とんがり帽子に魔女の誇りを

@kakutomumono

とんがり帽子に魔女の誇りを

 ——これは、一人の魔女と一匹の使い魔のある一日の奮闘記である




 朝日がノワの顔を照らし、ノワはせっかく開けた瞳をまた閉じた。それから両の目を手でもむと、今度は窓から目を背けて起き上がる。それから朝の光に二、三度瞳を瞬かせた。

 おかしい、いつもはこんなに光が入ってこないのにと窓の方を確認すれば、いつもはちょうどいいくらいに光を遮ってくれる木々の葉が窓の形に沿って無くなっている。

「……え」

 あわてて窓を開けると、勢いで上半身が空に乗り出し、どうにかギリギリで窓の縁を掴んだ。肩で切りそろえられた黒髪がバサリと音を立てて視界に落ち、耳元で風をきる音がしてヒュッと心臓が縮む。ここは二階にあたる部屋で、運が悪くない限り落ちて死ぬことはないだろうがそれでも数日分の寿命が縮んだような気がした。

「にゃーお」

「……おはようノーチェ。昨日はどうした、いつの間にかいなくなっていたが」

 鳴き声は下の方から聞こえてくる。そちらを向けば、無くなったはずの枝と葉っぱの上にちょこんと黒い毛玉、もとい使い魔のノーチェが座っていた。ノーチェがタンっと前足で葉っぱを叩くと、するすると枝が伸びてノーチェを窓まで運んでくる。ツンとすました顔でノワの横を軽やかに通り過ぎると、ペリドットの瞳に光を反射させながら我が物顔で彼女の部屋に侵入した。

 どうやら木は無くなっていたのではなく、小さく縮こまっていただけらしい。ノーチェがいなくなると、老人が立ち上がるかのようにゆさゆさと幹が背筋を伸ばし、枝を広げ、葉は日を浴びようと広がっていく。あっという間に眼前は木の緑で覆われ、葉はもうノワの顔と同じくらいにまで大きくなっていた。

「にゃーご」

「……分かった。行こう」

 これしきで驚くなと言いたげな使い魔の声に、誰のせいでこうなったんだというニュアンスをたっぷりこめて答えてやる。漆黒の瞳で睨むも、ノーチェはゆらゆらとご自慢の尻尾をこれまたお上品に振っているだけ。

 ため息を吐きながらベットからおりる。床についた裸足の足にひんやりとした温度が届いて、指を縮こませた。そのまま絨毯の上めがけて跳ぶと、目の前にあるのはノワの身長の軽く二倍はありそうな棚。

 魔法瓶、炎獣の毛、彗星のカケラ、羽ペンにラパンチェラの洋紙、金平糖のキャンドル。

 歌うように読み上げると、棚はぷるぷると震え、忙しなく動きだす。扉は音を立てて開閉し、危うくノワの顔にぶつかりそうになった。

「わっ……気をつけてくれよ」

 ボソリと呟くと、こんな朝早くから働かせる方が悪いとでも言いたげになおいっそう音を立てて動く棚。うるさい。

「おい、そんなに動いて壊れてもすぐに修理はできないからな、って……やっぱり」

  急に騒音が聞こえなくなったかと思えば、棚は突然失速し、ぷすりぷすりと黒くなった木片を吐き出す。リン、と頭についた鈴を弱々しく鳴らし、ノワに言われた道具を空中に向けて投げつけたのを最後に棚は動かなくなった。

 投げられた道具たちを床すれすれで抱え上げると、ノワの腕の中で魔法瓶と羽ペンのぶつかる音が響いて心臓が飛び跳ねる。恐る恐る無事を確認し、ほっと息をついた。

「……お疲れ様。次はもう少し丁寧に仕事をしてくれると嬉しい」

 そう半眼で棚を睨みつけるが、もうすでにダウンしているようで彼はぺッと面白くなさそうに木片を吐き出すのみ。ノワはそれを一瞥すると、準備を再開した。今しがた棚が用意してくれた道具を鞄の中にしまいこむ。魔法瓶、炎獣の毛……うん、そろってる。

 階下から階段を上がってくる規則正しい音が聞こえ、トントンとノックの音が部屋に響く。

「ノワ、大丈夫? すごい音がしたけど」

「母さん。待って今開けるから」

 地面に散乱した木屑を裸足の足で踏まないよう避けながらドアに到着し、鍵を開ける。ドアから顔を覗かせたママ魔女は、まあ、と小さく呆れたような息をついた。

「もう古くなっていたのかしら。それにしてもすごい汚し方。帰ってから片付けなさいね」

「うそ、母さん。これを?」

 あの憎き棚の木片やら木屑やらで絨毯はすっかり汚れきってしまっているし、もちろんその周りに置いてあった机や本の類も被害を受けている。とてもじゃないが、一人でやるには時間がかかりすぎる。

「当たり前じゃない。これじゃあ修理士を呼ぶにも汚すぎるし、母さんは今日魔女会に行ってくるからできるのはあなただけじゃない」

「……ただのお茶会のくせに」

「あら、生意気を言っていると悪魔に食べられちゃうわよ」

 うふふと楽しげな笑い声を残してパタンとドアが閉められる。全く、何をしにきたんだ。

 今日はついてない。

「にゃー」

 ドアから使い魔の声をする方に目を向ければ、いつのまにか移動していたノーチェは前足で時計を揺らしている。こっちが途方に暮れているのにそちらはお気楽ですねぇと言おうとしたが、時計の針を見てそんなことは一気に吹き飛んだ。

「時間!」

 慌てて壁にかけてあるマントを羽織り、鞄を掴み靴を履いて、木々が生い茂っているのと逆の方の窓の淵に足をかける。眼前にはなだらかな坂と赤い屋根が悠々と連なっていた。空には自由に飛ぶことを許された鳥が飛んでいる。風に煽られマントとカーテンが派手に踊った。

