悩ましいほどに不器用な愛を(1)
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「——アレクシス!」
王宮の回廊は閑散としていた。
人気のないがらんどうの空間に、若い男の澄んだ声と小走りの靴音が響く。
俯きがちだった顔を上げれば、天井まで伸びる格子窓から差し込む陽光の眩しさにアレクシスは思わず目を眇めた。
「なんだ、お前か、カイン」
「何だはないだろう。人がせっかく心配して声をかけてやったのに。おいおいどうした? 朝からずっと浮かない顔してるじゃないか。書記官のかわい子ちゃんたちが心配してたぞ?」
カインと呼ばれた青年はアレクシスと同じ宮廷管轄の特異魔法省に出仕する補佐官の一人で、アレクシスとは気心の知れた古くからの友人でもある。
「誰にでも惜しげなくキラースマイルを投げ散らす『白薔薇の騎士様』が、女の子に挨拶されても口角をほんのちょっと上げるだけだなんて。そりゃあ心配にもなりますよ、君の心友としてはね」
カインの燃えるような赤髪から覗く金色の瞳が弄ぶように微笑んだ。
アレクシスと同じく長身のカインを、彼の鍛え抜かれた体躯が更に大きく見せている。アレクシスを凄然とした『銀の狼』と例えるなら、カインは情熱を秘めた『金の獅子』だ。
「心友はいいが、余計な心配をする暇があるなら仕事しろ。君が手を抜いたぶんの書類を押し付けられるこっちの身にもなってくれ」
歩みを止めずに言いながら片手に抱えた紙の束をひらひらとさせる。それはもはや書類の厚さではなく、一冊の本さながらだ。
「そう目くじら立てなさんなって。仕事の借りはいつか返すよ」
「ふっ、口先だけの男が言うことなど初めから期待してないがな」
カインは唇を尖らせるが、アレクシスは至って涼しい顔をしている。ちょうど二人が廊下の角を曲がったとき、息を切らした若い侍女にぶつかりそうになった。
「きゃぁっ」
「……おっと!」
当人の代わりに声を出したのはカインだ。
驚いて顔を上げた侍女は、アレクシスを見上げると目をぱちくりと丸くする。そして見惚れたように頬を赤らめると、慌てて一歩下がり、腰が折れそうなほどに何度もお辞儀を繰り返した。
「もっ、申し訳ありません……ジークベルト宰相補佐官様っっ!」
正しくは、特異魔法省宰相補佐官だ。
侍女のお仕着せは真新しく、彼女がまだ新人だとわかる。
アレクシスは眉をひそめ、強い口調で諭すように言ったのだった。
「ぶつかると危ないだろう。幾ら急いでいても走らない方がいい」
泣き出しそうな顔で幾度も頭を下げた侍女が去り、再び歩みを進めるも、アレクシスは眉間に皺を寄せたままだ。
そんな彼の秀麗な面輪をカインがまじまじと覗き込む。
「ほ——ら、今日のアレク、やっぱおかしいって。何なんだ?! あのアルマとか言う愛人と喧嘩でもしたか」
いつもは宮廷内の些細な事など気にも留めないアレクシスだ。
キラースマイルはともかく、爽やかな笑顔を絶やさぬ事で知られる彼の仏頂面は珍しい。
「……殴られたいのか」
「ふはは! すまん、ちょっと揶揄っただけだ。愛人……いや、同居人を隠れ蓑にする色男の落ち込みの原因は——ヤンデレなほど溺愛してる奥さん、つまりはエリアーナちゃんだ。そうだろう?」
アレクシスは歩みを止め、俯きがちだった視線を上げた。
「ほらビンゴ。お前が悩む事なんか滅多に無いからな。どうした、あの可愛い顔でキスでもせがまれたか?」
揶揄いがちに笑顔を向けたカインだが、すぐ真顔にならざるをえなかった。アレクシスがまるで深淵に落ちたような暗い
「——『離縁』したいって」
形の良い唇からぼそりと絞り出された言葉に耳を傾ける。優れた造形美を持つ口唇は、普段は優雅な微笑みを浮かべることが多いのだが、今ではくすんでしまっていた。
「エリーが……離縁したいと言ってる。俺と顔を合わせるのが辛い、牢屋のような屋敷を出たいと。無理もない、侯爵家側の勝手な言い分でエリアーナをジークベルト家に縛り付けているのだから」
「——はぁ?」
冗談にもならんな、とカインは小さく微笑って額に手をあてる。
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