お前らこんなことしてる場合か!ちくしょう俺もだ、抗えねえ!!

 大河にマウントポジションをとる凛音の怒りときたら、あまりの剣幕に高麗川がびびって四の字固めを緩めてしまうほどだった。しようと思えば体重の軽い凛音なんぞ跳ねのけて脱出できる大河はどういうわけか、されるがまま、胸ぐらを掴まれ激しく揺さぶられていて、罵声と大量の唾をぶっかけられている。目線はいまだマリンを捉えたままで。


「あいつはな!大河!あいつは、お前の、お前の肩を気にしてたんだよ!予定外の登板になって、ろくに準備させてあげられなかったって!自分のことよりもお前の、よりによってお前の!てめぇなんであいつの気持ちわかってやんないんだよ!胸糞悪いことばかり言いやがって、あいつがいくら頑張って鍛えてもお前みたいな男に追いつけない苦しみがわかるのか!どこ見てんだなんとかいえこのヤロウ!」


 マリンがグラウンドの外へ出て行ったことを見届けた大河はゆっくりと目線を凛音の方に戻した。


「それがどうした?グラウンドに平等持ち込んどいて今さら性能差を持ち出すんじゃねえよ。限界なんか言い訳にすらならねえ、勝敗に性別は関係無いんだよ」

「んなことはわかってるんだよ、あいつも、あたしも!目指したいものがあるからここで野球やってるんだ。お前に限界を突きつけられても、逃げずに必死に歯を食いしばって野球にしがみつくしかないんだ。それしかないんだよ、あたしら女は!あたしが言いたいのは置いてってもいいから振り向くだけの思いやりくらい持てってことだ!」


 ああ。すげえよ、お前ら。しかし大河はそれを胸の内に留め、「ははは。思いやったら甲子園に行けるのか?」と悪態をついたものだから凛音の怒りは最高潮に。


「ぶっ飛ばす!」

 凛音は拳を振りかざした。

「はい凛音ちゃんストーップ!」

「……何すんですか、センパイ」

 おいおいと凛音の手首を苦笑ぎみに掴んで言ったのは。

「レディが殴っていいのは、野郎が浮気をした時だからね?」

 女子と繋がりたいなら男の薗川へ。男女交際請負人と変な肩書きを持つ二年生、右翼ライトを守るイケメン五番打者、左投げ右打ちの薗川そのかわ友和ともかず。このチームのキャプテンである。


「キャプテン、こいつを殴らせてください」

「そうだね。でもいけないよ」

「お願いだ殴らせて」

「うん。でもダメ……おっと」

「放せキャプテン!こいつを殴らねえと、あたしの気が収まらないんだ!」

「僕はキミのそういうエネルギッシュなところ、一番打者としてはとても好きだな、その意気を大切にしてね。それにしてもえぐいパワーだな」と友和は鎖でつながれた狂犬のようになおも暴力を奮おうとする凛音を抑えつつ言った。だが依然として牙を剥き続ける凛音の様子に、「仕方ないなぁ」と友和は苦笑すると、指をパチンと弾いた。


「はは!やっとコマガワの出番が回ってきたようだねキャップ」

「やれやれキミの調子の良さには敬服するよ……ああいつもの頼むよ、お姫さまの腹の虫を治してやって」

「Yes,Sir.いでよデーモン、そしてリーネのアレにアレしたまえ!」


 天を衝く高麗川の横で、巨大な塊が動いた。

 そう高麗川が何かを呼ぶまでは確かにそれはモノだった。いや仏像だと断言しても差し支えない。そいつは呼ばれた途端、回路に電流が流れ行き渡るように生命反応が徐々に大きくなっていった。


「御意」


 たった一言、発したかと思えば、片膝立てて座った状態から極めてゆっくりと立ち上がった。高校生とは信じられないほどの筋骨隆々で、身長は2mに届こうかという巨漢は自分の名を重低音で訂正をする。


