第13話

「玲央くん?」

 柘榴に顔を覗きこまれて、玲央は我に返り何度も目をまたたいた。彼はしっとり汗ばんだ額の下で眉を寄せ、心配そうな色を瞳に浮かべている。

「大丈夫? さっきからぼんやりしてるみたいだけど」

「だ、大丈夫」

「本当に? 練習続けられそう?」

 なおも気にかけてくれる柘榴に「ちょっと考えごとしてただけだから」と笑いかける。

 霹靂神のライブに向け、五月に入ってからレッスンが始まった。今日は霹靂神の事務所の地下にある練習室で五人そろっての特訓である。

 カレンデュラがライブで披露するのは二曲だ。一つはホリデイでも歌った玲央のデビュー曲だが、もう一つはまだ玲央がステージ上で歌唱したことのないもので、懸命にステージ上での動きを頭に叩きこんでいる。

 さらにアンコールで霹靂神が一曲歌うのだが、これにカレンデュラも加わることになった。そのため振り付けや歌詞を覚えなければならないのだが、いまいち集中できない。それを柘榴に見抜かれたのだ。

 現在は休憩時間で、初雪は輝恭と菊司になにか話しかけてステップを踏む。一曲だけ霹靂神の曲を歌うことになり、動きを確認しているのだろう。その背中を見るともなしに眺めて、玲央は腕を大きく上に伸ばした。

「初雪さんすごいね。すんなり霹靂神のダンス踊れてる」

「歌うのデビュー曲だし、ほかの曲より踊ってきたはずだから体が覚えてるんだと思うよ。あ、玲央くんゼリー食べる? 気分転換になるんじゃないかな」

「ううん、今はいいや。気持ちだけ受けとっとく」

「……ねえ。本当に大丈夫?」

 柘榴は一口タイプのゼリーを差し出したまま、玲央の目をじっと見つめてくる。なにか探るような眼差しから逃れるように、咄嗟に背を背けてしまった。

 ミニドラマのオーディションの結果が出たのは三日前だ。助手役は別の若手俳優が射止め、つまり玲央は不合格だった。

 当然だろう。面接の出来はひどかったのだから。

 控室で動揺させられたのが想像以上に尾を引き、気持ちを切りかえようとすればするほど焦って演技がぶれた。台詞に感情がうまく乗らずに棒読みがちになり、表情も終始硬かった自覚がある。

 会場を出た時点で不合格はある程度予想していたけれど、いざ結果を聞くと不甲斐なさで潰れそうだった。

 もっと出来ることがあったのではないか、もっとこうしていればよかった。後悔はいくらでも湧いてくる。数日経っても反省の思考は抜けず集中力を欠き、普段なら一、二度見れば覚えられる振り付けもすんなり頭に入ってこない。

 ――こんなんじゃ駄目だって分かってるんだけど。

 表面的にでも取り繕わなければ余計な心配をかけてしまう。玲央は柘榴に向き直り「気にし過ぎだって」と何度も手を振った。

「ほらオレ今年受験生でしょ。進路どうしようかなー、今の成績だとここは難しいかなーとか考えてて。テスト勉強もあるしさ。それでちょっと寝不足なだけ」

「学生は大変だね」

 時期的に不自然な言い訳ではない。柘榴も納得してくれたのか、しきりにうなずきながら玲央の手にゼリーを握らせてくる。

「無理しすぎちゃ駄目だよ。ほどほどにね。今日は家に帰ったらちゃんと寝ること。分かった?」

「うん。分かった」

「良い返事。じゃあそれ食べたら再開しよう。なかなか五人全員そろうことないし、時間は大切にしないとね」

 柘榴は疲れを見せない足取りで初雪たちに近づき、同じようにゼリーを配って回る。輝恭になにかしら絡んでは鬱陶しげに頬を押し返されているが、なぜか妙に嬉しそうだ。

 ぺり、と蓋をめくって、歪なハートに似た容器からゼリーを押し出す。桃のほんのり甘い風味が、一瞬だけ疲れも後悔も忘れさせてくれた。

 ――そうだ。今は目の前のことに集中しないと。

 柘榴が言っていたように、五人全員が揃う日は限られている。一秒も無駄に出来ない。

 練習再開後、先ほどに比べれば集中力も戻って振り付けも覚えられた。けれどふとした瞬間にまた後悔が胸によみがえり、動きの順序を間違えるなどミスをしてしまったりもした。

 ――もともと霹靂神だった初雪さんはともかく、柘榴先輩は二人の見本を一回見ただけでちゃんと踊れてるのに。

 ――これも才能、なのかな。

 玲央のダンス技術を見出してくれたのは初雪だ。だが果たして自分に彼らほどの才能があるのだろうか。何度もミスをくり返して、そのたびに流れを止めて足を引っ張っているのに。

 ――あ、駄目だ。

「玲央くん?」

 再び柘榴が声をかけてくる。心配されるより先に「大丈夫」と答えるべく彼を見るが、視界があやふやに滲んでいた。言葉も明確な音にならず、掠れた空気だけが唇の隙間からこぼれ落ちる。

