にとはいえレオンにキスをされたのは、アレクシスから見れば立派な「不貞」であろう。
——手紙を読んで、クロードも私にがっかりしたでしょうね?
心臓をぎゅっと掴まれるような痛みを感じて、エリアーナの頬にまた涙が伝う。雨模様の心にたちこめた黒い霧はくすぶる疑問を浮き立たせた。
——「不貞」を犯した私を怒るのはわかります。
でも、あんなに悲しそうな顔をするなんて……。旦那様が愛しているのは、アルマ様のはずなのに。
指先をそっと唇にあてた。
アレクシスに今までまともに触れられたことはなかった。なのに突然——結局、未遂に終わったけれども。
「くちづけされるかと……っ」
唇と唇がふれあうほどに近づいた瞬間を思えば、腹の奥が甘くくすぐられる。火照った頭を冷やそうと、エリアーナがバルコニーに出ようとしたその時だ。
「若奥様、ご就寝前に失礼いたします……!」
唐突に二度、部屋の扉を強く叩く音がする。
こんな時間にメイドが訪ねて来るのは始めてだ。
「若奥様っ、よろしいでしょうか……?」
「ええ、聞こえています」
戸惑いながら扉を開ければ、頬を紅潮させたメイドが息を切らしている。
「どうしたのですか?」
「それが……そのっ……。先ほどアレクシス様が本邸にいらっしゃって」
真っ赤な顔で胸の前で両手を組んだメイドは、伝える事さえ恥じらうように目を泳がせた。
「こんな時間に、旦那様が本邸に?」
こく、こく。大きく頷くメイドも驚いている様子だ。
エリアーナが知る限りで言えば、アレクシスは仕事から戻るとすぐ離れ屋敷に向かう。食事も離れ屋敷で摂り、本邸にはほとんど顔を出さないのである。
——よほどの用事でもあったのかしら。
エリアーナが小首を傾げていると、メイドが小声で告げた。
「今夜は若奥様の寝室で眠ると仰って、『
「……………ぇ?」
メイドが何を言ったのか、しばらく理解ができなかった。
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