自責の雨

@hanamura

第1話

曇り空が続く日々

湿気の不快感が集中力を削いでいく


神崎は制服の袖を捲り、この蒸し暑さを凌ごうとする 


教室のチャイムが鳴った


「はいじゃあ今日はここまで。今回のテストで間違ったところはきっちり復習しておけよ」


黒板の前に立つ先生がそう言うと、

教卓の上にある荷物をまとめてさっさと教室を出て行った


次第に生徒達が各々で会話を始め、教室が賑やかになっていく


そんな中、こちらに近づいてくる男がいた

その男は神崎の数少ない友人である竹田だった


「神崎!お前テストどうだった?」


竹田はテストが返却されると必ずこう聞いてくる

予想通りの問いかけに神崎はいつも通りの答えを返す


「別に普通だよ」


「普通って98点のどこが普通なんだよ!ほら、これを見てみろ」


そう言いながら竹田は赤点ぎりぎりの解答用紙を見せてくる


「俺はこんな点で一喜一憂してるっていうのにお前はもっと喜べよ」


神崎は答える

「喜べって言っても満点じゃないだろ?」


竹田はため息を吐きながらケチをつけてくる


「成績トップの人は言う事が違うわ。ずりーなぁ」



ずるいって...

テスト前に遊び呆けてた奴はどこのどいつだ

と言おうとしたが、あまり小言を言って拗ねられても面倒くさい

心の中にしまっておこう



「はぁ、また母ちゃんに怒られるよ

俺もうお家に帰りたくない...そうだ!今日の放課後、カラオケ行かないか?傷ついた俺の心を癒してくれよ」


非常に楽しそうな提案だ

いつもなら二つ返事で了承するところだが

残念ながら神崎には断らなければいけない理由があった


「悪いな今日から文化祭実行委員の仕事があるから無理だ」


「マジか…まあそれならしょうがないな。また暇そうな時に誘うわ」


竹田もこの理由には駄々をこねず納得してくれた




放課後、神崎は委員会の顔合わせが行われる教室へと足を運んだ


そこには既にそれなりの人数が集まっている同学年で身を寄せ合い他愛ない話で暇を潰しているようだ


神崎は三年生グループの1番後ろの席に腰を下ろした

会議が始まるまでぼーっと座って待っておこう


はたして文化祭実行委員はどのような仕事をするのだろうか

あまり目立たない仕事であれば良いのだが

実際去年、一昨年と文化祭は裏方を選びひっそりと仕事をこなしていた

今年だって文化祭実行委員を特にやりたい訳ではなかったが、クラスの中で誰かがやらなければいけない役職だった

あの時グーではなくチョキを出しておけば良かったなんて今更言っても仕方のない事だ


一人寂しく考え事をしていた神崎だったが、

そろそろ教室に入ってくる生徒もいなくなってきた頃

とある生徒が黒板の前に立つ

どうやら始まるみたいだ


「それではそろそろ時間なので始めさせてもらいますね

まずは自己紹介から!

私は生徒会の鷹野です

みんなで文化祭を盛り上げていきましょう!」


そうやって明るい雰囲気で三年生から順に、当たり障りのない自己紹介が進んでいった


自分の番も卒なくこなし、神崎は暇を持て余していた


自己紹介もようやく一年生まで回り終わりが近づいてきた頃、とある名前が耳に引っかかった


「一年二組大倉玲奈です。よろしくお願いします」


綺麗な黒髪に端正な顔立ちの女生徒


神崎の心臓は激しく波打った




会が終わると、神崎は1番に教室を出た

理由は気分が悪かったからだ

大倉という名前を聞いて嫌な事を思い出してしまった

いやトラウマと言う方が正しいだろうか

とにかく心を落ち着かせる必要があった


彼女とは面識がないしトラウマと関係もない

ただ大倉と言う名前だけが心に引っかかるのだ

これからずっと顔を合わせることを思うと気分は優れない






「神崎、今日も委員会か?」

あれから数日間が空いた

今日が委員会の日だ

どんな日でも竹田は明るく話しかけてくる


「ああ、残念なことにな」

こちらの気分は真っ暗だが


「そんな悲しそうな声出すなよ

ほら、せっかくの機会なんだから友達でも作ってみたらどうだ?

