第7話 自己承認欲求という名の怪物を飼いならせ

 人間は、自分が特別な人間であるという確信(錯覚)を支えにして生きている。そして自分が特別であるということを、誰かに伝えたくてたまらないのである。私は、それを創作界隈にいる人間の背負う宿業のようなものだと考えていたのだが、昨今のSNSのありようを見るにつけ、市井の人々の殆ども、その陥穽から逃れられないのだと理解した。書き込み内容でマウントをとってみたり、バズることに血道をあげてみたりしているのはまだわかりやすい方で、ニュースサイトの感想コメント欄には、匿名であってもなお高評価を求め続ける闇深いユーザーを数多く確認することが出来る。

 自己承認欲求という名の怪物を飼いならせ。これは、筆を折り、「書くサイド」からドロップアウトしていた私の人生のテーマと言って良い。まともな社会生活を送れているのならば、それ以上の社会的評価を望む必要はない。人間存在としての自分が世間に高く評価される必要なんてない。妻と娘にとってさえ特別な人間であれば、もうそれで十分ではないか。

 逆説的に、そう自分に言い聞かせていなければ、私は容易にそちら側に飲み込まれる人間であるということだ。大切な誰かにとっての特別な人間にもなり損ね、今迫直弥の名で世間に承認されることもなかった場合、私はあえなく死ぬのだという。自己承認欲求という名の怪物に食い殺されるのだ。

 それを今迫直弥を名乗る人物からのメールで伝えられた時に、私が最初に考えたことは、現存する今迫直弥名義の作品を供養するべきでないか、ということだった。誰からも認められず、その結果、作者の存在理由まで否定された気分になり、異なる世界で私の命を奪うことになった愛おしい駄作達を、少なくとも私が生きている間に葬ってやる必要があるのではないか、と思ったのだ。

 供養する方法として、小説投稿サイトに投稿することが正しいのかどうか、私には今もよくわかっていない。誰かに読んで欲しくて載せているわけでないのに、奇跡的にPVが増えたり、ハートをつけてもらえることがあって、「本気で読者層のことを考えて、話題になりそうな作品を執筆し、全力で宣伝したら、どれくらいの人の目に留まり、どれくらい評価してもらえるのだろうか」などと、例の怪物が鎌首をもたげそうになることもしばしばである。妻は無責任に、一度試しにやってみろ、と私をけしかけてくる。それが「書くサイド」の人間の定めなのかもしれない、とも思う。結局私は、「誰かに読んで欲しいわけじゃない」というスタンスを前面に出すことで、正当な評価を受けないようにして自分を守っているだけなのだ。

 メールの差出人の指摘通り、私は「死にたい」とよく考える人間である。誰だったか、マラソン選手が、「もう限界だ。でも、次の電柱まで頑張って走ろう、と思って走っているうちに、最後まで走り切っている」と、コメントしていたのだが、大体それに近い感じで生き続けている。まあ、「限界だ」と思うほどには追い詰められてもいないが。生きなければいけないという思いを支えているのは、大概、大切な家族のことなどではない。一日レベルで言えば夜8時から好きな配信者の配信があるとか、週レベルで言えば水曜日にチェンソーマン第二部が更新されるとか、月レベルで言えば、もうすぐMリーグが始まるとか、チェンソーマンのアニメが始まるとか、ポケモンの新作が出るとか、本当にそんなことのために何とか生きている。仕事を惰性で乗り切り、あとは自己承認欲求を介在させない暇つぶしに満ちた世界を生きている。

 程度問題ではあるが、私が今迫直弥に立ち戻ることで、自己承認欲求という怪物と、少なからず対峙することになった。だから、死ぬかもしれない。ただでさえページビューの少ないこの文章に貴方がたどり着いた頃、この私も既に死んでいるかもしれない。でも、それでこそ投稿した甲斐があったのだと、素直に思える。

 メールの差出人は、有り余る金と孤独を抱えたまま、おそらく病気で、死んでしまうという。当たり前みたいに両親が死んでいるらしいことにも戦慄を覚えたが(こちらの世界において、私の父は逝去したが、母は存命である)、いまわの際になって自分自身以外に話したいと思える人間がいないという状況を、私は可哀想だと思ってしまう。社会的に大成功している異世界の自分に対して、幸せの程度でマウントをとってしまう。それに対する自己嫌悪を妻に伝え、それは人間なら誰だってそうでしょうと言われて安心し、そうやって話し合える家族がいること自体をアピールしてしまう。

 私も今迫直弥なのだと、当たり前の確信をする。


 書くべきことは書いた。最後のメールを転載して、この作品は終わるつもりだ。

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