第14話

 とてつもない緊張で顔の筋肉がうまく動かない。玲央は鏡に映る自分の顔が普段のそれと異なるような気がして、両手でひたすら頬をほぐした。ある程度柔らかくなったところで、口の端を指先で押し上げる。

 自然な表情とは程遠く、目元もまったく笑えていない。これでは観客が良い印象を受けないだろう。リラックスしなければ。

 いよいよライブ当日を迎え、会場の前にはすでに霹靂神のファンが集まっている。大蔓の話によればその大半が物販の列を形成し、スタッフたちが周辺施設の迷惑にならないよう誘導しているそうだ。

「玲央くん緊張してるね」

 一足先にメイクも着替えも終えて暇を持て余したのか、柘榴が背後に立って話しかけてくる。玲央は鏡越しに彼の目を見つめ返し、「当たり前でしょ」と唇を尖らせた。

「オレにとって初めてのライブなんだよ。緊張しないわけないじゃん。ダンスとかミスったらどうしようって怖くて」

 例のオーディション落選以降、玲央はますますレッスンに打ちこんだ。柘榴と初雪による指導からは宣言通り厳しくなったけれど、しっかり成長につながったおかげで、練習で振りを間違えることはなくなった。

 柘榴もそれを分かっているからか、「大丈夫」と朗らかに玲央の手に己の手を重ね、もにもに頬を揉んでくる。

「気負い過ぎなくていいんだよ。いつも通りやろう」

「それが簡単に出来たら苦労しないって……」

 怖気づく理由はもう一つある。

 カレンデュラがゲスト出演することを、霹靂神のファンたちは知らない。

 ライブ開催日の変更を告知した際、ホームページやSNSでゲストが来ることも同時に伝えられた。ただし出演者はステージに登場する瞬間まで秘密にされたのだ。

 ゆえにネット上ではファンたちによる〝ゲスト推測合戦〟がくり広げられているのだが。

「出てくる名前が有名な芸能人とかアイドルとかばっかりで、その期待を上回れるのか心配でさ」

「僕らの名前って候補にすら上がってないんだっけ」

「なんの話してるんだ」

 初雪がひょいと鏡に映りこむ。トイレから戻ってきて、二人の会話が気になったようだ。

 玲央は緊張とその理由をゆっくり吐いた。手元のスマホにSNSを表示し、霹靂神のライブについて検索してみたが、不仲を理由に脱退した初雪が在籍するためか、カレンデュラを予想に挙げる声は見当たらない。

「柘榴先輩とか初雪さんは知名度あるけど、オレなんてまだまだ新人だし、知らない人の方が多いわけじゃん。『誰?』ってびっくりされそうで」

「そういう人もいるかも知れないね。でもむしろ『これを機に知ってくれる人が増えるかも』って期待した方が楽しいんじゃないかな」

「なんかそれ、人さまのライブで自分をアピールするみたいで気が引けるんだけど」

「まあ実際、そういうタイプの人間もいないわけじゃないが。主役が誰なのかしっかり念頭に置いておけば問題ない」

「そうそう。それにファンの人たちは初雪さんに気を取られて僕や玲央くんどころじゃないはずだから」

 言われてみればそうだ。初雪が登場した時点で、観客の視線は彼にばかり注がれそうな予感がする。

 そう思えば緊張が和らいだものの、それはそれで悔しい気がしないでもない。ステージを踏む以上、多少は注目されたい自分もいるのだ。

 過度な眼差しは戸惑うけれど、見てもらえないのも困る。複雑な心境につい唸った。

「じゃあ僕、ちょっと輝恭さんたちに挨拶してくるね」

 ぽん、と玲央の肩を叩いて、柘榴が軽い足取りで楽屋から出て行く。

 玲央も着替えを済ませなければ。カレンデュラの衣装は通常であれば黒いジャケットに赤い靴が定番だが、梅雨時ということもあり、見た目も着ている本人も暑苦しいジャケットは無しになった。

 よくアイロンがけされたシャツに、脚のラインがよく分かる黒いスラックス。編み上げのブーツは玲央のテーマカラーであるピンク色だ。紐が緩まないようしっかり結んで、最後に天使の羽をイメージしたストールを腕に引っかければ、ステージ衣装の完成である。

「そういえば」なにを思い出したのか、初雪がメイクを終えたタイミングで問いかけてくる。「玲央の家族は今日のライブに来てるのか? ゲストとは言え初めてのライブだろ」

「ううん、みんな来てない。オレが出ることも伝えてないし」

 妹や両親はともかく、弟にバレたら外でうっかり情報を漏らされかねない。さらに〝どうせならちゃんとカレンデュラのライブに招待したい〟という思いもあり、あえて教えなかったのだ。