「どうした玲央」肩を揺すってきたのは初雪だ。ぼやけた視界の中で、初雪の表情は明らかに色を失っていた。「なんで泣いてるんだ」

「な、泣いてない」

「顔中べたべたにしといて誤魔化せると思ってるのか。ちょっと待て、ハンカチ貸してやるから」

「どこか痛めた? 動きも鈍ってたし、足首とか捻ってない?」

「過保護な親かよ」

 柘榴は輝恭が呆れるのを受け流し、玲央を壁際に座らせてくる。初雪にもハンカチを渡され、素直に頬と目元を拭った。

「良かったら使って」と菊司には湿布を差し出され、挙句あやすように背中まで擦られた。輝恭だけは一歩離れたところにいるものの、こちらを気にかけるように腕を組んでいる。

 これほど甘やかされるのは最年少だからだろうか。それとも未熟者と見られているのだろうか。ネガティブな方にばかり考えが向いて、思うように言葉が出てこない。

「ちょっと足見せて。腫れてないか確認するから」

「体は大丈夫。本当に。走ったり跳んだり出来るから」

「強がりで言ってない? 無理に動かしたら今後に影響してくるよ」

「〝体は〟っつってたの聞いてねえのかよ、お前は」

 はー、と長々息を吐いて、輝恭が柘榴の後頭部を軽く叩く。「いたっ」と小声で訴えられたのを無視して、玲央の前にしゃがみこんできた。ジャージと金髪といういで立ちでのポーズは、深夜のコンビニにたむろしている不良を想起させる。

「問題があんのは精神の方なんじゃねえの」

「……えっと」

「じゃなきゃ意味もなく泣いたりしねえだろ。おら、とっとと白状しろ」

「おいテルヤス。なんだその脅迫みたいな」

「この犬っころがお前と似たような目ぇしてたからだろうが」

 輝恭は初雪を睨みつけ、次いで玲央に視線を向けてくる。

 ――犬っころってもしかしてオレのこと? なんで犬?

 ――っていうか、それよりも。

 似たような目をしていたとはどういうことだ。すっかり湿ってしまったハンカチを握りしめ、玲央は洟をすすり言葉の続きを待った。

「練習中から思ってたけどな、お前踊るのあんま好きじゃねえの?」

「そっ、それはないです。好きです」

「だったらなんで打ちのめされたみてえな顔してたんだよ。全然楽しそうじゃなかったぞ。やらなきゃならねえから体動かしてる、みてえな。その顔が霹靂神を抜ける直前のニチカとそっくりだったんだよ」

 霹靂神を脱退した頃の初雪は、話を聞く限り精神的に追いつめられていたように思う。それと酷似していたということは、自分で思う以上にひどい顔だったのだろう。

「ニチカが霹靂神から離れたのは、自分の技術が俺に及ばねえと思ったのが原因だ。なあ、お前も似たようなこと考えてたんじゃねえのか」

「……それ、は」

 図星とは言わないまでも、近しいことを言い当てられている。秀でた観察眼は過去の経験からもたらされたものか。

 玲央が言い淀んだのを肯定と受け取ったらしい。輝恭は親指を立て、柘榴と初雪を交互に示した。

「片目野郎とニチカの前だと言いにくいなら、どっか追いやるぞ」

「え、輝恭さん僕のことそんな風に呼んでるんですか?」

「見た目のまんまで呼んでなんの文句がある」

「せめて名字呼びに変えていただけません? 前髪下ろしてるのは仕事中だけですし」

「気が向いたらな。つーか黙ってろ。俺は今犬っころと話してんだ。――で、どうする?」

 玲央が望めば、柘榴と初雪は部屋の外に出てくれるはずだ。

 しかし自分が二人の立場だったら、悩みや苦しみを相談してほしいと思うに違いない。隠されれば隠されるほど心配は増し、少しでも力になりたいと願うだろう。

 この状況で「なんともない」は通じない。玲央はきゅっと唇を噛み、抱えていた思いをぽつぽつと吐露した。

「オレこの前、ミニドラマのオーディション受けたんです。落ちちゃったんですけど、なんで練習の通りに出来なかったんだろうとか、演技の才能無いのかなあとか、考えちゃって。今練習してるダンスも、柘榴先輩は磯沢さんたちの動きをすぐに覚えたのに、オレなんて全然追いついてなくて。オーディション落ちたショックもありますけど、そんなの言い訳でしょ? 何回も動き止めちゃったし、今もみんなの時間奪っちゃってるし」

 声が何度も震えて、語れば語るほどにまた涙ぐんでしまう。それでも輝恭たちは急かしたりせず、玲央が話し終えるのを待ってくれている。

「前に柘榴先輩が言ってたんです。『人は誰だってなにかしら才能を持ってる』『僕の場合は歌って踊れる才能を持ってた』って。確かにそうだよな、じゃあオレはどうなんだろうって考えて……ひょっとしてオレ」