「……ヨゼカ」

「にゃー!」

 今にもホウキを呼び出そうとしていると、またもやノーチェの声がする。かと思えばそちらを向く間もなく頭に何かがのっけられ、視界が一気に遮られた。

「ちょ、危ないだろ!」

 手でつばを一気に押し上げれば、装飾品のぶつかるかすかな音が届き、とんがり帽子の存在を思い出す。

 だめだ、すっかり忘れていた。

 しっかりしてくれとノーチェが私の靴にパンチをし、気まずくなったノワは参ったと空をあおぐ。とんがり帽子は全ての魔女の魔女たる証、それを忘れて行くところであった。

「しかないだろ。あまり好きではないのだから」

 昔ながらの古めかしいそれは、随分と長い間使っているせいでところどころ色褪せていた。

 パチンと指を鳴らした。風が巻き起こり、ホウキはノワの手のひらめがけて飛び込んできた。風がまた一段と強くなる。マントがはためき、布と布のはためく音があたりを支配する。

「にゃごっ!」

 ノーチェが布と布にもまれてあげた悲鳴をホウキの尾にのせながら、鋭い風とともに未熟な魔女はとびたった。

 いざ、王立魔法学園へ。




 学生ならば親の子守唄よりも聞くことになる鐘の音は、今日の時程が全て終わったことを告げる。授業が始まるときはなんとも気だるげな音を出すというのに、一日の終わりの鐘だけはやけに明るく聞こえてしまうのはなぜだろう。

 ノワとてその一人であった。この後の予定なんてないに等しいが、少なくともこの身が自由になった、ような気がしなくもなくもなくて。一方通行の螺旋階段を登れば、ものの十数秒で空の昇降口へ。すぅっ、はぁ。すぅっ、はぁ。息を吸って呼吸を整える。一番上の階に昇降口があるのは朝はとても便利なのに、やっぱり夕方に登るとなると疲れてしまう。

 朝よりも数段うるさい生徒たちの声が辺りに散乱している、そんな場所。各学年の色のマントに、各々の好きなとんがり帽子。足元に肩に空中に使い魔たち。とんがり帽子なんて外に出てからつければいいのにと思う。こんなところだと邪魔でしかない。大きくて、ものによってはじゃらじゃらと装飾がついていて、遠目からも自分がそこにいることを主張する。なんかそれって、嫌だ。

 ホウキ休憩所の前に、なんとなく生徒が列になっている。形の定まらないそれに、ノワもまた適当に並ぶ。

 帰ったら棚の片付けをしなければいけない。それから、歴史学の復習と天然石の補充も。

 あぁ、それから、


————-今日も平和でいられますように。


「おい! お前! そこの黒髪おかっぱ!! 今日こそ話を最後まで聞けよなぁ!! な!!!」

「…………………………ノーチェ、行こうか」

「にゃ」

 地響きのような声に、おしゃべりをしていた者は一斉に口を閉し何が起こったのかと辺りを見回す。その隙にノワは気配を殺して前へ進んだ。順番抜かしだと思われるかもしれないが、背に腹はかえられぬ。

 そいつを見つけるのはだだっ広い荒原に立っている巨木を見つけるのと同じくらい易しいことだ。他の生徒よりも頭ひとつ分高い背に、明るい金髪、そして雑草色——コホン、本人曰くドラゴンナイトの瞳。制服である黒を基調としたマントだけが普通すぎて、逆に違和感しかない存在感ありすぎ究極迷惑野郎。それが、

「おい待ってって! オグルの名前を忘れたとは言わせねぇぞ、ノワ!」

「お願いだから名前を呼ぶな大馬鹿野郎」

 壁にかけられている大量のホウキから自分のものを見つけ、そいつを呼ぼうと手を伸ばす。呪文を紡ごうとしたが、耳に届いたのは低い声と水の呪文。反射的に指を引っ込め、その手の横スレスレを水の塊が通過した。水はそのまま壁に突き当たり、ビシャリと周りに飛び散って消えた。人様のホウキを濡らし、人様のマントを汚しながら、だ。

「ぎゃ! ちょっとこれ、どうしてくれるのよ、オグル!」

「ぼ、ぼくのせっかくのホウキが……老舗の店のやつでタンザナイトが埋め込まれている特注品なのに……」

「悪い悪い! そこら辺は『上』に対処願ってくれ!」

「はぁ? 信じらんない!」

 被害者たちが一斉に糾弾しはじめるが、本人はどこ吹く風。その声が確実に大きくなっている。近づいている。

 最悪だ。

 あいつの魔法だと思うとハンカチすら使いたくない。少しかかった水滴を腕をふってとばす。それから腕を伸ばしてホウキに手のひらを向け、小さな声で呪文を呟いた。

「ヨゼカ、ニテノ・コ」

「おいおい! 待てよこの馬鹿魔女!」

「そろそろ黙れ!!」

 思わず叫ぶと同時にホウキがこちらめがけて飛んできて、足元にいたノーチェは尻尾をピンと立てて高くジャンプ。ホウキははかったように空中のノーチェの下を通ると、ノワはパシッと小気味の良い音をたててホウキを捕まえた。

 そのまま一気に大きく開け放たれた扉へとかけていく。待てよっ!  と叫ぶ声が高い高い吹き抜けの天井に反響して余計に大きく聞こえた。その反響に駆り立てられるようにノワは扉のふちぎりぎりまで歩を進める。あと一歩進めば確実に落ちてしまうような位置で、下からビュゥゥと音を立てて吹く風に足が震えた。階下には巨大な螺旋状の校舎が貝のように広がっていて、またその奥には雲と草原が地平線の彼方まで続いている。

 何度も空を飛んだことはあるのに、どうしてもこの高さから飛ぶのは慣れない。

「なぁ、話ぐらい聞いてくれたっていいだろ!」

「ノーチェ、行くぞ」

 どうやら怖気付いている時間は一ミリもないみたいだ。ホウキに足をかけ、ホウキの尾は使い魔の重さで少しだけしなる。

 さーん、にぃ、いち!