お前、俺以外と話してるところほとんど見たことないし」


「友達?何言ってんだ。俺はもうあの委員会ではひっそりと生きていくと決めたんだ。

だからそんな可哀想なものを見るような目で俺を見るのはやめろ」


「がんばってね神崎...!お母さんいつもアンタのこと応援してるから...!」


「お前はいつ俺の母親になったんだ?」


竹田はいつも適当なことしか言わないが少し気は楽になった


一年の大倉玲奈は俺に何の関係もない

委員会が終われば関わることもないだろう

気にしても仕方がない

一人で仕事を終わらせて帰ろう





「つまりここはこうすればいいんですか?

神崎先輩」


「ああそれで合ってるよ大倉さん」


どうしてこうなった


よりにもよって一年の大倉と二人きりで作業をする事になるとは


大倉玲奈は分からないことががあればすぐ人に聞くタイプだった

教室には仲良しグループで固まって楽しそうにしている先輩方が数名

騒いでいる男子生徒が数名


もし一人で真面目に作業している先輩がいたならなら話しかけやすかったことだろう


流石にこうなるとは予想できなかった


今、この空間は

彼女の質問によって会話が生まれ、神崎が答えることによって会話が終わる

それ以外は沈黙だけが流れている


何かこの状況を脱する方法はないだろうか



「大倉さん向こうは盛り上がっていて楽しそうだけど混ざらなくていいの?」


「いえ大丈夫です多くの人に囲まれるのは少し苦手なので。それともお邪魔でしたか?」



神崎はできる限りの愛想笑いをしながら首を横に振った



黙々と作業を続けている2人の元に珍しく他の人物が近寄ってきた


文化祭実行委員の補助をしている生徒会の鷹野だ


「頑張ってるね二人とも!よかったよ真面目にやってくれる人がいて

他の人たちは遊んでばっかりだから助かってるよ〜」


確かに向こうは和気藹々と仕事をしている

なんなら和気藹々とし過ぎていると言っても良いかもしれない

盛り上がって作業の手が止まることも多々ありそうだ

そう考えると鷹野の胃も心配になってくる


まあ楽しく活動が出来るのは良いことだろう


「それにしてもふたりは珍しい組み合わせだね。元々知り合いだったの?」

教室のすみっこぐらしと美女の組み合わせに疑問を持った鷹野が尋ねてくる


「いや初めましてだよ大倉さんが暇そうな俺に分からないことを聞きにきただけだ」



鷹野はそれを聞くと大倉さんの方を向いて

「そうなんだ。大倉さん、分からないことがあったら私にも聞いてくれて良いからね!」

と言った


「ありがとうございます。ではひとつお聞きしたいのですが、この雰囲気だと作業が予定通りに進みそうにないのですが大丈夫でしょうか」


確かに委員会の仕事に来たというよりおしゃべりをしに来たような人がばかりだが...


鷹野も苦笑しながら答えた


「そうだね私の方からもっと真面目にやるように言っとくから」


大倉さんはよろしくお願いしますと伝え作業に戻った



彼女はとことんまで真面目だ

しかも全体を見る余裕すらある

俺は自分のことしか考えていないと言うのに


神崎は自分の行動を振り返り、改めようかとも考えたが大変そうだったのでやめた






本格的に委員会活動が始まり数日が経った

今日も二人で静かに作業を進めている


最初の頃は無言の時間に耐えかねて話を振ってみたりもしたが一切会話が広がらず話しかけた事を後悔したものだ


だがようやくこの空間にも慣れてきた

文化祭の開催日も着実に近づいてきている


この調子で何事もなく終わらせよう


「神崎先輩少し良いですか?」


「ん?どうした?」


「必要な備品が第三準備室にあるそうなのですが場所がわからなくて」


「第三準備室か

あれ分かり辛いところにあるから案内するよ」


第三準備室は生徒が普段通らない僻地のさらに奥にある

口で説明するよりも行った方が早いだろう


神崎と大倉は今日も今日とて賑やかな教室を出ようとする

その時鷹野に話しかけられた

「あれ二人ともどこ行くの?」

「ちょっと第三準備室に備品を取りに行ってくる」


「そうなんだ

いってらっしゃい」


鷹野は委員会にで活動している全員にうまいこと気を配っている

こういった細かいところが生徒会で活躍する秘訣なのかもしれないな


そんな事を考えながら教室を出た

準備室に向かう途中、珍しく大倉が口を開いた




「神崎先輩、先輩は他の人のことが気になったりしますか?」


しかもいつもとは違う内容だ

今までは業務的な質問しかなかったと言うのに

まさかこのタイミングで恋バナか?


