第22話 ひまわり

 参道の上を、けんはカガに背中を押され進んでゆく。

 すれ違う人々は皆、献慈たち――主としてカガ璃――に注目している。二メートル近い背丈と一メートルを軽く超える胸囲の持ち主が目立たぬはずがなかった。


「はいはい、急いだ急いだ」

「お、押さないで……(頭の上に何か乗っかりそう!)」


 浴びせられる奇異の目に耐えながら鳥居を抜けて程なく、小高い丘の上へと出る。


 開けた場所に丸太で組んだ長椅子が並んでいる。周囲にはカップルや家族連れもちらほら窺える。

 外灯は見当たらず、明かりといえば見回りの衛士が持った提灯ぐらいだ。


「夜空が綺麗です」

「だろう? 『たまごと』もバッチリ見える」


 北の空に浮かぶ『玉琴ぎょくきん』は古今東西で最も親しまれている星座の一つだ。北極星の周囲を巡る七つの星は東洋において極星の化身であると考えられている。


(あっちでいう北斗七星みたいなものだろうな)

「とりあえずこっち座りな」


 長椅子の前でカガ璃が手招きしていた。献慈はそそくさと駆け寄り、椅子の表面をハンケチで軽く払う。


「お先にどうぞ」

「おや、なかなか気が利く……」カガ璃は腰を下ろしつつ、「と見せかけて、上から覗こうって魂胆かい?」


 胸に頂く巨大双球を寄せ上げアピールしてみせる。


「なっ……(落ち着け! 呑まれるな!)何のことでせうか?」


 献慈は素早く身を翻し、目を逸らすよう隣へ座った。


「ははぁん、ケンちゃんは小さいほうがお好みってわけだ」

「そんなことはな……くもないといいますか、大きいのも小さいのも、それぞれ趣があるといいますか……」

「背丈の話だよ?」

「そっ……(手強いな!)それはそうとさっき、ちょっぴり後出ししてましたよね?」


 カマをかけるにも献慈は異能の目トリックアイという裏付けがある。


「おや、ケンちゃんは随分と目に自信があるんだねぇ」

「認めるってことですか?」

「二人きりで話しときたくってさ。アンタに預けるのはマブダチの大事な愛娘だからね」

「それってまさか……」


 覚えずかしこまる献慈とは逆に、カガ璃はおどけた調子を取り戻す。


「その昔、アタシゃ相当なワルだった」

(急に何の話だろう……)

「ところがイムガ・ラサで暴れ回ってたある時、みおちゃんの母親にタイマンでボコられちまってね。この村まで引きずって来られて、何やかんやで改心して、今の真っ当な職に就いたってわけだ」

「へー…………え? ……ええーっ!?」

「ってな作り話を今思いついた」

「…………。……本当に作り話ですか? それ……」

「アハハ……とにかく頼んだよ、ケンちゃん。本音を言やアタシが守部を買って出たかったとこだけど、前科持ちがイムガ・ラサに顔出すわけにゃいかないからね」

「なるほ……あれっ? やっぱ今の話……!」


 献慈の疑問も、途切れぬ会話の渦へと流されてしまう。


「しかし美法さんがあんなことになった時ゃ正直つらかったよ。アタシだけじゃなく村のみんなも……ゴンちゃんなんて随分荒れてたからねぇ」

「そっか、柏木さん……」

「アタシが力ずくで慰めてやったけどね」

(柏木さん……『昔なじみ』って、そういう……)

「そんなわけで」

(どんなわけで!?)


