01.代替わり 1

 山も森も手が届く距離で、けれど隣の里には急いでも半日以上かかる。要するに、ここは辺鄙な里だ。ティサと呼ばれている。

 この里より奥には何もないので、訪れるのはティサに用のある者だけだが、頻繁にはいない。隣の里ですら、ここの存在を知らない者がいるとか。

 もっとも、その隣の里にさえ行ったことがないリアノスにとって、ティサがすべてであり、すべてはこの里の中で完結していた。

 けれど、リアノスはそれに不足を感じていなかったし、何の不便も不満もなかったのだ。

 物心ついた頃から、そうだった。ティサに、彼のすべてがあったのだから、離れたところにもっと大きく、たくさんの人々が住んでいる里があると知っていても、行ってみたいとは思わなかった。

 いや、もしかしたら、物心つく前には、行ってみたいと駄々をこねたことはあるのかもしれない。だけど、そんな気持ちは長くは続かなかっただろうし、いつまでもは持ち続けなかった。

 この里がリアノスの居場所であり、生きていくべき場所なのだ。たとえ一時でも、離れるなど、今となってはあり得ない。

 離れない、ずっとそばにいる、と誓ったのだから。


   ●


 ティサの最奥部、もはや森の中といっても差し支えない場所に、緑に飲み込まれた古い古い建造物があった。木の根と枝で支えられてかろうじて残っているのは、崩れかかった入り口と、一部の壁や柱と、最も重要な一室だけ。

 里に残る言い伝えでは、かつても森の奥であったが、緑に映える立派な建物だったらしい。壁や柱、そこにうっすらと残る装飾の跡から、言い伝えは嘘ではないと分かる。だが、かつての面影はその程度。健在であった頃の姿は想像するしかない。

 ここは、遠い昔、神殿だったそうだ。世界を創造したスクル神を奉っている、とまだ事情を知らない幼い子供や、他の里の者は思うだろう。だが、スクル神のためのものであれば、こんな廃墟同然にはなっていない。

 ここがかつてどれほど立派だったかどうか、リアノスには関係ない。たぶん、ティサの他の者にとってもそれは同じだ。

 大事なのは、かつての姿を留めることではないのだ。

 里の最奥部にある廃墟同然の神殿の、更に奥にあるもの――それこそが、ティサの者にとって、そしてリアノスにとって、大事だった。

 人がやっと通れる隙間を通るように入り口をくぐり、細い通路を進む。所々に石畳が残るが、ここもまた森の神ノハリアの領域になりつつある。それでも、もはや歩き慣れた道なので、角灯の灯りがあれば木の根に足を取られることもなく、明るい森の中を歩くのと大差ない。

 崩れそうで崩れない天井が、やがて高い位置に移る。角灯の灯りだけでは、とてもすべてを照らし出せない空間が広がっていた。

 神殿の一部は、元からあった洞窟を利用したらしい。人が通る場所の地面は平らに削ってあるが、それ以外はごつごつとした岩肌がそのままである。ノハリア神の手も足も、ここには届いていない。

 空間の奥に、石造りの椅子があった。廃墟めいた中にあって、その椅子の装飾だけが、歴史を感じさせるものの、荒廃した雰囲気と遠かった。

 立派な椅子である。リアノスのような大のおとなが座って、つま先が地面に届くくらい。背もたれは、頭一つ分は大きい。その椅子に今は――。 

 リアノスは椅子のすぐ手前で立ち止まり、角灯を軽く掲げた。橙色の灯りが、深く腰掛ける少女の顔に、しっかりとした陰影を落とす。椅子が大きいから、少女のつま先は地面に届いていない。

 森の緑と同じ色の瞳は、今は瞼の下に隠れている。淡い色の唇もしっかりと閉じていて、かすかに上下する胸の動きだけが、彼女が生きていることを示していた。

「……アミシャ」

 少女の名を口にする。それは呼びかけるためというより、彼女の名を忘れないためだった。

 呼んでも応えはなく、しかし名を口にしなければ、いずれ忘れてしまうかもしれない。そのどちらの状況も、やるせなく悲しかった。

 けれど、これがリアノスと、アミシャのさだめなのだ。いつかこうなると、二人とも知っていた。覚悟もしていた。

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