「才能無いんじゃねえかってか」

 輝恭に言葉を継がれ、玲央は緩慢にうなずいて膝に額を落とした。

「まあ確かに、片目野郎とニチカに比べりゃあお前はまだまだだな」

 正面から飛んできたのは、外部から見た正直な評価だった。容赦なく現実を突きつけられてありがたい反面、胸を深く抉られた心地になる。

「やっぱり、そうですよね」

「話を終わらそうとしてんじゃねえ」

 顔をあげるよう促されて素直に従うと、額に強い衝撃を受けた。

 輝恭が突然指で弾いてきたのだ。あまりの痛みに一瞬目の前に星が散る。

「いいこと教えてやる。この世界、どいつもこいつも才能持ってるわけじゃねえぞ」

「え……」

「むしろンなもん持ってるやつの方が一握りだ。じゃあ才能無えやつがどうやって居場所を見つけてくと思う。――単純な話だ。努力してんだよ」

「……磯沢さんもですか?」

「当たり前だろうが」

 意外な返答に目を丸くしてしまう。玲央から見れば輝恭は〝一握り〟の側の部類なのに、彼自身はそうでないと言う。

「才能あるように見えてんならそりゃ努力の結果だ。自分になにが出来てなにが出来ねえか見極めて、一個一個弱点を潰してった成果が今の俺なんだよ。出来ねえことがあって、それを才能ねえからの一言で片付けんのはただの諦めだ。才能無かろうがやれるだけのことやって、それでも無理だってんなら逃げてもいい。犬っころ、お前はどうしたい?」

「……諦めたくないです。逃げたくもないです」

「だったら諦めてねえで踏ん張れ。凹んで立ち止まってる暇があんなら、自分の伸ばせる部分を考えろ。なにもかも『才能』の一言で片づけんな。逃げてもいいのは打てる手を打ち尽くしてからだ。分かったか」

 ぐしゃぐしゃと髪をかき回され、玲央はくぐもった声で「はい」と返答した。輝恭の後ろでは初雪が肩をすくめて苦笑している。自分も言われている気分になったらしい。

 諦めたくない、逃げたくない。どちらも紛れもない本心だ。見失いかけていたそれを手に掴み、前を向く気力が芽生えてくる。

 玲央は目尻に残っていた涙を指で払い、膝を叩いて立ち上がった。

「ご迷惑をおかけしてすみませんでした。もう大丈夫です」

「その『大丈夫』は強がりじゃなさそうだな、悪くねえ。んじゃ十分後に再開すんぞ」

 輝恭は最後にもう一度だけ玲央を撫でる。玲央を犬っころと呼んだ通り、その手つきは犬を褒める時のそれに近い。

 霹靂神の二人はカレンデュラに気を遣ったのか、「飲み物買ってくる」と練習室から出て行った。扉が閉まって間もなく、柘榴が小さく肩をすくめる。

「オーディション受けてたなんて知らなかったよ。初雪さんは?」

「俺も初耳だ。いつやったんだ?」

「新学期始まってすぐくらい。結果出たのがついこの前で……柘榴先輩も初雪さんもさ、アイドル以外の分野で活躍してるじゃん。オレもそういう風になれるチャンスかなって受けたんだけど、さっき言った通り落ちちゃったんだよね」

 本当はずっと言わずに隠しておくつもりだった。だがその決意がかえって重荷となり、無意識のうちにストレスになっていたらしい。打ち明けた途端に胸が軽くなり、肩から力が抜けていく。

「最近ずっと焦ってたんだ。柘榴先輩や初雪さんみたいにならなきゃって。でも磯沢さんに言われて気づいた。オレがまず伸ばさなきゃいけないのは、一番大事なアイドルとしての実力なんだ」

 他のことに手を出すのはそれからだ。挑戦は決して悪くないだろうけれど、失敗するたびに立ち止まっていてはかえってマイナスになる。

「だから二人とも、これからはオレを甘やかさないで」キッと目頭に力をこめて、玲央は二人の顔を見上げた。「じゃないとオレ、なかなか成長出来ないと思うから」

「だそうだぞ、柘榴。どうする」

「どうするもなにも、それが玲央くんの望みなら」

 ただし、と柘榴は目を細めて意地悪く笑う。

「今までの比にならないくらい厳しくなるかもしれないよ。その覚悟は出来てる?」

「望むところ。柘榴先輩こそ、オレが簡単に挫けると思わないでよ。初雪さんもね」

「分かってる。というか、ありがとうな玲央。お前のおかげでテルヤスのことを一つ知れた」

 初雪には輝恭が才能の塊に見えていたはずだ。だが先ほど本人から努力の一言が飛び出して驚いたとみえる。周囲に悟らせなかっただけで、彼は最前線に立ち続けられるだけの努力を重ねてきたのだろう。

「おら、適当にペットボトル買ってきたぞ」

 練習室に戻って来るなり、輝恭がスポーツドリンクを押しつけてくる。

 礼を言って玲央は唇を湿らせる程度に口をつけた。

 ――もう迷わない。

 諦めと後悔を甘い液体とともに胃の奥に流しこむ。目標が定まったことで視界はどこまでも澄んでいた。決心の炎は瞳と胸の奥に煌々と灯り、この先揺らいだとしても消えることはないと強く思えた。

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