 タッと空に飛び出し、一気に高度が下がる。短い髪は上へ巻き上がり、ホウキの尾は壁に当たってカザリと音を立てた。ホウキの頭を斜め上に上げ、高度を上げる。ふわりとマントが舞った。噛み付くような風の音も、飛んでる間は心地よい。

「飛べるのはお前だけじゃねぇーからな!」

 そんなことはとうに分かっている。後方からこれまた無駄に大きな声で呪文を叫ぶ声が響き、彼のやけにゴツいホウキが走りだそうとする。 

 ぎゃっ、やめろっ、なんて声も一緒に届くのは彼が昇降口のど真ん中でホウキをまたぎだしたからに違いない……そんなこと分かりたくもないが。

「ノーチェ、しっかり捕まっていろ」

「にゃ?にゃっ、なーご!」

追いつかれる気など毛頭ない。ぐんっと体を前のめりにし、爆発するかのようにスピードを上げる。空を駆ける。髪は舞ってマントは踊り、使い魔は声も上げられぬ。

「待てって!お前に悪い話じゃねぇんだよ!ちょっと友達にな……とが…るだけだ!!」

「知るか」

 だんだんと男の声が小さくなっていく。あの体全体から発せられるような声も、距離をとってしまえばそよ風といっても変わりはない……いや、それは風に失礼か。じゃあ何に例えようかと考えるけれど、何に例えてもそれが不憫に思えてならない。結局、あのうるさいやつを表す言葉は見つからなかった。

「にゃー!」

 ホウキからずり落ちまいと必死にしがみついていたノーチェがそろそろスピードを落とせと抗議の声をあげる。ノワは数秒考えると、少しずつスピードを落とした。多分、多分、あいつももう追いかけてこないはずだ。

 シャーシャーとノーチェがマントをかく音と怒りの声が聞こえ、ノワは慌ててマントを手繰り寄せる。片手運転になってしまうが、マントを破られるとママ魔女に怒られるのはこちらだ。あの優しい笑みを浮かべながら落ちる雷の怖さといったら。今日はもう棚が壊れてしまっているし、これ以上厄介ごとは抱え込みたくない。

「ノーチェ、やめろ。爪をとぐならせめてホウキにしてくれ」

「シャー!」

 私の存在を忘れるな、自分勝手に行動するなといったところか。見ればふわふわの彼女ご自慢の毛が、風のせいで四方八方に広がっている。黒い毛玉の完成だ。

「すまない。だが、あいつに絡まれるともっと面倒だから……おやつは少し多めに用意しておくよ」

 黒い毛玉の顎を撫でると、やっと機嫌をなおしたようで。そのもふもふの毛を見ていると無性に抱き上げたい気持ちになる。

「よっと」

「ギャッ!」

「……ふかふかだ」

 両の手で彼女を捕まえると、柔らかい布団の香りがして、そのまま顔をうずめる。手離し運転に前を見ないときたら危ないことこの上ないが、少しぐらいいいだろう。

 少しぐらい、少しぐらいは……


「あ、危ない!」

「……へ」


 前方から聞こえた可愛らしい声に慌ててノーチェを顔面からひっぺがす。十数メートル先、ぶつかるまであと数秒といったところか。

「……はぁぁ!?」

「ひゃぁぁ!」

「ニャァァァァ!」

 手離し運転前方不注意のホウキ飛行者は、反射的にノーチェを空中に放り出してホウキを操作することぐらいしかできない。もっともそんなことでよけることなど不可能で、可哀想にノーチェは空を踊り、ホウキとホウキは仲良く墜落する。

「ホウキの頭を上にあげろ! スピードを落とせ、下におりるぞ!」

「へ? あ、はいぃ!」

 マントの舞う音がうるさいほどで、ノワは一人と一匹の被害者に叫ぶ。ビュンビュンと唸る風の音も、恐怖に早る鼓動のせいで聞こえない。下には魔法商店街の色とりどりの布でできた軒先がある。まだ高度が足りない、マントで視界が遮られる、迷ってる暇はない。

「飛び込むぞ!」

 叫ぶが早いがボスンという音が耳元でなり、一瞬体が宙に浮く。刹那の浮遊感のあと、腰に雷のような痛みが走った。その痛みに触発されたかのように音がむせるほどに飛び込んでくる。駆ける音、逃げろと注意を促す声、あぶねぇだろと怒る声、etc。

「イッ……」

 激痛に声も満足にあげられず、うめき声をもらした。ジンジンと痛むそれに、腰がいうことを聞いてくれず動けない。周りの大人子供、老若男女の冷たい目線が突き刺さり、居心地はすこぶる悪かった。

「……大丈夫、ですか?」

「なぁお」

 上から降ってきた声にパッと顔をあげる。ふわりと緩くカールがかかったカフェモカ色の髪をハーフアップにし、サクラの瞳を長いまつ毛の下に煌めかせた……妖精のような子が、店の布でできた軒先の上からこちらを見下ろしていた。どうやら地面に墜落したのは私だけらしく、少女とノワの投げ出した使い魔ですらそこに座っている。使い魔は、その口に少女のものであろうリボンのあしらわれたピンクと白で統一されたとんがり帽子をくわえながら、ノワに絶対零度の視線をむけていた。

 少女の姿を確認したノワは、黒曜石の瞳を驚きに染めている。ノーチェの冷たい瞳も、周りの声も、分かるけれど分からない、頭に入ってこない。やはり君か、なんて声がノワから溢れる前に、彼女の頭上が暗くなる。

「ノワ! 何をしてくれるんだい、全く。元気なのは喜ばしいが、これには感心しないな。はは、飛行に失敗したのかい? らしくない」

 アルトの声が鼓膜を揺らし、ノワは思わず首を縮めた。同時に周りの人たちの目線を思い出して冷や汗が背をつたう。

「申し訳ない、姐御。お騒がせした」

 短くそう謝ると、盛大なため息をひとつつかれる。彼女はノワたちがちょうど落ちた店の店主で、幸いなことにノワの知り合いであった。これが全くの他人だったらどんなに怒られていたかと思うと、何も言えなくなる。