 カガ璃が身を乗り出してくる。


「ケンちゃんもしばらくアタシと会えなくなるのは淋しいだろう? 今から慰めてあげようか?」

「いやいや! どうしてそうなるんですか!? もうすぐみんな来ちゃいますって!」

「そんなもんチョチョイのチョイですぐに終わるってば」

「そうですねー、たしかにあっという間に終わりそう……って、そういうことじゃなくてですねぇ!」


 なし崩しに柏木と義兄弟になるのは容易かもしれない――この胸に燻る想いを無視できればの話だが。


「……ほかに気になる子でもいるのかい?」

「……はい」

「ふぅん……それはちなみに今日のメンツの中に――」

「露骨すぎますよ、誘導尋問」

「おや、やけに冷静じゃあないか。もしかして暴発……」

「してないですってば! ちり紙用意すんのやめてぇ! まったく……ほら、もう誰か来ましたよ」


 薄闇の向こうから近づく人影は誰あろう、ラムネ瓶入りのカゴを抱えた澪である。

 カガ璃はすくと立ち上がり、澪に席を譲る。


「おやおや、お早いお着きだこと」

「ふ、二人とも喉乾いてないかな~って思って、早めに……」

「そうかい。じゃあ早速頂くよ」


 カガ璃は二つ取った瓶の片方を献慈へ手渡す。


「ありが――」

「ちゃんと褒めてあげるんだよ」


 すれ違いざまの耳打ち。


(え――?)


 問いただす間もなく、残りのメンツがたこ焼きを持って次々登場する。


「も~、澪っちってば~。置いてかないでよ~」

「抜け駆けとはいいご身分だなー?」

「うふふ……今日ぐらいよろしいじゃありませんか」


 寿麻・明子・千里の冷やかしに、澪は落ち着かぬ素振りで応じる。


「い、一応声はかけたでしょ!? そろそろ花火始まりそうだし、みんなも自分の分、持ってって!」

「はいはい。わーったよ」

「何で偉そうなの~?」

「まあまあ……」


 舟皿と瓶が行き渡り、各自慌ただしく座席に着いた頃。


 ざわめきの中、火の玉が夜空へと打ち上げられた。

 弾け散る五色の光が辺りを染め上げ、轟音が全身を震わせる。


「ふわぁ~……!」


 爛漫と咲き競う大輪の花が、薄墨色をした夜闇に摘み取られていく。

 隣で空を見上げる横顔が、降り注ぐ黄色や緑の光に照らされ輝いていた。


「綺麗だねー」


 乱れ咲く夜空の花々を讃えるのは、地上に咲く一輪の花。


 ――ちゃんと褒めてあげるんだよ。


(そうか……俺、まだ一言も――)


 場の熱気に当てられたせいか、献慈の心はいつになく大胆になっていた。

 だがそれでいいのだ。今は祭りの夜なのだから。


「うん。綺麗……だよ、澪姉」

「ふふっ……そう言ってもらえるなら、頑張っておめかしした甲斐があったかなー」

「そうだね」

「ちょ、ちょっと! 真面目に答えないでよ! 私から催促したみたいじゃない……」


 澪は思い出したようにたこ焼きを頬張りだした。誘われて献慈も自分の分に手を付ける。

 しばし無言の後、澪が切り出した。


「……そういえばさ、私まだ聞いてないんだけど?」

「何のこ――」

「ありえないから! 自分で言ったこと忘れてるとか……最低」


 ふくれっ面でパクつくたこ焼きが、みるみるうちに平らげられてしまった。

 献慈は慎重に思い当たる節をたどっていく。


「あー……そうだ。誕生日、おめでとう」

「ありがとう。それで?」

「それで……綺麗だよ、一段と」

「そっ、そういうのはもういいから! それで!?」

「それで、明日から……あ」


 ――その時は改めて、ちゃんと……面と向かって申し込ませてもらうよ。


 ――……うん。ぜったい忘れないでね?


 ――忘れないよ。出発の日までには、必ず。


「明日から?」

「……ごめん」

「やっぱり忘れたんだ!」

「思い出した。面と向かって言ってなかったって」

「…………」

「一緒に行かせてほしい。澪姉が目的を果たすまで、最後まで送り届けるから」


 パラパラと夜空にこだまする万雷の音が、旅立ちを迎えたふたりを祝福するかのように響き渡った。


「……よろしく……お願いします」


 うやうやしく頭を下げる澪の帯の上で、小さなひまわりが揺れていた。

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