第4話
ぼくの部屋に現れた美少女は、安っぽい言い方をすると天使のようだったが、着ているローブのせいか死神にも見えた。
「君の名前は?」
「わしはサンタ・ムエルテ。『死の聖人』じゃ。フルネームは言いづらかろう。メルテと呼ぶがよい。サンタさんではないぞ」
少女は言った。まるで鈴の鳴るような凛とした声だった。
ぼくはしばし、彼女の姿に見とれてしまった。はっと我に返ると、この状況はまずいと思った。男子高校生と女児が同じ個室に、しかもベッドの近くにいる。これを見て誤解しない人なんかいないし、警察に見つかったらただじゃすまない。
ぼくは急いで、メルテにドアの外に行くよう手で促した。
「と、とにかく部屋から出て! これじゃまずい!」
「何を言うておる若造。わしの愛くるしい姿に気でもおかしくなったか?」
カラカラとメルテは笑った。その笑い方はどこか先程の骸骨と似ていた。
「わしはこのホテルの関係者……そう、関係者じゃ。お前を呼んでいたのもわしじゃ。夢で逢うたであろう?」
「夢……」
ぼくは廃棄工場の夢しか見ないはずだった。違う夢を見たのは一度切りだった。
ぼくの名前を呼んだ者……そう、ぼくをヲメテオトルと言った少女の影。
心当たりに気づいたぼくを察してか、メルテはにやにやと笑った。
「思い出したか? ヲメテオトル」
「ぼくはヲメテオトルなんて名前じゃない。ぼくは『 』だ」
「その名前を発音してみよ」
何を言っているんだ。ぼくの名前は……。
喉に引っかかってそれ以上言葉が出なかった。自分の名前くらい知っているはずなのに、頭にあるのは『 』という空白だけだ。
「わからぬであろう? そうであろう?」
けらけらとメルテは身体をゆすりながら笑う。その無邪気な姿は、まるでいたずらっ子だ。
「お前の本当の名前はヲメテオトルじゃ。その『肉体』の持ち主はお前ではないから、お前はその肉体の名を口にすることができぬのじゃ」
ぼくは呆然とした。自分のことがわからないなんて、あるはずがないじゃないか。しかし現に名前を言えないでいる。必死で思い出そうとしても、脳内は真っ白のままだ。
そしてメルテは何と言った? ぼくの肉体はぼくのものではない?
じゃあぼくは何だというのだ?
「お前の考えていることを当てて見せよう。『自分は何者だ?』じゃな」
ぴたりと言い当てられて、ぼくは鼻白んだ。その様子がおかしいのか、メルテは更に笑い声をあげた。隣の部屋から苦情が来ないか心配なほどの大声だった。
「哲学者のようなことを考えておるのう。しかしそれを考えない者はいない。頭脳の発達していない動物や植物を除いてな。しかしそれはお前が立派に自我を持っておる証拠じゃよ。下等生物ではない証じゃ」
じゃがな、とメルテは一呼吸おいて続ける。
「単刀直入に言おう。お前の半分は化け物じゃ。半分は確かに人間じゃが、もう半分は人間でない。人間でないものがそのように思考するのは滑稽じゃ」
何を言われているのかさっぱりわからなかった。
ぼくが人間じゃない? とっさに言い返しそうになったのを、メルテの声で遮られた。
「お前の次の言葉を当ててやる。『ぼくは人間だ』! 『ぼくは人間だ』ァ! 自分が怪物だということを自覚していない漫画の主人公のような、お決まりの台詞じゃなぁ!」
何がおかしいのかメルテは腹を抱えて爆笑し、猫のようにベッドの上に丸まった。段々ぼくは腹が立ってきて、笑いのあまり震えているメルテに思わず怒鳴りつけてしまった。
「さっきから何がおかしいんだよっ! 不法侵入だけじゃなく、人を化け物呼ばわりして! 君が女の子だから大人しくしていたけど、どうしてそこまでぼくにまとわりつくんだ! さっさと出て行ってくれ!」
くっくっと笑いの余韻に浸っていたメルテの震えがぴたりと止まった。そして僕の顔を覗き込むように見上げる。その大きな瞳に吸い込まれそうになり、ぼくは目を背けそうになったが、なぜかそれはできなかった。
「お前は自分の価値がわからないであろう? そのはずだ。人間の世界はお前の住むべき場所ではないからだ。お前はここを訪れたのではない。『戻ってきた』のじゃよ。自分でも気づいていまいが、身体が覚えておるのじゃ。その証拠に、ここまで迷わず一直線に来れたであろう?」
確かにぼくは迷わなかった。スマホのマップで確認はしたが、それだけであの悪路を進めたのは自分でも不思議だ。そのことを、メルテに言われるまで気づかなかった。
「お前の価値がわかる場所、と言ったのは、ある意味で残酷な運命をお前につきつけることでもある。なにせお前はここから『逃げ出した』んじゃからのぅ」
「どういうことだ。さっきから会話の意図が掴めない。君はぼくの何を知っている?」
「一度に全部言うと混乱するであろう? わしはやさーしくお前に順番に説明しておるのじゃ。といっても、自分の身をもってその真相を知るまで信じられんじゃろうがな」
「ぼくが過去にここにいたようなことを言うけれど、それを覚えていないのはなぜだ?」
「お前は傷を負ってここから逃げ出した。覚えていないのも無理はない。お前は死んだも同然の状態じゃったからなぁ」
「傷? 傷って誰につけられた?」
「ミクトランの主じゃ」
「ミクトランって何だ?」
「この建物の地下にある地獄じゃ」
「地獄……」
ロビーで骸骨たちが言っていたことを思い出す。地獄。こんなホテルの地下にそれがあるというのか? そもそも地獄って何だろう? この世はこの世だ、地獄なんてあるはずがない。
メルテは説明すると言ったが、ぼくの中で疑問は膨らんでいくばかりだ。混乱しているのが表情に現れたのか、メルテはやれやれと肩をすくめる。
「だから言ったじゃろう。これだけわしがやさーしく言っても混乱しておる。まぁ今すぐ知らずともよい。そのうち嫌でもわかることじゃ。幸い連中はお前の存在に気が付いておらぬようだからのう。きっと匂いが違うのじゃろうな。お前は不完全がゆえにそれに救われておる」
頭の中で疑問符が渦を巻く。
「ぼくは何をすればいいんだ? ここで一体、何を……」
メルテはふんぞり返って、ベッドに寝転がった。
「少しは自己存在について考える暇もあろう。何かあったらわしが助けてやる。じっくり考えるいい機会ではないか。ここにはお前の思索を邪魔するものは何もない」
そう言われても、と思ってしまった。しかしながら部屋は狭く、ベッドが一つしかない。このわけのわからない少女と同じ寝床で寝るのか。
どうしよう、と他人事のようにしか思わない自分に驚いていた。
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