第17話 初めてのキス
平成五年 正月。ここは東北有数の名所、浄土ヶ浜。寒い夕暮れ時、健と小夜子は寒稽古を終えようとしていた。小夜子は大学を卒業してからM市の観光会社に勤めていた。健は寺の手伝いや道場の手伝いなど、今や逞しく成長していた。
そして今では、道場で若い門下生にも、健は指導出来る程までなっていた。
浄土ヶ浜を走る二人、息が凍るほどの寒さであるが十キロもランニングしてきた二人には、この寒さも心地いいぐらいだ。
冷たい風が頬にあたり、冬の三陸海岸の厳しさが伝わってくる。
「師匠や小夜ちゃんのお陰だよ。それに早紀ちゃんが幸せを掴めそうだし」
健は白い歯で微笑んだ。あの四年前が嘘のように心の霧が取れていた。
今では寺に合気道を習いに来る門下生や小夜子の両親も二人の仲を認めている。
堀内さんから健くん、そして健となり、健もまた小夜子を小夜子さんから小夜ちゃんと呼び名が変っていた。
「ねえ健、これからどうするの?」
小夜子は寂しそうな眼で健の顔を覗く。健は心の修行はほぼ終っていた。
もしかして健が何処かに行くんじゃないかと云う一抹の不安が小夜子にはあった。
その問いに、少し考え込んでから健は言った。確かに病んだ心は消えつつあるが。
「そうだね……原田の墓参りをしてから決めるよ」
遠い眼で、あの悲劇が脳裏を掠めた。そして一生の償いと心に決めていたのだ。
原田なら分かってくれる。一緒に小夜子を連れて墓参りする事を。
小夜子は、そんな健の病んだ心を少しでも優しく包んで上げようと誓った。
二人は黙ったままだ。浜辺のさざ波だけが聞こえてくる。
今その思いが込み上げた。健は小夜子の瞳を見つめる。あれから四年の時が過ぎた。
やっと今なら言える。薄暗くなった海岸を二人は眺めていた。
肩を引き寄せて小夜子を見つめた……小夜子は何も言わない。
黙って健を見つめる。いつまでも、この瞬間が永遠に続いて欲しいと二人は願った。
人を愛する事、そして愛される事の幸せは、何ごとにも代えがたい。
さざ波の音がザア~と何故か大きな音となって二人を包み沈黙がつづく。小夜子の瞳が潤む、頬に涙がこぼれ瞳を閉じた。健は肩に力を込めて小夜子を優しく引き寄せる。
小夜子は静かに眼を閉じた。健はそっと小夜子の唇にキスをする。
二人の唇は小刻みに震えていた。長い時間二人は肩を寄せ合い寒さも感じない恋人同士であった。今やっと二人の思いが繋がったのだ。今まで一言も互いに、その恋の想いを話した事はなかった。今は言ってはいけない、言うべき時期じゃないと思っていたから。それがやっと言えると。そして原田に報告しようと決めた。
この恋は長い間の葛藤から、やっと抜け出して生まれた。もう健に迷いはなかった。
二人のこの恋は本物だろう。三年半もの間、暖めて来た恋だから強い愛が生まれるだろう。やがて夕闇のカーテンが二人を包んでいった。
つづく
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