大門だいもん昇竜しょうりゅうだ」


 五厘刈りの無表情で高麗川を見下しながら言ったのは右投げ右打ちの一塁手ファーストで、これまた信じられないが高麗川と同級生の大門昇竜である。大河を遥かに凌ぐパワーが魅力の長距離砲で、四番打者だ。そうして大門の影に隠れて乱闘を静観していた右投げ右打ちの二年生、女子野球部から転身組の三塁手サード田中たなか智美さとみをひょいと肩に担ぎ上げ、くいくいと高麗川を指で呼ぶ。


 智美にしたら冗談じゃない。


「なななななにするの!おろして、おろしてくださーい!」とおさげを振り乱し、眼鏡をずらしてじたばたする智美に、「生贄」と大門が重低音で処刑宣告するものだから智美の抵抗はより激しいものになった。頭をポカポカ叩かれる大門は目を閉じてじっと耐えている。

「安心してくださいサトミン!このコマガワにお任せあれ!」

「あーん高麗川さんのばかぁ、大門くんも!」

「何度言ったらわかっていただけるのですか、コマガワは天才ですよ!いきます!」


 とおりゃと助走をつけ加速する高麗川は、やすやすとムーンサルトを成功させ大門の肩に乗った。大門の双肩には満面の笑みの高麗川と今にも泣き崩れそうな智美、この時点でもう凛音の怒りは治まっていたというか白けた。友和はそっと手首を放した。そうした凛音の興ざめをつゆ知らず、大門は女性2人を宙に放り投げ左右の肩に入れ替えるという曲芸じみたことを始める。


 悲喜こもごもな悲鳴をバックに「どうする凛音。続ける?やめる?」と友和の問いに凛音は「あたしはああいうバカの類じゃないんで」と拗ねた顔で言った。それにと凛音は付け加え、「こういうのも暴力って言うんじゃないっすかキャプテン。止めさせて下さいよ、これセクハラっすよ」と指差して言った。指を差された女子は心外だという顔をして。


「あら後輩を労る先輩のどこがセクハラなのよ」

「得意の色香を使ってこいつを窒息させているところっすかね」


 凛音のやや冷めた視線を受け、左翼手レフトでこちらも女子野球部からの転身組で二年生、左投げ左打ちの薗川そのかわエリカはふ~んと長いポニーテールをかき上げ鋭い眼光を飛ばす。目線の応酬を察した友和はそっと逃げ出す準備に取りかかる。エリカと友和は双子で、エリカは姉である。ちなみに大河はどんな状態かと言うとエリカに膝枕をされ、顔を下腹部にがっちりと埋め込まれている。先程から大河は必死にタップしているが、エリカは手放すどころか圧し殺す勢いで大河を黙らせにかかった。


「俊一ってばとても喜んでいるわよ。ね〜?」とエリカは嬉々として聞くが大河の抗議は吸収されてよく聞こえない。凛音は呆れ顔だ。そしてマウントポジションを解除しながら、「はっ。拗らせて野球辞める事になりましたってのはナシにして下さいねエリカさん」

「そうね。飽きない程度に遊ばせてもらおうかしら。の凛音にはどの程度かわからないでしょうけど」


 再び互いに眼力込めて火花を散らす二人。友和は大門曲芸の観衆と化していた。ここで対応に困っていたのは武蔵である。英国紳士の血を引く者らしからぬ、冷や汗をかいてオロオロしていたら、里子から「ここは私に任せて下さい。尾鷲くんは海風さんを迎えにいって下さいね」と耳打ち、武蔵ははにかみながら何度も頷いた。


 ――お前らこんなことしてる場合か!ちくしょう俺もだ、抗えねえ!――


 暗闇の柔い感触と芳香の中、そう叫び倒したい大河であった。


 さて武蔵がグラウンドを出ること五分、岬へと続く潮彩通りの、長く急な坂道を快調に下っていると。


「この道は結構スピード出せるけど、マリンちゃんってば足速いからボクじゃ追いつかないや……あっ!」

 武蔵の視線のはるか先、信じ難い光景を見た。坂の下で、足首を押さえて座り込むマリンがいた。

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