「まあ、店の商品は傷ついてないし、お前さんが盛大に落ちてきただけだからな。あまり私も責める気はない。おい、そこのお嬢ちゃん、怪我はないかい?」

「あ、はい。大丈夫です。ご迷惑をおかけいたしました」

 姐御は少女の方に話しかける。ペコリと小さくお辞儀をすると、姐御は満足げに頷いた。

「一人で降りて来れるか? そこの使い魔もほら、えーっと、ノートとか言ったっけな、も降りておいで」

「……にゃ」

 名前はノーチェだとこの人には言っても無駄だろうと、諦めたように黒猫は鳴く。鳴かなかったら鳴かなかったでうるさいことを知っていた。

 そんなやりとりを見ながらノワはのろのろと立ち上がった。痛む腰をさすりながら、周りを見渡す。もうすでにノワたちに注目をしているものなどおらず、商店街は日常を取り戻していた。忙しなく行き交う人々をなんとはなしに見つめる。赤、黄色、青、緑。そんな雑多な色が混ざり合った場所なのに、どこか古めかしいアンティークのような印象を受けるこの通りには、とんがり帽子やホウキ修理店、羽ペン専門店、宝石屋、占星術士に錬金術師とそれはそれは多様な店が並んでいる。ノワは小さい頃からこの通りにはお世話になっているのに、未だにこの通りに何があるのか正確に把握しきれていなかった。

 あ、そういえば。ノワはふと思う。ホウキ、どこに落ちたんだろう。

 ノワがそれを探そうとする前に、姐御は正解を持ってきた。

「おい、ノワ。どうするんだい、このホウキ。すっかり折れてるじゃないか」

「……うそ、折れてるの……え!」

 肩で切り揃えられた髪を揺らして振り向くと、姐御はその手に折れたホウキを持って立っていた。ちょうど真ん中から折れてしまっていて、ホウキの尾は風でボサボサになってしまっている。

「あぁ! いや、完全に壊れてしまうよりましか。まし、なのか……?」

 姐御に駆け寄り、ホウキを半端強引に奪う。絶望だ。こんなの。家に帰りたくない、怒られてしまう。怒られるだけですむならいいが、その前にいろいろと今日はやらかしていて。そこまで思考してハッと気づく。うつむいてホウキをさすっていたノワは、その瞳を姐御の店の方に投げかけた。

 視線を向けられていた場所にいたのは巻き込んでしまった少女。鋭い視線に一瞬怖気付いたように怯んだ。チリン、と少女のとんがり帽子の天辺につけられた鈴が鳴る。どうやら去ることも出来ず困っていたようで、少女の手の中にはもうすでに彼女のホウキが握られていた。

「君のホウキは無事なのか?」

「はい! 心配はいりません」

 問いを投げかけると、少女はぎゅっとホウキを強く握り締めながら答えた。

「そうか。よかった。巻き込んでしまってすまない」

「気になさらないでください」

 ———沈黙。

 特に喋る話題も見つからず、気まずい時間が流れる。せめてノーチェが何か言ってくれればいいのに、当の彼女は日向で毛づくろいを始めていた。

「……では、また明日の会議で。体に異変があったら言ってくれ。」

「ちょ、お前さんたち仲が悪いんか? 知り合いならもうちょっと何かあるだろ。特にノワ、迷惑をかけたんならそれ相応のことをしないといけないと学ばなかったのか?」

 沈黙に耐えきれなくなってノワが別れを告げようとしたのに、姐御がすかさず割り込んできた。話を振られたノワはうぐ、と言葉につまる。彼女とてこのまま何もしないのは道理に反するようで気が気ではなかったが、それでも特別仲が良い訳ではない人を誘うことなど、難しいに決まっていた。

 そんな複雑な心をつゆ知らず、いや、知っていて尚更なのか、姐御は楽しそうに両の手のひらを合わせてパチンと音高らかに響かせた。その音に少女二人がぱちくりとその目を瞬かせながら姐御をみると、にっこりと微笑みながらお節介さんは言う。

「こういうのはどうだ。私がノワのホウキを修理する。その間にノワ、お前さんはこのお嬢ちゃんに商店を案内する。お嬢ちゃんはここはでは見かけない顔だから、きっと満足すると思うぜ」

「は? 姐御、ちょっと待ってくれないか」

「なんだ、別に悪い提案じゃないだろう。お嬢ちゃんもそれでいいのなら、ノワ、案内をしろ」

「いや、だから」

 姐御はなお食い下がるノワのおでこの前にきつねの形にした手を運んだと思ったら、パチンッと気持ちいい音が。見た目に反して強烈な一撃に悶絶をする。これ、下手したらさっき打ちつけた腰よりも痛いかもそれない。

「あ、あの! わ、わたしも……お恥ずかしながら、帰り道が分からないので、できればノワ……さんに案内してもらいたいんですが、えっと、つまり、ノワさんのホウキが直るまで私も動けないんです。なのでその提案はわたしにも魅力的、ではあります……」

 鈴を転がしたような声は、だんだんとしぼんでいく。しまいには囁くような声になっていて、それに合わせてサクラの瞳はあちらこちらに揺れていた。

「よし。決まりだな」

「はぁ!? いや、見知らぬ土地で帰り道が分からないのは分からなくもないが。それなら執事にでも連絡してもらえばすむ話だと」

「ぐちゃぐちゃ言うな。よし、修理代は半額にしてやる。いや、お前だからまけてただにしてやろう。どうだ?」

「なっ……!」

 にんまりと勝ち誇ったように笑う姐御が憎たらしい。それでもホウキの修理は高いので、それが無料になるのはどうしても魅力的だった。

 ため息をついて頭に片手をやる。その瞳を少女に投げかければ、その髪をふわりと揺らしながら困ったように笑われた。

 