神崎は動揺を隠し、落ち着いた声色で答える


「いやあまりに気になったりはしないな。

何かあったのか?」


「先輩は周りを気にせず、ずっとお一人で作業を続けてらっしゃいますよね」


ああそういう話か

恋バナじゃなくて一人ぼっちで生きる極意が知りたいのか?



「今、作業の進行が予定よりだいぶ遅れているのでこのまま行けば文化祭に間に合わなくなると思うんです

鷹野さんにも改善をお願いしましたが状況はあまり変わってませんし...

だから私が注意しに行こうかと思いまして...」


ああ、この人根っからの学級委員長タイプなんだな

しかも口うるさく言い過ぎてクラスメイトに

嫌われるタイプだ

いつか「大倉さんウザいんだけど」とか悪口言われなければ良いが


「中学校の頃はみんなに鬱陶しく思われて話を聞いてもらえなくなってしまって...」


既に経験済みだったか...


「だからといって中途半端に終わらせるのは納得がいかないんです」


大倉さんも色々と抱えているんだな

確かにこれは難しい問題だ

何故なら大倉さんは何もおかしな事を言っていない

文化祭実行委員会という文化祭を成功させるために組織された委員会に仕事を真面目にしない人たちがいる

このままでは文化祭が成功しないから不真面目な人たちに注意をしたい


何も間違いっていない


なのに迷いが生まれるのは考え方の違いだろう

大倉さんは文化祭を成功させ全校生徒に楽しんでもらうため、面白くもない仕事を真面目にこなしている

おしゃべりをしている彼らはいかに楽しみながら作業を進められるかを考えている

文化祭の準備というイベントを楽しんでいるのだ

彼らだってぎりぎりになれば大慌てで仕事を頑張るだろう


つまり正しいのは前者で楽しいのは後者という話だ


いつも静かな一年生がいきなり上級生を説教し出したらどんな空気になるかなんて容易に想像が付く


雰囲気や流れを変えるのは非常に難しいことだ


俺はなんて声を掛ければいいのだろうか


大倉さんは立て続けに話す


「大体、馬鹿馬鹿しいじゃないですか

最初に時間を使って出来もしない計画を立てて大して中身のない会話をして結局上手くいかなくて真面目にやってる人たちに皺寄せがきて」


これは予想以上に怒ってるな...


「さっさと仕事を終わらせれば自由な時間が増えるのになんでだらだらとやるんですか。バカですよあの人たち」


一度話し始めたら止まらないぞ

これは相当ストレスが溜まってそうだ


「まあまあ落ち着いて。バカは言い過ぎだから彼らも頑張ってるから」


神崎が少し向こうを擁護すると大倉さんはキッとこちらを向いた


「何ですか。先輩も向こうの肩を持つんですか。先輩なら分かってくれると思ったのに...」


難しいな

こういう時は何を言えば良いんだ?


神崎はとりあえず喋る

「ほらあれだよあれ。人間足りないところを補い合って...」



大倉さんはこちらを向きながら歩いている

階段...

目の前に迫った階段に気付いていない...!


「危ない!!」


神崎は急いで大倉の手首を掴んだ


大倉は小さく悲鳴を上げながら体勢を崩すもギリギリ転げ落ちることは免れた


「す...すみません...ありがとうございます」


危なかった

怪我もしていないようだ

咄嗟に体が動いてよかった

転げ落ちたら大変な事だっただろう


それにしてもさっき手を掴んだ瞬間変な音が鳴った気がした


床の軋む音だろうか

校舎の老朽化が心配される



その後も神崎は何度も謝られた

周りが見えていなかった

反省していると

そもそも神崎は怒っていないため何度も謝罪を受けると何故か逆に申し訳なくなってくる始末だ


そうこうしているうちに第三準備室に辿り着き、必要な備品を持って元の教室へと戻った


今日はいつもより疲れたが大倉さんの人間らしい一面を知れた気がする

せっかく告白してくれた悩みの解決方法は何も思いついてないが...