 しかしレッスンで家を空ける日が増えたため、なにかしらイベントがあると察されてはいただろう。今日も出かける直前に、母から「頑張ってね」と鼻息荒く応援された。

「妹の友だちは来てるみたいだけどね。初雪さんがいた頃から霹靂神のファンなんだって。だから初雪さんがゲストだって分かったら、すっごくびっくりするんじゃないかな」

「……どうだろうな」

 なにやら不安げに初雪が眉を曇らせる。玲央が首を傾げると、周囲に誰もいないか確認するように首を左右に振ってから、彼は淡く微笑んだ。

「自分勝手に脱退しておいて、どの面下げて元ユニットのライブに出てるんだって思う人がいてもおかしくないだろ? 受け入れられないファンだってゼロじゃないはずだ」

「それ柘榴先輩に聞かれたら絶対に『気にしすぎ』って笑い飛ばされるよ」

 初雪もなかなかに心配性だ。輝恭と菊司と共に〝旧霹靂神〟として歌うナンバーも用意されたため、表情に出ていないが、内心では玲央と同等かそれ以上に緊張しているとみえる。

「大丈夫だって」

 玲央は右手に拳を作り、初雪の胸に押しつけた。

「戸惑う人はいるかも知れないけど、それ以上に喜んでくれるはずだよ。そのためにいっぱい準備してきたんじゃん」

「そう、だな。それに関しては胸を張って言える」

「でしょ」

「ありがとな、玲央。励ましてくれて」

「お互いさまだよ」

 話している間にそれぞれの緊張はほぐれ、唇が自然な弧を描く。

 柘榴だけ顔を出すのもおかしいだろうと、玲央は初雪とそろって霹靂神の楽屋を訪れることにした。途中で大蔓とすれ違い、外の様子を知らせてくれた。ライブ開始時間が迫るにつれてファンも増えたらしく、スタッフたちが物販列と入場の待機列を必死に整えているという。

 霹靂神の楽屋では、輝恭から改めてライブの流れを説明された。「なにもかも終わるまで気は抜けねえ」と彼は不敵に笑う。

「ファンに楽しんでもらうのは当たり前だが、まず俺たちが楽しむのが大前提。チケットは完売、つまり満員御礼だ。ファンも俺たちも、消化不良が起きねえように全力でやりきるぞ」

「はい!」

 勢いよく返事をして、玲央は輝恭と菊司を交互に見つめた。

「オレこういうライブに出るの初めてなので、色々と勉強もさせていただきます」

「おう。好きなだけ学べ」

 輝恭が愉快そうに目を細め、菊司も彼に同意するようにうなずく。二人の心の広さに感謝がこみ上げ、玲央は何度も頭を下げた。

 間もなくライブ開始時刻だ。五人は楽屋から舞台袖に移動し、その時を待つ。

 ステージ上では霹靂神の後輩アイドルが立ち、ライブ中の注意点を分かりやすく伝えている。関西出身と思しき訛りのトークは軽快で、客席から和やかなムードが感じられた。

「相変わらず盛り上げが上手いな」

 初雪の呟きに、玲央は声をひそめて「知り合いなの?」と問いかけた。

「俺より二つ年下なんだ。部活も一緒だったから何度か喋ったことがある」

「そっか。霹靂神の後輩ってことは初雪さんの後輩でもあるんだ」

「ああいう形で現場の経験積むのも大事だよね。玲央くんも先輩ユニットのライブで前説とかやってみたら?」

「あんな流暢にトーク回せる気がしないけど」

 なにごとも挑戦は大事だ。いずれやってみても良いだろう。

 後輩アイドルがライブ開始を告げると、会場の照明が緩やかに落ちた。

 やがて雨の音がスピーカーから流れ始める。絶え間ないそれに、玲央の脳内で大粒の雨が万物を濡らす情景が広がった。

 黒雲が空を覆ってしまったが如く、照明が完全に落ちる。

 いよいよだ。玲央はごくりと唾をのみこんで、ステージに視線を向けた。

 雨音がフェードアウトした直後、今度は落雷に似た轟音が鼓膜を揺らした。カッと眩い光がステージに灯ると同時にイントロがかかり、上手と下手にあるセリから霹靂神が現れる。ファンの歓声は雷鳴に優るとも劣らず、一斉にペンライトやうちわを振る姿は美しく統率されていた。