 あぁ、もう。やってやろうじゃないか。




 カランコロン、とグラスの中の氷が揺れる。それに合わせて小さくシュワワと炭酸が弾ける音が響き続ける。小さく息を吸う音が聞こえて、ノワは顔を上げた。

「あの、わがままを聞いてもらってありがとうございます」

「いや、巻き込んだのはこちらだ。すまなかった」

 ……続かない。とりあえずグラスを引き寄せて飲むと、何かよく分からない味がして、同時に口の中でサワーが弾けた。そういえば、どうやってこの店に入ったのか分からない。不慣れなことをして緊張していたのか、否か。ノーチェがいないのを見るに、この店に入るのを嫌ったのだろう。きっといろいろなところを探索しに行っているに違いない。

 人ひとり誘うのにこんなふうになってしまうという事実に呆れてしまう。しょうがない、こんなことをするのは久しぶりなんだと自分を納得させようとしたが、余計虚しくなった。

 彼女の方をチラリと見ると、彼女も同じように、というかノワよりも分かりやすい分可哀想なくらいに緊張しているのが伝わってきた。ココアの髪の先と指とを絡ませている。

 そのまま店をぐるりと見渡した。どこにでもあるようなカフェで、店を飾り立てているアンティークが少しだけお上品だ。


 彼女の名はレーヌ。王立魔法学園の生徒部に属している成績優秀・文武両道を見事成し遂げている彼女は、生徒の憧れであり人望もあつい。実家はここらでは有名なお屋敷である。何でも、執事とかメイドがいるそうで。

 会議をしているときの、このいかにも令嬢な見た目に反して的確にこちらの資料の弱点をついてくる姿はノワとて認めていた。だから彼女がこんなに困り果てている姿を見るのは初めてかもしれない。

 こちら、つまりノワは学園の魔法研究会に属している。魔法研究会と聞けば小難しい話をしながらメガネを拭いているようなカタブツの集まりだと思うかもしれないが、実態は多様な人が多様なやり方で自身の突き詰めたいことをするサークルのようなものである。放課後の時間を魔法演習に当ててもいいし、宿題をやってもいいし、スポーツに興じてもいい。もちろんそれなりにステップを踏まなければいけないこともあるが、つまるところなんでもありなのだ。そこが生徒にも人気で、とりあえず在籍するだけしている人も多く、学園内では最大の規模を誇っている。

 ノワはそこの幹部をやっている。秩序のある様でないこの研究会をまとめるのは骨が折れる。その関係でレーヌのいる生徒部とは活動の交渉をすることが多く、同じクラスにも部活にもならないまま彼女とは知り合いになっていた。

 この距離感は難しい。何も知らない訳ではないが、互いのことをよく知っている訳でもない。知り合い以上にはどうしてもなれない距離で、なんなら会議が白熱したときのことも考えると、決して良好な関係とはいえなかった。

 実際、彼女とは前の会議でやりあった。だから尚更、何をすればいいのか分からない。

 そもそもで彼女と自分は真反対なのだ。なんでもできて信頼のあつい彼女と違い、ノワはできるものはできる、できないものはてんでだめ。ノワとて信頼はない訳ではないだろうが、学園を見る限りレーヌの存在は大きい。それに加えて、彼女とノワは意見が食い違うことが多い。

 面白くない。生来合わない人がいるとすれば、彼女のような人である気がする。だというのに、この状況は一体どういうことなんだろうか。


 はぁ、とため息が出るのは致し方ないことだと思いたい。そもそもで巻き込んでしまったのはノワの方である。その分を返さなければと、顔を上げてレーヌを正面から見つめた。

「何かやりたいことはあるか? ここには何でもある。やりたいことがあるのなら、案内させて欲しい。せめてもの償いだ、遠慮はいらない」

 レーヌはそれを聞いて、驚いたように瞳を瞬かせた。ノワからそんな言葉が出てくるとは思わなかったのか、不意打ちをしたようで少しだけ愉快で。

「あ、あの……それでは、せっかくなので甘いもの、食べませんか? 食べたい、です!」

 まだ緊張が続いているのか、後半は声がうわずっていた。その勢いで胸のあたりでカールされた髪が揺れる。

「そんなことでいいなら。それでは、決まり次第頼もうか」

 何も提案されないでまた無言の時間を過ごすことを恐れていたノワはほっとする。早く決めてさっさと終わらせてしまいたかった。

「はい! 実はもう決めているんです、この木苺とチョコの夜蜜パフェ! あ、えっと……」

 承諾されたのがよほど嬉しかったのか、ぴょんぴょんと髪を揺らしながら言う彼女に、ノワは笑ってしまいそうになった。もちろん、表情には出さないけれど。

 レーヌは何かを探しているようで、しきりに首を動かしていた。

「どうした、何を探している?」

「えっと、ノワさん。これってどうやって注文すればいいのでしょうか」

 こてん、と小動物のように首を傾げ、深窓の令嬢は眉を下げながらそう言った。



「お待たせしました! 木苺とチョコの夜蜜パフェに、氷上の胡桃と太陽ケーキ! です。ご注文は以上でおそろいでしょうか?」

 はい、と頷けば店員さんは完璧な笑みで対応する。熱いので気をつけてくださいね〜と伝えると軽くお辞儀をして去っていった。

「わぁっ! とても綺麗ですね」

 目を輝かせながらレーヌは言う。今にも踊り出しそうで、今度こそノワはくすりと笑ってしまった。小さいけれど、それに気づいたレーヌは恥ずかしさで赤面をする。

「笑わないでください、あまりこういう所には来ないので……!」

 そう主張するのがおかしくて、ノワは握った片手を口元に当てながら笑う。レーヌはなんで笑うんですか! と抗議の声をあげていた。

「いや、気にしなくていい。食べようか」

「はい、いただきます」

 きちんと食前のあいさつをする彼女を見て驚いた。今どき、そんなこと言うやつは少ないのに。

 レーヌが頼んだのは、木苺がふんだんに使われたパフェ。バニラのソフトにチョコの茶色と木苺の赤が映えていて、横には大きくカットされたチョコが添えられている。下の層には薄紅のプリンが入っており、キラキラと輝いていた。よく見ると、金平糖が中で光に反射して光っているようで、それに気づいた者は食べてしまうのが惜しいと思うようなもの。

