第19話 心に寄り添いたい

 浅葱色の単衣、ポニーテールを心持ち高めに結ったみおは、現れるなりけんの飲みかけの麦茶をひったくるように飲み干す。


(間接……い、いや! そんな深い意味はないはず!)


 固まる献慈を尻目に、澪は淀みない所作で隣へ腰を下ろした。


「私から言うのが筋だと思うから」

「改まってどうしたね? 何か大事な報告でもあるのかな?」

「お父さん、私……もう一度、御子封じに挑んでみたい」

「それで俺も、守部としてついて行――」


 冷徹で、有無を言わさぬ声音だった。


「駄目だ。許可できない」


 答えは決まっていたのだ。


「……っ……どうして」

かたきを討ちに行くつもりなんだろう? 村を出るためにそんな見え透いた嘘を……」

「私まだ、そんなこと……」

「言わずともわかる。だからこそ行かせるわけにはいかない。お前をまた危険な目に遭わせては……のりが悲しむ」


 父の口から美法――母の名を耳にした途端、澪は感情を爆発させた。


「お母さんを、引き合いに出してばっかり……あんたの、あんたの気持ちはどうなのよぉ!! 仇は絶対取るって、言ってたじゃない! 自分も仇が憎いって……おんなじ気持ちだって、ずっと思ってたのに……全部私を慰めるための嘘だったの!?」

「……だとしたら、何だ?」


 澪は絶句する。父を強く睨みつけ、顔を背け、そのまま振り返らずに家を飛び出して行く。


「澪姉! 待っ――でッ!?」


 追いすがろうとする足の小指にクリティカルな衝撃が走った。痛みに転げ回る献慈を嘲笑うかのごとく、半開きの簾戸すどが小刻みに揺れていた。


「だ、大丈夫か!?」

「……っぐ……だぁいじょぉぶ……でぇす……」


 献慈はやせ我慢をして起き上がった。こんなしょうもないことに〈ペインキル〉を無駄使いしたくはない。


「すまなかったね。見苦しいところを見せてしまって」

「いえ、俺こそ御子封じのこと今まで黙っていて申し訳ありませんでした」

「謝ることはない。おおかた澪に口止めでもされていたのだろう? ぎりぎりで打ち明ければ反対しづらいだろうと……浅はかだ」

「……気づいていたんですね」

「ああ。これでも人の親だからね」


 おお曽根そねまなじりに寄せられた皺の向こうに、献慈は一筋縄にはいかぬ父娘の情を読み取らずにはおれなかった。


「だがまぁ、ご覧のとおりだ。ケンカばかりだったというのも納得だろう?」

「やっぱり、原因は……」

「……ああ。美法は旅の途中、襲ってきた怪物を辛くも追い払った。娘を救ったんだ――自分の命と引き換えにね。美法ほどの猛者でさえそれが精一杯だったんだ。これ以上わたしや娘に一体何ができよう」


 大曽根は、部屋の隅に伏せられた写真立てをそっと起こしてみせた。

 澪とよく似たもっと年かさの、鋭い目をした女性が、こちらを勇気づけるように笑みを送っていた。


「でも澪姉は……忘れられない様子でした」


 大曽根は深くため息をついてうつむく。


「美法を失ったのはわたしだってつらい。仇が憎いよ。だがそれ以上に、澪には平穏無事な人生を送ってほしいんだ。だってそうだろう? 誰より娘を愛する母親が、身を挺して守った命を、どうしてこのうえ危険に向かわせられる?」


 悲痛なまでの想いを、親心を、この親不孝者が理解しているなどとはとても口にできない。


「お父さんの言っていることは……正しいです」

「……そうか」

「でも、その正しさは澪姉の気持ちを置き去りにしてしまうから……。上手くは言えないんですけど、このまま澪姉がお父さんの望むような人生を送ったとして、心はずっと前に進めないままなんじゃないかって、俺は思うんです」

「…………」


 生意気で差し出がましい、自分を棚に上げての発言であるのを、献慈は自覚していた。


「それに、旅に出るのは仇討ちのためだって決まったわけじゃない。一度は叶わなかった御子封じを成し遂げることが、お母さんの供養になると考えただけかもしれない――これは完全に俺の勝手な想像ですけれど」

「なるほど……そうか。その考えはなかった」


 確信があったわけではない。澪の心に寄り添いたい。ただそれだけだった。

 献慈のその気持ちだけは大曽根にも伝わったらしい。


「献慈君、御子封じには君が付き添うんだね?」

「はい。許可さえ頂ければ」


 大曽根は深く息をつき、再び口を開いた。


「やはり……賛成はできないな」

「そう……ですか」

「父親としては、だ。だが一人の男としては、君を応援したいという気持ちがまさっているよ」

「……それじゃ……」

「だから……そうだね、君が行って、澪を連れ戻して来てくれないかな。わたしはどうにも意気地がない父親なものでね」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る