封印ロンリネス

永坂暖日

プロローグ

プロローグ


 芽吹いたばかりの若葉がみずみずしく輝くさまは、スクル神がまるで言祝いでおられるようではないか。この世界をお造りになった神の右目から注ぐ光を浴び、あの木々の隧道を通る者は、祝福されていると感じたことだろう。

 その先に広がる青空と、瀟洒でも壮麗でもないものの荘厳で、森の奥にあるとは思えない巨大な神殿を目の当たりにして、己が身に注ぐ祝福を確信したに違いない。

 だが同時に、不安にも襲われたはずだ。

 神殿の周囲には、それまでの道のりと同じく――あるいはそれ以上にたくさんの人間が集まっている。それを見て、自分の番はいつになるのか、と。

 焦ることはない。待っていれば、いずれ必ず順番は巡ってくる。ここへ辿り着き、いつともしれぬ己の番を待てる者だけが、遠路はるばる旅した甲斐を得られるのだ。あの神殿におわすのは、スクル神の化身のごとき力をお持ちのお方なのだから。

 ここまで来ながら、いつになるとも分からぬものなど待てぬと駄々をこねてよいのは、相応のお布施を持参した者だけ。お布施の数と量で、順番はいくらか繰り上がる。

 それも知らずに我が儘を通そうとするのなら、道は二つ。神殿を守る守護者達を倒して、奥に在すお方にお目通りするか、守護者達に倒されるか。もっとも、前者の例は未だかつてないという話。

 それでもなお、あの屈強きわまりない者達に果敢に挑もうというのなら、それも結構。順番を待つ者達の暇つぶしにはなろう。

 さあ、お布施を支払えぬならおとなしく待つか、諦めて帰るか、悪足掻きをするか――好きに選ぶがいい。


   ●


 そこの空気は澱んでいた。次々と入っては出ていく人々が吐いた言葉がこの場に留まり、いつまでも漂って出ていかないからだ。

 それはやがて澱となり、まとわりついて、肌を通して染み込んでくる。薄い皮膚の下を流れる血に溶け込み、体中くまなく巡って、すみずみまで行き渡らせるのだ。

 きっとそうやって自分の『力』は少しずつ強くなっていったのだろう、と彼は思っていた。

 いいことなのだ、たぶん。

 皆が彼にそれを望んでいるのだ。より強く望まれ、より強く求められる姿に、皆がしてくれるのだ。

 そして、皆がそうしてくれたおかげで、今や神殿の主である。スクル神の化身だ、という者もいる。自分がそんなたいそうな神様とはちっとも思えないけれど、人々は崇め、かしずき、拝む。

 いいことなのだ、きっと。

 たとえ空を、雲を、星を、月を、日の光を、雨や風の音――スクル神がこの世にもたらし、神々の営みによって生まれるそれらを最後に感じたのがいつなのか、もはや分からなくなってしまっていても。身の丈に合わない、座り心地の悪い椅子から滅多に立ち上がることもなく、床につくこともなくなっていても。

 皆がそれを望み、彼には『力』があるのだから。

 左右には常に、武器を携えた者が控えている。時々入れ替わっているようだが、その顔にも名にも、とっくに興味を失っていた。話しかけても、それよりも訪う者の話を、と返されるだけだからだ。

「――次の者です」

 前の者が去れば、また次の者が、幾重にもなる帳の向こうから現れる。彼の前に進み出て額ずき、許しを得てその手を取ると、いずれ澱となる言葉を口にする。

 どうせ、右の耳から入って左から出て行くだけ。真摯に耳を傾けなくとも、それらしいふりをしておけばいい。前の者と同じように。

「お目にかかれて光栄にございます」

 二人分の声に、彼はわずかに眉を動かした。

 緊張に震え、あるいは浮かれ、あるいは舞い上がり、あるいは恐れおののく声は、数え切れないほど耳を通り抜けていった。

 だが、このようにどこか険しく厳しい声は、久しく聞いていない。それも、同時に二人分。

「お願いがございます。ですがその前に一つ、伺いたいこともございます。よろしいでしょうか」

 次に口を開いたのは、年上とおぼしき方だった。年下の方は、黙ってこちらを見ている。二人は、似た顔立ちをしていた。

 兄らしき男は慇懃な物言いだが、口調は強かった。目つきも。

 左右に控える者達が動き出そうとするのを、彼は手を上げて制した。

「……話を聞くのが役目だからね。いいよ」

「ありがたく存じます」

 恭しく頭を下げるその男の話を、いつもと違ってしっかりと聞こうと思ったのは、彼らが他の者達と違っていたからだ。

 澱となる言葉ではなく、違う何か――決意のようなものを、二人が携えているように思えたからだ。

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