「美味しそうだな」

 思わずそう呟くと、レーヌはふんわりと笑みを浮かべて頷いた。

「ノワさんの頼んだケーキもとても興味があります。それは一体どうなっているのでしょう」

 ケーキをに対する感想にしては奇妙なそれも、ノワの頼んだそれを見れば納得する。

 氷上の胡桃と太陽ケーキ! という名の通り、胡桃でできた縁がチョコレートのケーキを囲っている。その上に、ふわふわにスライスされた氷がのっていて、その氷の上には花の形にカッティングされた胡桃が。

 そして一番注目すべきところは、その胡桃が炎に包まれて燃えているところだった。ゆらゆらと揺らめく炎は、けれども周りの氷を一切溶かすことはない。じわじわと中の胡桃を焦がしていき、それに合わせていい香りが漂ってくる。これが太陽なのか、だとしたら随分と悠長なものだなとひとりごつ。

 言わずもがな、魔法でできた炎。

 パチンと音がして中の胡桃が弾ける音がして、炎はなおいっそう強くなる。幻想的で、神秘的なケーキ。

「……食べるのがもったいないですね」

「食べなければもったいない」

「……ノワさんって現実主義ですね。もっとこう、何かないのですか」

「うるさい。それから、ノワでいい。私もレーヌと呼ぶから」

「へ」

 ノワはそう告げると、さっさと胡桃をフォークで刺して口に放り込んだ。ジュ、と炎が消える音がして、いい具合に焼けた胡桃を味わう。レーヌの方はというと、それ食べちゃうんですねというか食べれるんですね、とか、ノワ呼びでいいってどういうことですか、なんて一気に言いたいことが飽和して消化できないでいる。

 そんな気も知らずに、ノワは今しがた勢いで胡桃を食べてしまったことを少しだけ後悔していた。ノワは苺ケーキにのっかっている苺は最後に食べる派の人であるから。

「えっとじゃあ、ノワ、ちゃん?」

「……ものすごく違和感があるな」

「ノーちゃん、とか?」

「どうしてそうなる」

「む、無理ですやっぱり! ノワさんでいかせてください!」

「好きにしろ。早く食べなきゃ溶けるぞ」

 こんなことに全力で挑んでいたらしいレーヌは、力を使い果たしたように椅子にズンともたれかかった。こんなこと、ノワよりも慣れているだろうに。それともノワと同じように友達が少ないのか。

 これ以上考えるのは虚しいと気づいて、ノワは思考を中断した。そして残りを食べはじめる。

 ほら、食べなければもったいのだから。

 レーヌもそれに倣った。しばらくは二人の食べる音がし、しかしそれが完全に場を支配する前にノワは口を開く。

「この前の会議のことだが」

「は、はい!」

 突然始まった会話に、しかもレーヌの知る限りこんな場所で同世代の子と話すような内容ではないそれに驚いた。しかしレーヌは、ノワのなんとも言えない難しい顔を見て、どうにか気まずい雰囲気にならないよう彼女が頭を捻り捻り導き出した答えなのだと気づくと、その不器用さに心が軽くなった。いつも会議で敵対する彼女よりも、今日は随分と柔らかい気がする。

 もっとも、話す内容は会議のことなのだけれど。

 他に話す話題もなく、二人は互いのデザートがなくなるまで会話に興じていた。




 リンリンリン、と扉に取り付けられた鈴が鳴り、店員のありがとうございましたー、という間延びした声を後ろに二人の魔女っ子は店を出た。支払いについては、もともと巻き込んだのはノワであるからと言ってノワは譲らなかった。

 晴々とした空が広がっていて、ノワは大きく背伸びをする。ホウキはもう修理できたのだろうか。まだ時間的には早いだろうけれど、このまま向かって店で待たせてもらおう。

 ノワがそう提案する前に、ノワの手が後ろから引っ張られ、小さく声をあげた。本人に文句を言おうとするが、その前にほんのりと紅色の唇が言葉を紡ぐ。

「ノワさん、もし時間が許すのであれば、もう一軒行ってみたいところがあるんです。案内していただけますか」

 柔らかい言葉の裏に、緊張と不安と好奇心を滲ませてレーヌは言う。さてさて、どうしようか。

「なーぉ」

 いつのまにか戻ってきたノーチェは、ノワの足元ではなくレーヌの足にすり寄っていた。何だその甘えた声は、聞いたことないぞ、というノワの放つ暗い視線をノーチェは平然と受け流し、『行ってあげなさいよ、どうせこの後遊ぶ相手だっていないでしょ』と、逆にノワに小馬鹿にしたような目線を投げかける。

 バチバチと目線が交差し、しかし負けたのはノワの方。はぁ、と今日何回目か分からないため息をつくと、背を向けて歩き出した。

「何の店に行きたいんだ。案内はしてやる、けれどその後はホウキを取りに行くぞ」

「ありがとうございます!」

 弾むような声を後ろに、ノワは歩く。少しだけ、ノワもまた心を弾ませながら。




「かわいい! なるほど、月兎のカケラとマーメイドの貝を組み合わせたのですね! あ、こちらは一角獣の角を加工していますね。それからこちらは!」

 今にも飛び跳ねそうなレーヌの髪が下の商品を見ようとしゃがんだ表紙に落ちて、その顔に影を投げた。そんなレーヌをノワは壁に背を預けながら見ている。その瞳は疲れきっていて、光がない。

「にゃ」

「……そんな目で私を見るな」

 ノワたちが入ったのは、ティーンエイジの間で人気の魔法帽専門店。花と月が装飾品の可愛らしいものから、今にも動き出しそうなおどろおどろしい魔法帽まで。つばの形も様々で、片側に広がっているもの、つばのないもの、とんがり帽子の原型を全く残していないものまで扱っている。

 楽しそうなレーヌに水を差すようで悪いが、ノワはこういうものが得意ではない。とんがり帽子という存在がもともと好きではないこともあるが、こういう店に縁がない彼女にとってはただの退屈な場所に他ならない。

