魔女を追う者

倉木おかゆ

第1話 エルランの風

 山のふもとに、オタの村と呼ばれる小さな村があった。


 その村の外れにある小さな古い小屋。そこでオルゥサはつつましく暮らしていた。


 この村に来てもう五年は経つ。さみしい男の一人所帯ではあるが、不思議と孤独は感じなかった。


 春のさわやかな風が、山から通り抜けて吹く昼下がり。小屋の外の椅子にオルゥサは腰掛けて、うららかな日の光を浴びていた。


 目の前には、小さな野菜畑が青々と繁り、近くに縄に繋がれた一匹の山羊やぎが草をんでいる。主に自給自足で、男一人で食う分には困らぬ生活だ。


 はるか北の向こうには、エルランの山々が並び、その上を流れる雲をオルゥサは眺めていた。


 手に持った愛用の木製カップ。中には蜂蜜酒が注がれている。そのカップに口をつけると、蜂蜜の甘い香りが鼻の奥を通り抜けた。


 蜂蜜酒は、その名のとおり蜂蜜を水で薄めて発酵させて出来た酒だ。香りは蜂蜜の甘い香りだが、味は甘さが抜けてやや苦みがある。体の芯からじわりと温まるような感覚がした。


 酒のあてには、川魚を串焼きにしたもの。オタの村の付近を流れる清流で獲れた魚だ。村人から分けてもらったものである。


 串を手に取り、川魚にかぶりつく。魚の白身に、いい具合に塩が効いていて旨い。そして、また蜂蜜酒に口をつけて流し込む。「ふはぁー!」と思わず息がこぼれた。


 オルゥサは、このような隠居生活に近しい暮らしをしているが、よわいはまだ三十半ばを過ぎたころで。小柄だが、腕にはたくましい筋肉がついていた。


 たまに、村人たちの畑仕事や力仕事などを手伝い。その謝礼として食料や酒を分けてもらっている。


 それ以外は小さな野菜畑と山羊の世話をし、昼までに主な仕事を終えると。午後は、こうしてのんびりと過ごす。


 山々の上を流れる雲のように、ゆったりとした一人の時間を酒を飲みながらオルゥサは楽しんでいた。


 しかし、不意に飼っている山羊のレーマが飛び跳ねるのが見えた。


 レーマは、めすの白い山羊で乳が採れる。そして、レーマがこうして飛び跳ねる時は、決まって来訪者が現れる時を告げていた。


 少し経って、遠目に馬に乗った人影が見える。従者を二人連れていた。遠目にも見知った顔だと分かった。馬上の人物もオルゥサを見つけたようで手を振っている。


 やって来たのは、領主の代役であるヴェイガンであった。


 オタの村を治める領主。その代役を務めるヴェイガンは、頻繁に村を訪れている。


 五十代の初老の男だが、歳より若く見え人の良さそうな顔をしている。体つきも精悍せいかんで、まだ老いを感じさせない。


 また、顔つきだけでなく性格も柔らかく、情が深いため村の人々からも慕われていた。


 領主からも絶大な信頼を得ており、代役として様々な権限を持っていた。


 そして、オルゥサにとってヴェイガンは恩人とも言える人物である。


 かつて、流れ者だったオルゥサの面倒を見てくれて、この村に住まわせてくれたのもヴェイガンだった。


 ヴェイガンは、馬から降りるとオルゥサの元へ歩み寄ってくる。オルゥサは、椅子から立ち上がりヴェイガンを出迎えた。


「よお! オルゥサ。昼間から酒を喰らって、いいご身分のようだな?」


 気さくな様子でヴェイガンは話しかけてくる。恩人で領主の代役という目上の立場のヴェイガンだが。古くから見知った仲だ。オルゥサはいつものように、ぶっきらぼうに答えた。


「まあね。旦那も一杯やるか? 昼から飲む酒は格別だ」


「うむ。そうしたいのはやまやまだが…… ひとつ急ぎの用事があってな。酒を一緒に飲むのは、また今度ゆっくりな」


 オルゥサの脳裏に嫌な予感が浮かぶ。ヴェイガンは、恩人ではあるが。彼が来るときは、必ずと言っていいほど厄介ごとを持ってくるのだ。


「ところで、オルゥサ。ひとつお前に頼みたいことがある」


 オルゥサは「やはり!」という嫌そうな顔をしたが、ヴェイガンは気にとめる様子もない。その辺は彼も分かっているのだ。オルゥサの返事を聞くまでもなく話し始めた。


「先日、アシミ鉱山から奴隷が一人脱走した……」


 アシミ鉱山は、同じ領内にある鉄鉱石の鉱山だ。罪人や奴隷などが多く働かされていた。その過酷な重労働から、脱走する者も少なくない。


「その脱走者を…… オルゥサ。お前にとらえてもらいたいのだ」


「はあ、俺が?」


 オルゥサは、ますます嫌そうな顔をする。しかし、その露骨に嫌そうな表情を見てもヴェイガンは顔色ひとつ変えない。


「オルゥサ。お前は、一年前のシキのたみが起こした反乱を知っているか?」


 不意にヴェイガンは話題を変えた。


 小さな村だが、シキの民による反乱の話はオルゥサの耳にも入っていた。北東にある山間部の一つの民族がこのカッシア王国に反旗を翻したのだ。


 その民族は、シキの民と呼ばれ。古くからカッシア王国の支配下にあった。しかし、王国の北側に隣接するアリミア帝国が勢力を伸ばしてきてから情勢は不安定なものとなっていた。


 十年ほど前にアリミア帝国が王国に侵攻してきた時。国境付近に住んでいたシキの民の多くが戦いの犠牲になったと聞いている。


 それ以来、カッシア王国とシキの民の関係はこじれてしまった。そして、ついに王国に不満を持つシキの民たちは反乱を起こしたのだ。


 シキの民は狩猟を生業なりわいとする勇猛な民族で、王国側も鎮圧するのに苦戦し。反乱を鎮めるのに半年はかかった。


「その反乱は知っているが。鉱山の脱走者と何の関係が?」


「いや、その反乱時にシキの民の中に『いかづちの魔女』と呼ばれた女戦士がいてな…… それは苛烈な戦いぶりだったらしいのだが。その辺の男など束になっても敵わないほどの猛者もさだ」


「まさか……」


 オルゥサは、背中に冷たくひやりとしたものを感じる。


 『雷の魔女』のことも話には聞いていた。その異名は、素早い身のこなしからだとも。顔に稲妻のような傷があるからだとも言われている。


 ヴェイガンは、神妙な面持ちになった。


「その、まさかだ…… 鉱山から逃げた奴隷は、その『雷の魔女』なのだよ」


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