双貌神ヲメテオトル
樫井素数
第1話
【××新聞より抜粋】
推定八月六日深夜二時、都内○○公園でバラバラ死体が発見される。
電灯の下、死体の傍らに腕をもがれた少年Aが座り込んでいた。DNA鑑定により、死体と少年は同一人物と断定。少年は息があり、発見者の通報によりすぐ病院へ搬送された。
しかしながら、死体は右腕以外にも体があり、警察は複数の人間が巻き込まれた可能性など事情を探っている。
【引用は以上】
死んでいい人間なんかいない、というのは詭弁だと思う。
反証はぼくだ。ぼくは価値がない人間だ。
毎晩夢を見る。食肉工場の夢だ。ベルトコンベアで運ばれ、ざぎん、ざぎん、と音を立てる機械に飲み込まれるのを待つ。肉にされるものに人権なんかない。機械で潰されて、無価値な肉塊になる。
それをカウンセラーに話したら、あなたは自己嫌悪に陥っていると言われた。それが夢に現れているのだと。
正直そうだと思った。ぼく自身のことは、ぼくが一番知っているのだから。
いや、知っている、というのは間違いだ。
あの日バラバラ死体の横で発見された時の記憶はない。何があってぼくの右腕がもがれていたのか、全く覚えていない。落ちていた右腕を病院で移植された。ちゃんと管理されたドナーではない別の人のを無理やりつぎはぎすれば拒絶反応が出るはずだったが、事件から一か月経ったぼくはいたって健康で、やはりこれはぼくの腕だと思う。
でも、なぜだか違和感がある。自分のもののはずなのに、自分のものではない感覚。でも腕の太さは一緒だし、継ぎ目もあまり目立たない。それでも脳が「これではない」と言っているんだ。
ある日、ぼくは肉が食べたくなった。夜で近所のスーパーも飲食店も開いていない。冷蔵庫を開けても、食品はほぼなかった。食べ尽くしてそのまんまということらしい。
お母さんは夜の街に出ていて不在だった。ずっと前からこうだった。ぼくは愛を受けずに育ったのだ。
仕方がないから、家を出て、近所の川に向かった。この時間帯は「あいつ」が出るはずだ。
草むらに隠れて、じっと土手を観察する。土手に空いた巣穴。そこからのっそりと大きな毛玉のようなものが現れた。暗闇に二つの眼が光る。巨大なネズミのようなもの。ただしビーバーではない。
ヌートリア。特定外来生物。ビーバーは可愛らしいが、こちらはがさがさの毛並みが汚らしい。肉や毛皮を目当てに旧日本軍がフランスから輸入した生き物だ。それが脱走し、百五十頭だったのが繁殖して日本中の河川で見られている。今では在来生物を脅かす害獣となり果てた。日本軍は環境破壊、ましてや生物に対する責任など考えていなかったのだ。自分の欲望のままに自然を破壊する、人間とはなんと身勝手な生き物だろう。
牧場のターキーのようにでっぷり太っているわけでもない。濁った水に浸かる身体は特別美味しそうには見えない。しかしぼくは、あいつを殺してもいいのだ。
あいつも生きる価値のない生き物だから。
ぼくは水面に波紋を作らないよう、土手沿いにあいつに近づいた。あいつはこっちに気づいていない。土手と川の間で呑気に小魚や水棲昆虫などを狙って、ばしゃばしゃとやっている。
罪悪感はなかった。生き物は何かを殺して糧とするのだから。それが生き物の生まれ持った宿命だ。それでもぼくのポリシーは、『自分より価値のないものしか殺さない』というものだった。自分より価値のあるものが生きていたほうがいいに決まっている。それが世の中のためというものだ。最大多数の最大幸福。常にそれを意識しなければならない。これを言ったのが誰だったのか、忘れてしまったけれど。
あいつは間違いなく価値のない存在だと思う。ぼくよりも。ぼくは日本の在来生物を絶滅に追いやったりしないけど、あいつの仲間はそうする。ヌートリア自身の意思ではなかったとはいえ、あいつは生きているだけで自然にとって罪なんだ。だから殺して食べてもいい。ぼくの血肉になればいい。
あいつは目の前の獲物に夢中で、背後から忍び寄る存在に気づいていない。音を殺し、気配を消しているぼくは、ある程度近づいたら一気呵成に飛び掛かった。
あいつが気づいて振り返ったときにはもう遅かった。ぼくの手はあいつの首を掴んでいた。ぼくはあいつに覆いかぶさる形になった。ばしゃんと水が跳ね、ぼくの服はずぶぬれになった。
哺乳類の首はチタンでできているわけではない。ぼくの体重は五十三キロ。全体重を乗せれば、自分より小さい生き物の首くらいは折れる。手の中で、ばきっと音がした。もがいていたヌートリアも一度痙攣した後、動かなくなった。
ぼくはポケットからビニル袋を出してあいつを詰めた。そして家路を引き返していった。全身からぼたぼたと水滴が落ちているが、このあたりは真夜中になると人通りがなくなる。警察に通報されるおそれは少なかった。
家に着き、台所から調理用のはさみを持ってきて、風呂場で裸になって血抜きをする。毛玉のような死体に刃を入れると、風呂桶に鮮血がだくだくと流れ出た。血の匂いが立ち込め、あたりが真っ赤に汚れたが、後にシャワーで流せば済む話だ。
毛皮を丹念に剥いていき、内臓は毒素が詰まっている可能性があるので取り除く。あばら骨を避けると、生の鶏肉のような可食部分がぷりっと出てきた。
胸肉。レッグ。精肉業者はこんな気持ちで仕事しているのだろうか? 逆に鶏肉でよく見る部分以外は内臓に近く、食べられないと判断した。
捨てるものはまたビニル袋に入れ、シャワーでざっと自分の身体を流し、生肉を持って調理場に向かった。先に用意しておいたまな板の上で肉を食べやすい大きさに切り、カレー用のスパイスで下味をつける。それから鍋にお湯を沸かして、肉を放り込んだ。
湯気に乗ってスパイスのいい匂いがする。五分ほど煮込んで、肉を取り出し、皿に盛る。卓上にある塩胡椒を振って料理の完成だ。
いただきます。ぼくは空腹の限界で、手づかみで肉をチキンのように頬張る。味は薄い。薄い方が健康にいいのかもしれない。
脚の骨だけ皿に残すと、もう何の動物だったかわからない。とりあえず欲は満たせた。
どうせお母さんは明日の昼過ぎも帰ってこない。寝室に行き、ベッドに転がり込んだ。そして眠った。栄養を摂っても、ベッドに乗る右腕はやはりまだ違和感があった。
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