 可愛いものに興味が無いというわけではない。道端にふと咲いたカゼノコグサに心安らぐこともあるし、見た目が美しいキルコニジの羽を使った羽ペンが店に売られているのをみたら、衝動的に買ってしまうこともある。もっとも、この時はしばらく財布が紙っぺらのように軽くなってしまったのだが。

 要は、趣向が合わないのだ。合わないものは合わない。店の中だから多くの者はとんがり帽子を仕舞ってはいるが、それ以前にノワは学校を出るときすらその魔女の証を被ってはいなかった。大半があの大馬鹿者のせいではあるが、ノワはそういう子であった。

「ノワさんは興味ないんですか」

 下から声がする。そちらを見れば、レーヌが中腰になってノーチェと戯れていた。ゴロゴロと甘えた声をだす毛玉にほとほと呆れる。

「ああ。興味はないが、待つのには慣れている。気にせず見てまわるといい」

 遠慮のないノワの言葉だが、さすがいつもの会議で慣れているのか、レーヌはそうですか、と受け流す。

 話が続く様子もなくて、ノワはもう一度壁にもたれかかった。ぼうっとカラフルな商品を見つめる。どれも綺麗で可愛くて、居心地が悪い。

 ぐい、と手を引かれて、ノワはたたらを踏んだ。思いもよらない行動に対処できず、こっちに来てくださいという言葉とともにずるずると引きずられるようにして店を進む。

「ちょ、何がした」

「こっちです」

 答える気はないらしい。ノーチェはというと、ツンとすまし顔でついてきていた。慣れない場所というのは不安になる。誰かに品定めされているような気がして、ノワは知らず知らず目線が下がっていた。

 ボン、と朝と同じ何かがのっけられた感覚に弾かれたように顔を上げる。顔を上げてさらに混乱した。目の前に自分がいる。驚いた顔も、制服であるマントも、黒曜石の髪と瞳も、全部同じ。

 ただ一つ違うのは、鏡の中の彼女はワインレッドとラベンダーを基調としたとんがり帽子をかぶっていること。下の方は濃いワインレッドで、上にいくにつれてラベンダーに染まっていく。ところどころに金の装飾が施されていて、縁も金に煌めいている。極めつけは大きく飾られた月のレリーフで、光に反射して満月の如く輝いていて。よく見ると、月には宝石が埋め込まれている。大人っぽく、それでも少女の華やかな美しさを持つような、そんな光。

「やっぱり、とっても似合ってます!」

「……へ」

 興奮した声に一気に現実に戻される。あ、この子私か、なんて愚鈍な感想がノワの頭をよぎる。自覚した途端、似合っていると言われたことにも気づいてほおが熱を帯びた。そんな言葉、最後に母さん以外から聞いたのはいつだったか、褒められても免疫はついていない。臆病な彼女が、そのときはじめて顔をのぞかせた。

「そんな、似合ってるわけ」

「似合ってます! 可愛いくて、綺麗です」

 早口で紡がれるレーヌの言葉に、ノワはどんどん顔に熱がたまっていくのを感じた。鏡の中の自分をが恥ずかしくて見れない。きっと、ひどく間抜けな顔をしている。

「私、ノワさんのそんな顔が見れてちょっと得意げになりました。なので、もう少し他のを試させてください」

「は!? 意味が分からないのだけれど」

 レーヌはそんなこと気にせず、どんどん試着させていく。花冠のようなもの、雷がビリビリと音を立てているもの、モノクロの洒落たつば無し帽に太陽の魔女帽。次々と現れるそれらに、ノワは目を白黒させている。かと思えば毎回のように褒めちぎられて、もうたじたじだ。

「こういうのは、嫌でしたか」

「やってから言うのはどうかと思うけれど」

「えっと……えへ?」

 愛らしい顔でレーヌは誤魔化す。心なしかカフェの時より距離感が近くて、ノワはいつもの彼女を取り繕うのに精一杯だ。

「嫌というわけではないが。ただ、どこか居心地が悪い。こういうことには縁がない生活を送ってきたから、何がどうすれば可愛くて、どこからダメなのか分からない。自信がない」

 淡々と紡がれる言葉とは反対に、目線が下がり手を強く握りしめるノワ。分からないものは怖い。だからノワにとって、お洒落は怖いもの。

「ノワさんは可愛いですよ。それにかっこいい。可愛いだけじゃなくて、この世にはいろんなのがあるんです。特にこの、えっと……」

 商品棚に駆けていくレーヌをノワは視線で追う。戻ってきたレーヌの手にあったのは、最初に試着したラベンダーの帽子であった。

「これ、ノワさんの雰囲気にあっていて、これは巡り会うべくして会ったものなのだと私は直感しましたよ?」

「そんな大袈裟な」

「ひどいです。こっちは真面目なのに」

 そう膨れるレーヌの方がよっぽど可愛いと思う。ハーフアップにあげた髪も、長いまつ毛もその笑みも。ノワの髪はそんなにふわふわになってやくれないし、前提としてそんなことに気を使うことはなかった。その時間を武道に当てたり、討論に使う方がよっぽど好きだ。それを後悔していないけれど、でも時々ふといいなと思う。憧れる。

「よし、じゃあ会計に行ってきますね」

「ああ。では外で待っている」

 今回はさすがに奢らなくてもいいと、ノワは外に出ようとする。だが、レーヌの手元にあるとんがり帽子を見てすんでのところで立ち止まった。

「レーヌ、それ」

「今日のお礼です。それから、どうしてもこれを被っているノワさんが見たくて」

 レーヌが買おうとしているのは、ラベンダーと月のとんがり帽子。

「いや、それは悪い。第一、私はもうすでにとんがり帽子は持っている。たしかに少し古いかもしれないが、わざわざ買ってもらうほどでも」

「ふふふ、私が欲しいから買うんですよ?」

 にこやかにそう言われてしまっては何も言えなくなる。言葉に詰まったノワを置いて、軽やかにレーヌはレジへ向かう。あっという間に買ってきて、ノワの前にレーヌは立った。

「ノワさん、受け取ってくれますか?」

「いや、でも」

「にゃーお」

 受け取っておけとでも言うかのごとにそれに、レーヌは大きく頷いた。大きなサクラの瞳に見つめられてノワはパッと視線を逸らした。その拍子にレーヌの手が視界に入る。ノワに差し出したその手は、商品の袋に隠れて震えていた。

