第2話

 がしゃん、がしゃん。


 ぼくはベルトコンベアに乗せられていた。身動きはできないが辛うじて首は動かせる。


 薄暗い工場のような場所だった。絡まり合ったサナダムシのようにベルトコンベアが幾重にも連なり、それぞれ蠢くように稼働している。乗せられているのはへしゃげた自動車のような廃棄物や、緑色の生肉。お世辞にも価値があるとは思えない代物ばかりだった。


 ぼくもそれらに並んで、暗い空間を移動している。ゴウンゴウンと唸るコンベアの上で、どこに連れていかれるのだろうと他人事みたいにぼくは思っていた。


 やがてプレス機が見えてくる。がぁん、と大きな音が響いて、前方のごみは一つずつぺしゃんこに潰される。ゴミを圧縮しているのだ。


 ぼくもゴミとして潰される。そのことに異論はなかった。ぼくはそうされるべきものだからだ。ぼくは誰からも愛されない。誰も愛しない。そんな人間が世の中にいていいはずがない。


 がしゃん、がしゃんとぼくの前のゴミが潰されていき、じきにぼくの番が回ってくる。目を閉じて、潰されるそのときを待った……。


   ・


 目が覚めたのは朝の十時だった。学校に遅れる時間だったが、ぼくはもう学校に行っていない。行く意味がない。だから日が高く昇ってもベッドに寝転がっていい。


 昨日食べたものの残りかす、ヌートリアの毛皮や内臓がひどい臭いを発していた。ぼくは冷静にそれらを入れた袋をゴミ袋で包んで、外にあるゴミ収集場に持って行った。まもなく収集車がやって来る。きっと回収する人は鼻をつまむだろうが、そういう仕事なのだから仕方ない。


 ぼくは自室に戻り、何とはなしにスマホを取って、またベッドに寝ころんだ。仰向けになった姿勢のままスマホを操作していった。


 ぼくが好きなのは旅行番組だ。今はサブスクが充実しているから、古今東西の番組がスマホ一つで観ることができる。二十年くらい昔の、外国の景色が延々映し出されるものをぼくは特に好んだ。


 派手な演出や過剰なナレーターの語りはいらない。ただ景色を見ているだけでぼくの心は洗われるようだった。海外旅行どころか国内旅行も行くお金はないけれど、こうして映像を眺めるぶんには無料なのだ。


 古代アステカの遺跡が画面に映っていた。ピラミッドの上に四角い小屋を加えたような遺跡は、風化の影響でまるで化石のような見た目になっていた。


 アステカ文明では生贄の心臓を神に捧げる儀式など、残酷なイメージがある。後は世界が何度も壊されて再生され、その度に人間が大勢死ぬといった物騒すぎる神話だ。どれもネットで聞きかじった知識だけど、野蛮人の部族といった印象しかなかった。


 遺跡の外観についての解説がなされると、画面が移り変わる。中央に冠を被った猿のような模様があり、その周囲に四匹の獣がおり、時計板のように文字が縁に沿って彫られている巨大な石板が大写しになった。


 ナレーターが続けて無機質な声で解説する。アステカ神話では、世界は五回創造され、四回滅んだとされている。世界は太陽と呼ばれているとされた。


 最初の太陽は、ジャガーが世界を支配する巨人を食い殺し、滅びた。

 第二の太陽は、竜神ケツァルコアトルが世界中に風を巻き起こし、人間は猿に退化した。

 第三の太陽は、火の雨で滅んだ。

 第四の太陽は、洪水が起こり、人間が魚となった。

 そして第五の太陽、つまりこの世界は、大地震が起こり、空の怪物により人間は食われるとのことだった。


『この世界の終わりを主宰するのが、太陽神トナティウです。赤銅色の肌、金色の髪、頭の羽飾りといった外見の、光り輝くものという名前を持つ好戦的な神です。神々は彼の目覚めのために自分たちの心臓をささげたと言い、アステカの人々を虐殺したスペイン人を、アステカの人々はこの神の名前で呼びました』


 とにかく恐ろしい神様なのだろう。日本にもスサノオがいるけれど、こちらは世界を滅ぼしたりはしない。やはりアステカの神話は過激なんだなと思った。


 しかし良い神様じゃなくて、破壊をもたらす神をなぜ信奉しなくてはいけないのだろう。そうしないと機嫌を損ねるから? だから怖いものを敬わなくてはならない? そんなの息苦しいだけじゃないだろうか。


『我々は科学の発展により幸福を享受していますが、こうした太古の神話から学ぶことも多々あるように思えます』


 ナレーターが番組を締めくくる。この激しい神話から何を学べと言うのだろうか。


 ぼくはヨハネの黙示録を思い出した。あれも人類の滅亡を予言した書とされ、戦争や飢饉などで世界が滅ぶとされていた。似たような話が世界には多いんだな、と思った。同時になぜ、こんな凄惨な未来を予言する必要があるのだろうとも思った。


 未来図を描くなら、どうせなら幸せな世界を想像すればいいじゃないか。誰も苦しい死など望んではいまい。しかし、こうした滅びの予言は、何か大事なことを伝えようとしている気もする。それだけの凄味が、こうした話にはあるのだ。


 未来への危機感。安穏とした現状が続くとは限らないという警告。何もかもがうまく行くままのはずがない。そうしたことを、こうした神話は言いたいんじゃないだろうか。


 最悪の未来図を描き、それを回避するために尽力する。それが現在の人間のすべきことなのだと。でもぼくは、そのために今何をすべきかがわかるほど世界を知らない。ぼくは世界に馴染めない。ぼく以上に価値のあるものの中で生きる自信がない……。


 スマホを閉じた時、くらっとめまいがした。どうせ寝転がっているので、そのまま体重をベッドに預けて目を閉じた。


 あの事件があった日以来、妙に疲れる。その理由はわからなかった。事件以前も、こんな気分だったと思う。世界が、自分を包む空気が自分を拒否するような感覚。自分が世界にとっての異物のような。


 ぼくはいつの間にか眠っていた。黒い泥のような闇に意識が沈殿していく。

 意識が途切れる直前、誰かが語り掛けてきたような気がした。


 それは少女の声だった。闇の中にさらに黒いシルエットとして浮かび上がるその人物は、ぼくに手招きしたようだった。


『こっちに来い、ヲメテオトル……』


 誰だ、ぼくはそう問いかけた。ヲメテオトル、それはぼくの名前なのか? 影の人物は答えず、次の言葉を続けた。


『オメヨ館に来い……』


 それがぼくの行くべき場所なのか。なぜ君はそんなことを知っている。そう言う前にぼくの意識は闇にうずもれていった。


 あれから三日。お母さんはもう帰ってこないことを悟った。何か胸騒ぎがしてお母さんの部屋を見ると、金目のものが全部なくなっていたからだ。きっと男を作って出ていったんだ。ぼくにもそれくらいのことは理解できた。


 ぼくはガレージに泊めてあった自転車の埃を払って、数か月ぶりに乗る。


 行先はオメヨ館。目覚めてもその名前は憶えていた。気になって検索してみると、県境にある宿泊施設だとわかった。


 なぜぼくがその名前を知っていたのかわからない。どこかで見た情報が頭に浮かんだだけかもしれない。でもぼくは行ってみたいと思った。


 何もない今のぼくが、変われるかもしれないのだから。

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