第25話 唸れ、太刀風

 先ほどけんが仕留め損ねた小鬼が、棍棒を振り上げ今にも襲いかかろうとしていた。


(しまった! 間に合わな――)


 その時、目の前を一陣の風が駆け抜けた。


(えっ…………?)


 真っ二つになった小鬼の骸を、女性の像が空中から見下ろしている。

 緑色に透き通るその身体に、献慈が目を奪われかけた刹那であった。


「Teryew-tek'se.」


 彼女は再び風となってかき消えてしまった。

 柔らかな微笑みと、清々しくも優しい香りを残して。


「(この匂いは……いや、そんなのは後だ)みお姉!」

「献慈、無事なのね!?」


 澪の攻撃は硬く長大な両前脚に阻まれ続けていた。織り交ぜたフェイントも魔物の意識を誘ってはいない。

 巨躯、多足、人外の思考。二尺八寸を物差しとする対人剣術が苦戦を強いられるのは必定である。


「俺が……囮になるから! その間に……」

「待って。献慈、聞こえる?」


 弦楽器の音色が、かすかな歌声とともに、風に乗って耳まで届いていた。今し方、緑風の乙女が飛来した方角からだ。


「誰か加勢に来てくれた……?」

「ううん。もう〝加勢してくれてる〟」


 覆いかぶさったツチグモの両脚を、澪が一息のもとに押し返した。

 澪だけではない。疲労と緊張でこわばった手足が、湧き立つ力に解きほぐされてゆくのを献慈は実感していた。


「この音色自体が魔法……!?」

じゅか、呪楽じゅがくか……ううん、今はどちらでもいい――」


 再び打ち下ろされたツチグモの両脚が空を切る。鮮やかな回避の勢いに乗って、澪が会心の反撃を繰り出す。


「〈颱翻たいほん〉!」


 斜め上へ斬り抜ける逆袈裟の太刀筋。鎌脚の片側が千切れ飛び、黒い体液を散らしながら宙を舞った。

 その一瞬に、献慈は己の勇気を捧げセイクリッド・ハートる。


「ェアタ――ック!!」


 打ち振るう杖が魔物の後脚へ叩きつけられた。ツチグモの巨体が揺らいだこの好機を澪が見逃すはずもない。


「唸れ、太刀風――!!」


 上段からの唐竹割りは敵の頭を真っ二つ、さらには駄目押しとばかりに疾り抜ける剣圧が、巨大な胴体までをも完全に斬り裂いていた。


「やったな! 姐さん!」


 離れた場所から歓声が上がった。男たちが荷馬車の陰から成り行きを見守っていたのだ。

 ケガの治療と此度の事情を尋ねるため、献慈たちは彼らのもとへ歩み寄って行く。


 いつしか楽器の音色と歌声はぱたりと止んでいた。




 献慈たちは魔物から助けた男たちとともに街道を進んでいた。

 外を歩くふたりの後ろを馬車が付いて来ている。荷台には先の場所に群生していた薬草を詰めたかめがいくつも積んである。


はんそうを採りに来てたのね」

「ピロ……ちょいとした知り合いへの手土産をね。ところが小鬼どもとばったり出食わしちまいやして」


 一行の親分格、四十絡みの男は千代田ちよだりょう。西からやって来た商人だそうだ。

 御者を含む彼の仲間たちは全員が獣人種――トゥーラモンドにおける少数民族――で、両児自身もイェイェノット族というタヌキびとの血を引いていた。


「小鬼ぐらいで逃げ出すなんて、ひどい護衛もいたものだこと!」

「へへ……こっちでも獣人はナメられっぱなしでさぁ」

「どこの不良烈士なんだか! 出会ったら私がとっちめてあげる!」


 苦笑いする両児を尻目に、澪は鼻息も荒く宣言してみせる。


「落ち着こうよ、澪姉。その……小鬼はともかくさっきのツチグモ、この辺りには生息しない魔物だとか」

「あっしらの店があるウスクーブ近くに出る魔物で」

「それがどうしてこんな場所まで……」


 引っかかるのは献慈が外の人間であるがゆえか。


「魔物の考えてることなんてわかるはずないよ。もっと強力で恐ろしい魔物から逃げ出して来たとかじゃないの?」

「強くておっかない……姐さんみたいな、かい?」

「もぉ~! おじさん調子乗りすぎ!」

「こりゃ面目ねぇ。しかし姐さんの剣術だって見事なもんだ。かの〝太刀たちばなきみ〟の再来かと思いやしたぜ」


 両児が褒めそやすも、澪の微笑みはぎこちない。


「あー、私はとてもその……まだまだ及ばないので」

(澪姉……?)

「あの場を切り抜けられたのは遠くから誰かの援護があったからだし。本来ならその人にもお礼を言うべきなんだろうけど……」


 楽器の音も歌声もあれ以来聞こえてはこない。周囲にもそれらしき人影すら目にすることはなかった。


「へぇ。何にしろ姐さん兄さんはあっしらの恩人に違いねぇ。町に着いたらたっぷり礼をさせてもらいまさぁ」

「それは楽しみ。晩ごはんはきっとごちそうだね」

「澪姉ってば……さっきあんパン分けてもらったばっかりでしょ?」


 馬車馬が鳴らす蹄の音が硬い輪郭を描き始める。町の入り口は目前だ。

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