 テレビ局で観たのとは全く違う。ライブならではの空気感が肌を撫で、緊張なんてかき消すほどの興奮が胸の内から湧きあがった。

「待たせたなぁ、避雷針ども!」

 輝恭が勇ましく呼びかければ、ファンが揃ってペンライトを揺らす。

 避雷針とはなんだろう。柘榴の袖を引いて耳元で問うと、「ファンの呼び名だよ」と答えが返る。

「霹靂神が雷って意味だから、そのファンサを受ける人たちは避雷針に例えられたみたいだよ」

「そうなんだ、知らなかった」

 よくよく客席を見れば、「雷落として」とデコレーションされたうちわが見受けられる。ファンにもユニットの特色が現れて面白い。

「ちなみに僕たちのファンはなんて呼ばれてるか知ってる?」

「……そういえば知らないかも……」

「〝読者〟だ」と教えてくれたのは初雪だ。「童話モチーフなのが関連してるんだろうな。誰が言い出したのか知らないが、カレンデュラのファンはそう呼ばれてる」

「へえ……なんかお洒落だね。読者か……」

「そして僕らはライブという名の物語の中で踊るんだ。っていうのは気障すぎる?」

「ちょっとクサくない? でも悪くないかも」

 ステージ上で輝恭がファンの高揚感を煽る。それに続いて、菊司が高らかに一曲目のタイトルを告げた。

〝電光一閃〟なるそれはライブの定番ナンバーだそうだ。場を盛り上げるには良いアップテンポな曲で、初雪が霹靂神に居た頃から何度も歌われたという。

 菊司の柔らかな声は、テンションが上がるにつれ次第に男らしい荒々しさに染まっていく。カフェでラテアートを可愛いと言った人物と同じとは思えないくらいのギャップだ。

 輝恭も負けじと歌い上げている。一音一音が丁寧で、しかし勇猛さも感じられる。「手振って」と書かれたうちわを見かけるとブレスを合間に応じて、そのたびにファンが悲鳴じみた歓声を上げた。

「ふふ、輝恭さん容赦ないなあ」

「失神とか言いすぎでしょって思ってたけど、あれはじゅうぶんあり得るね」

「あいつテンション上がると無自覚に雷落としまくるから」

 それだけライブを楽しんでいる証拠だろう。輝恭も菊司も笑顔が絶えないから、ファンにも二人の感情が真っすぐに伝わって誰もが心を躍らせている。

 ――かっこいいな。

 ――オレもあんな風になりたい。

 人々を日常から非日常へ誘い、有限だからこそ特別なひと時をファンに――読者に味わってもらえるような、そんなアイドルになりたい。明確な目標が定まった瞬間だった。

「まだまだこんなもんじゃねえからな!」

 一曲目を終えて間もなく二曲目が流れ、興奮が衰えることはない。輝恭の猛々しさは右肩上がりで、菊司も愉楽の表情でステップを踏んでいた。

 この曲が終われば、トークタイムを挟んで自分たちの出番だ。マイクを握る手に汗が滲んで落ち着かない。

 大丈夫だと自分に何度も言い聞かせて、柘榴と初雪を横目で見やる。視線を感じてなにか察したのか、初雪が無言で背中を擦ってくれた。その表情は、玲央ほどではないもののかすかな緊張が滲む。

「さて、そろそろ気持ちを切りかえよう」

 柘榴のバリトンボイスが優しく鼓膜を震わせた。

「さっき輝恭さんも言ってたけど、まずは僕たちが楽しもうね。怖がらずに堂々とステージを踏もう、踊ろう。胸を張って歌を届けるんだ」

 いつの間にか二曲目が終わり、霹靂神はライブ開催日の変更を詫びていた。次いで先ほどの後輩が登場し、前もってファンから募集したテーマに沿ってトークする。三つほど質問に答えたところで、「んじゃ、そろそろ次の曲行くか」と輝恭が告げた。

「つっても歌うの俺たちじゃねえけど」

「『どういうこと?』って顔してるね。今日のライブにはゲストが出るって告知してあったと思うんだけど、次はその人たちに歌ってもらうんだ。みんなたくさん予想してくれてありがとう。それだけ楽しみにしててくれたんだよね」

「期待に応えろよ。分かってんな」

 輝恭と菊司の視線が三人に向けられ、思い思いにうなずいた。

「驚いて腰抜かすんじゃねえぞ。今日のゲストは――」

「カレンデュラの三人です!」

 菊司がユニット名を述べた途端に客席がどよめく。

 いよいよだ。ステージの照明が落ちて霹靂神がはけるのと入れ替わりに、玲央はステージに足を踏み入れた。

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