「……分かった。こちらこそありがとう」

 不器用に感謝を伝えて、恐る恐るノワは両手でそれを受け取った。完全にその重さがノワに渡ったとき、両者の心が何かあたたかいもので満たされていく。喜び、安堵の混じったそれがこそばゆかった。


 コホン、と気恥ずかしくなったノワはわざとらしく咳をする。

「もうホウキの修理も終わっているはずだ。姐御のところへ向かおう。それから、君が道のわかるところまで案内する」

「はい!」

 これが別れではない。まだこの子と喋るのかと思うと、少しの不安が湧き上がる。それでもいいやと思えたのに気づいて、ノワは微笑した。それを見たレーヌは口元を押さえて、必死に笑わないようにする。ノワの笑顔は貴重品だ、変に笑って指摘でもしたら、きっとすぐにいつもの真面目な顔に戻ってしまうことを今日レーヌは学んだ。


 店を出ると、人々の雑多な音に溢れている通りに出た。入った時とは違う通りにレーヌははてと思案する。

「この商店街の道は時間帯によって変わるんだ。どこに飛ばされるのかはだいたい決まっているけれど、これが迷子になる原因だから気をつけた方がいい」

 ノワが横から助け舟を出した。知識を持ってはいたが実際に見るのは初めてなレーヌは興味津々に通りを見る。それを横目にノワとノーチェはそろって伸びをした。ずっと室内にいて、体が少し鈍ってしまったような、そうでもないような。

「ほら、もう行こう。長居して変なことに巻き込まれたら大変」

「逃げろ! 龍が飛び込んでくるぞ!!」

「………は!?」

 声のした方の空を見上げると、何か巨大なものがこちらに落ちてきているのが分かった。

 何か巨大な。

「ぎゃぁぁ!」

「伏せろ! おい、ホウキは使うな逆効果だぞ!」

 人々の叫び声が轟音となって商店街を揺らす。ノワは反射的にレーヌの手を掴んで少しでも広いところに行こうと走り出した。

「レーヌ、こっちだ!」

「あ、あの! 大丈夫です、あれ、きっと私の知り合いです」

「はぁ!? そんな迷惑な知り合いがいてたまるか!」

「レーヌ譲ーー!! このオグルが向かいにきたぞ!!!」


 知り合いだった。


 ノワは本気で現実逃避をしたくなった。怪我をしていないのに頭が痛い。え、何、しかもレーヌ嬢って、まさか。

「オグル! 早く止まってください!」

 レーヌが叫ぶのと同時に龍の体が光り輝く。地面にその巨体を打ちつける寸前、より一層光が強くなり、ノワは思わず目をつぶった。

「レーヌ嬢、怪我はないか!?」

「大丈夫です、オグル。心配をしてくれるのは嬉しいですが、もう少し周りに配慮をしてください」

「……ノーチェ、帰ろうか」

「にゃ」

 目前では、人形に戻ったお騒がせ野郎が耳障りな音を立てている。とにかくうるさい。関わりたくないというのが本音だ。こんなやつと知り合いだと思われないうちに、一刻も早く帰路につこうとするが、もう手遅れなのは明白で、周りの人はこちらを冷たい目で見ていた。

「ノワのやつもいるじゃねぇか! ちょうどよかった、ノワに紹介したい奴がいるんだ」

「気安く名前を呼ぶな」

 殺意満々の声で答えるが、当の本人は一ミリも堪えていない。自慢げに髪をかき上げながら言う。なんとも鬱陶しくて仕方がない。今の動作は必要か?

「この可愛らしい少女がいるだろ? 彼女はレーヌって言ってな、我らが愛おしいスミス家の令嬢なんだぜ? で、でな。オレには提案があるんだ。彼女と友達にならないか? お前だって、友達がいな」

「オ グ ル!」

 耐えかねたようにレーヌが叫ぶ。そのままオグルを叱る彼女を見て、レーヌは納得した。

 オグルが時々使う『上』という言葉。

 レーヌの家には執事がいるという噂。

 そして何より、目の前で繰り広げられている迷惑極まりない茶番。

 ……なんだかもう、この世の悩みがどうでも良くなってしまった気がした。この男に絡まれる前に逃げれるなら、これからどんな試練にも耐えられる気がする。

「おい! だから逃げるなって、ノワ!」

 バシッと手をつかまれて、ノワは前につんのめりそうになる。慌てて二、三歩進んだ拍子にノーチェの尻尾を踏んでしまい、黒猫はギャァっと悲鳴を上げた。

「危ないだろ! というか触れるな!」

「わ、悪かったって。でも、お前いつもいつもオレのことを無視するだろ、だから」

「それはお前のアプローチ方法がおかしいからだろ! 限度というものを知れ、限度を!」

「はぁ? お前だって」

「ふ た り と も!」

 ワーワーギャーギャー好き勝手言い合う二人はレーヌの声でぴたりと口を閉ざした。あ、今のレーヌ、ちょっと怖い。

 プルプルと肩を震わせながらレーヌはノワに向かって歩いてくる。それから、オグルに掴まれていない方のノワの手を引き寄せた。

「いや、オレはただ」

「オグルも心配は必要ありません! だって」

 スゥッと胸を上下させて息を吸う。魔法に溢れたこの世界の風を吸い込んで、未熟な魔女は声高らかに宣言した。


「ノワは、もうわたしの友達ですから!」




————後日。黒曜石の魔女が新しいとんがり帽子とともに通学する姿が見られたそうな。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

とんがり帽子に魔女の誇りを @kakutomumono

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