第5話
オメヨ館に来て二日目。
何もすることがない。部屋の中にいると考えがまとまるでもなく、一層鬱屈とした気持ちに支配されそうだ。そもそも自分一人で考えても、何も思いつかない気がするのだが。
メルテはその後ぼくに何か指図するでもなく、日がな一日ゴロゴロしている。部屋に設置されたテレビを見てはくだらない番組を観て笑っている。一体彼女はいつからこの部屋にいるのだろう? 従業員が鍵をくれたから、やはり不法侵入なのではないか。
しかし何かを知っていそうな態度や、通報すればぼくの方が疑われそうな状況から警察に突き出す気にはなれなかった。ぼくは相手の心理に探りを入れる目的で話しかけてみた。
「なぁ、ぼくはここで何をすればいい? 君がぼくを呼んだんだろう?」
「わしにできることはお前が目覚めるのを待つのみよ」
「ならなんで、その目覚めてないぼくを呼んだんだ?」
「時間がないのだ」
「時間がないなら何か教えてくれたっていいだろう?」
「わしが言ってお前が真の自分に気づけるならそうする。が、そうでもなかろう? お前は本当に何もかも忘れてしまったようだからな。その証拠に今もわしを疑っておる。最初から信用されていないのにわしが何か言ったところで無駄だろうが」
まったくだ。メルテは言うこともさながら、存在が奇天烈すぎてついていけない。もしかしたら妄想の病気かもしれない。だとしたら精神病院に連れて行くべきだと思う。だが、彼女と話していると、おかしいのはぼくの方な気がしてくる。
ぼくが名前を思い出せないのは普通の状態とは思えないし、何より自分でも破綻した性格だと思っている。死んでもいい、と思いながら生き続けているのは不自然だ。オメヨ館までの道のりが初見でわかったのも奇妙だった。ぼくがしていること、考えていることには矛盾が多い。それに比べると正当性があるのはメルテの方じゃないだろうか。
「じゃあ……今度は疑わずに訊く。ぼくは何者で、どうすればいい」
「わしは道徳の授業をやる気などこれっぽちも持ち合わせておらん。その答えは自分で決めよ」
突き放されてしまった。ぼくは机の前にある椅子に座り、頬杖をついて思索にふけった。今までの自分は何だったのか。自分が人間ではなく化け物だというのは本当か。少し考えてみることにした。
考えれば自分は、自分の意思で何かをしようと思ったことがあっただろうか。過去の記憶。小学生あたりからしか記憶がない。多分そのあたりで自我ができたのだろう。朧げだが、カブトムシを飼って死なすまでの記憶、プールで怪我したときの記憶は残っている。
小学生の時……。ぼくは目立たない人間だった。教室の隅っこで本を読んでいるのが似合う子供だった。誰かに働きかけようとは思わなかったし、そんなぼくを見てわざわざ友達になろうとする子もいなかった。
そしてちょっかいをかけてくる相手の顔も思い出した。連中に共同体から自分を排除したいという、野生動物の本能のようなものはあっただろうか。いや、多分ない。おもちゃをみつけたから、壊れるまでいじめたいと思っていただけだろう。
「外に出るよ」
「おお、行ってこい行ってこい」
メルテは靴を履くぼくにベッドの上から手を振った。
エレベーターで一階に降りた。今度はロビーに骸骨たちはいなかった。
外に出たい、と言ったのは気分転換もある。しかしぼくは、部屋でじっとしているより散歩した方が考えがまとまるタイプなのだ。
楡の木に小鳥が止まっている。のどかな光景だ。森の中を歩きながら、昔何があったか一つずつ思い出していった。
いじめっ子グループに目を付けられ、何かと嫌がらせを受けた。小石を投げつけてくるとか、ドッジボールの標的にされるなど、我慢できないこともない程度だったけど、日に日に怒りが湧いてきた。
そして……。
「そうか」
ぼくは森の中で一人手を叩いた。
そうだ。あいつのこと。いじめてきた奴の首謀者を。他のクラスメイトが見ている前で。
首を絞めたんだ。
当然、職員室は大騒ぎになった。首を絞めたとは喧嘩どころではない。強烈な殺意の発露であり、学校側としては大事にしてはいけないことであったのだ。
ぼくは何時間も職員室の椅子に拘束され、先生たちに質問攻めにされた。どうしてこんなことをしたの。あなたが悪いんでしょう。ぼくを咎める言葉ばかりだった。
その時悟ったんだ。
ぼくは価値がない人間なのだと。
価値のない人間が価値ある人間様に手出ししたから、ぼくはあんな目に遭ったのだと。人間社会でつまはじきにされる者は、されるべくしてそうなっているのだと。
小高い丘に出ると、その先は断崖絶壁だった。絶壁の縁だけ木々が後退していて、ちょっとした広場ができている。
断崖に足をかける。靴の裏から土や小石がぽろぽろと下に落ちていった。ちょっと身を乗り出せば真っ逆さまだな、と自嘲した。
「ぼくは死んでいい人間だから」
そう独り言ちたとき。
「なーにを言っておる」
後ろからメルテの声がした。振り向くと、ローブ姿のまま面倒くさそうな顔をこちらに向けている。
「お前が死んだら困るのじゃ」
「どこにそんな人間がいるんだよ」
「ここに」
メルテは自分を指さす。ぼくはその意味がわからなかった。
「なんでぼくが死んだら困るんだ」
「お前には利用価値があるからわざわざ呼んでやったのじゃ。それに、死ぬ勇気もない人間がうだうだと理屈をこねくり回しているのは目障りじゃ」
「自分を死の聖人とか言ってたくせに……」
「わしが世界に『死』をもたらすのはもっと先じゃ。世界の終わりじゃ。それまでお前には生きてもらわねば困るのじゃ」
またよくわからないことを言っている。ぼくはすっかり興が冷めて、オメヨ館に引き返した。ひょこひょこと後ろからメルテがついてくるのが足音で分かった。
・
ロビーに帰ると、席に誰かが座っているのが見えた。あの骸骨か、と身構えたが、その外見は至って普通の女性だった。
ただし、全身から溢れるオーラが常人のものとは少し違った。ゴージャスな服を纏っているわけではないが、気品に満ち溢れ、内に秘める気高さが漏れ出ているようだった。
しばし見とれていると、後ろからメルテが脛を蹴ってきた。
「何を見ておるのじゃ」
その声に女性はこちらに気づいた。芯の強さを感じさせる、透き通った目がぼくを見て、ぼくは少しどきっとした。
「あら、あなたも宿泊者?」
女性が問いかける。ぼくはうんうんと無言で首を縦に振った。
「私は三木東子。これでも女優やってるの。お若いようだけど、兄妹かしら? あなたの名前は?」
柔らかな声が彼女の喉から発せられるたび、ぼくは天使の吐息を感じるようだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます