何千年

夕月奏

1話

頬のひんやりとした感覚で目が覚めた。

どれだけ眠っていたのだろう。重い瞼を開くと、目の前には真っ暗な空が広がって、月の光だけが砂の世界を照らしていた。


あぁ、覚めてしまった。まだ眠っていたかったのに、最悪な目覚めだ。

月がぼくなんかを照らすから、こんなガラクタでも動かなくちゃいけなくなった。


何千年も砂漠を彷徨う事しかできなかったぼくは、もう何も生み出せないと言うのに。




ぼくらの種は遠い昔に滅びた。文明はヤツらに破壊され、ぼくらの歴史を紡ぐものはもういなくなった。

それでもぼくは種の痕跡を探してこの砂の上を彷徨い続けた。忘れかけた記憶と共に、ずっと、ずっと、微かな希望を見ていた。


でもぼくは気づいていたのかもしれない。忘れ行く記憶と追い求める希望の矛盾に。記憶から消えゆくものを、求めていた事に。

だからぼくはヤツらとの戦いに負けて倒れた。




その時に負った傷は目が覚めた今もまだ生々しく、熱を孕んだ痛みが残っている。


少し動こうとすると簡単に傷口が痛んで、横たわった体に力を入れることさえできない。ヤツらの刃は奥深くまで届いて、ぼくの身体機能だけを奪った。


本当はぼくの命も奪えるはずだったのに、ヤツらは止めを刺さなかった。ぼくをこんな瀕死の身体にして何をしたかったのだろう。情けないぼくを笑いたかったのか、ただ単に苦痛を味わわせたかっただけなのかは分からない。


ヤツらは使い物にならないぼくの身体だけを残した。


そしてその残された身体は何もできずに、ぼくに向かって「動け」と命令してくるだけだった。




ヤツらがまだ近くにいるかもしれない。ぼくは腹の傷を布で押さえて体を起こした。それから銃の弾倉を確認して、転がっていた棒切れを杖代わりに携えて再び進み始めた。




あれからどれだけ進んだだろうか。腹の傷が痛んで歩みを止めた。


腹にあてた布をどかすと、傷口からは赤い血が絶えず流れ出てきていた。

振り返るとぼくが歩いてきた道にも血の跡が続いていた。どうやら痛みを我慢して歩き続けた付けが回ってきたらしい。



「少し休憩しよう」ぼくはその場で腰を下ろして、最後の水分を飲み干した。





遠くの景色を眺めていると、近づいてくる影が目に入った。

それはぼくと同じくらいの大きさで、明らかに二足歩行をしていた。


一瞬目を疑った。そんなことができる生物は遠い昔に滅んでしまっていたからだ。ぼく以外にあの種の末裔はもういない。だからヤツらがあの種に擬態しているのかとも考えたが、擬態にしては精度が高すぎる。


まさかあの影はぼくと同じなのだろうか。いや、しかしあの種はもう……。


ぼくは迫る影を疑って、汗ばんだ手を銃に添えた。

影にはまだ月光が当たらない。


ドクン……ドクン……


緊張している。

数え切れないほどヤツらを撃ち殺し続けてきたのに、なぜ今回だけこんなに心臓の響きを感じるのだろうか。


腹の傷が痛むからなのか。体が憔悴しきっているからなのか。それとも単なる恐怖からなのか……。


いいや、自分でも分かっている。ただ無駄な期待をしているだけなんだ。

目の前の影があの種の末裔かもしれないって。そんなことがあるはずない事くらい分かっているのに。

 

やめよう。期待するのは。何かを失うのはもう、うんざりだろ?


ぼくは引き金に指をかけた。



弾数はもう少ない。出来れば一発で仕留めたい。

だから……月光があの影を照らすのを待った。


影は一歩一歩近づいてくる。

まだ……まだだ……。


影は足音が聞こえるくらいまで近づいてきた。

まだだ……。



そして影は最後の一歩をぼくに近づけた。



バンッ




引き金を引くだけで銃弾は当たった……

はずだったのだが、手元が狂って標的を大きく外した。


銃弾はぼくと彼女の間に着弾して、再びぼくらは静寂に包まれた。



ぼくは目の前の標的だったものから目が離せなかった。


あの種の末裔がぼく以外にもいたなんて。

遥か昔に滅亡したはずのあの種の末裔が、そこには立っていた。


忘れられた記憶の中で、何千年も前のぼくらの想いは彼女に届いていた。


彼女はゆっくりとぼくの方に歩いてきた。

触れると壊れてしまいそうな体で一歩一歩。


ぼくも彼女の方に向かった。

彼女を壊してしまわないようにと気をつけながら。


そしてついにぼくらは出会った。



何千年待っただろうか。


彼女の身体は細く、華奢だった。

彼女の眼は強く、美しかった。


ぼくはそんな彼女を壊さないようにそっと頬に触れた。

すると彼女は微笑んだ。



目から涙が溢れて止まらなかった。


上手く笑い返すことすら出来なくて不甲斐ないけど、こんなみすぼらしい格好で情けないけど、ぼくは君に会えて嬉しいんだ。

今はその想いを君に伝えたい。「紡いできてくれてありがとう」って。だからぼくも精一杯の笑顔で……


「久しぶり」




二人の間を暖かい風が吹き抜けた。



その風はやがて不毛の大地に一本の木を形作った。


その木はか細くて今にも折れてしまいそうだけど、今も美しい桜色の花を咲かせている。

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何千年 夕月奏 @yuzuki-sou

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