「竹田、質問があるんだけどいいか?」

今日は委員会のある日

未だ神崎は解決案を導き出せずにいた


「おお!珍しいな。天才秀才神崎くんが俺に教えを請う日が来るとは!」


喉まで出掛かったため息を押し殺した

何だこのテンションは

その口からタメになる話が出てくる気がしない

やっぱり竹田に聞くのはやめればよかったか...

いや駄目元で聞いてみるか



「ほうほう。サボりがちな生徒を真面目に働かせるにはどうすればいいか、と

それはあれだな。そいつらを焦らせればいいんじゃないか?」


焦らせる...か


「そういう奴らは大体現状を理解してないからな

まあ、まだ遊んでても大丈夫だろうと思っているからサボってしまうんだ

例えばテスト週間に入ってもテスト勉強をしない奴がいたとしよう

そいつは貴重な1日をゲームに費やしてしまってもまた明日頑張ればいいやと思う

そして直前になってようやく課題に手をつけ始めると予想以上の量に慌て始める

そして現状に気づけば焦りながら必死に勉強を頑張るんだ」


「妙に実感がこもってるな

まるで何度も経験しているみたいに...」


「ま...まさか!これはあくまで例えばの話だよ!?」


なるほど

思ったより実のある話を聞けた

聞いてみるものだな


神崎は竹田に感謝を伝えてから活動が行われる教室に向かった


扉を開け、教室に入るといくつか視線を感じた

楽しいおしゃべり空間を壊しにきた人間の気配を察知し、警戒してるのか?


神崎はいつもの席に腰を下ろす


しかし...焦らせると言っても何を言えばいいのだろうか

そもそも俺の話を聞いてくれるのか?


まだまだ課題は山積みだ

悩んでいる神崎の元に大倉もやってきた


席に座って言う

「お疲れ様です神崎先輩。何か考え事ですか?」


「いや前に話してた件なんだけど...「大倉さん!今日は一緒に作業しない?」


「ずっと前から一緒にお話ししたいと思ってたんだ〜」


な、なんだ?

いつも向こうで楽しそうにやっていた人らが急に絡んできた


大倉さんは突然のことにオロオロしている


「ほらせっかくだから仲良くなりたいな〜って思って!」


「あっちでワイワイやろうよ〜」


そのまま半ば無理矢理に連れて行ってしまった



そして大倉さんを連れて行った人らは最後に、こちらを一瞬睨むような顔をして見せた


何だったんだ?

俺が何か悪い事でもしたか?


それに先程から周りの視線を感じる

こちらに届かないような声で話しているような素振りも


神崎は静かに席を立ち教室の隅を通りながら教卓の上にあるガムテープを取りに行った


その道中、聞こえた


「あの人がイジメてるってホントなの?」


「写真で証拠が...」


「シッ...!聞こえるって...!」



は?俺がイジメ...?



なぜ...



その事を知ってるんだ...?





神崎は教室を飛び出してトイレの個室に入った


冷や汗と動悸が止まらない


一度落ち着かなければ


まず“有り得ない”


その件は俺が小学生の頃の話だ


今更そんな話が掘り返されるわけがない

何かの間違いだ


関係者も今は別の高校に散らばっている


一体、誰が噂を広めたんだ

俺のクラスメイトに不審な様子はなかった

竹田もいつも通りだった


だがあの教室にいた連中は全員知っている様子だった

大倉を除いて...


あの中に居るのか?

俺の噂を広めたやつが...





神崎は落ち着きを取り戻し教室に戻った

やはり視線を感じる


大倉とも目が合った

話を聞いただろうか


何故急にこんな事になったのだろう


この教室内に関わりのある奴は殆ど居なかった

誰にも関心を持たれていなかった

それが今では共通の敵のようになっている


この状況をどうにかする方法はないか?


神崎は頭を悩ませた

作業にも身が入らない

悩ませ続けたままチャイムが鳴った

完全下校時間を告げるチャイムだ

これがなると活動は終了

もう帰らなければならない

解決策は何も浮かばなかった

当然だ

心当たりがあるのだから

こんなもの自業自得以外の何物でもない


神崎は一人帰路についた



それからも神崎はいつも通りに過ごし続けた

登校し、授業を受け、放課後に委員会があれば顔を出した

視線に晒されながら


竹田も神崎の違和感に気づき声を掛けたが、神崎は「何でもない」と嘘を吐いた

それは心配をかけたくないとか高尚なことではなく、ただ怖かったのだ

竹田に見放されるのが


そして意外にも助けになったのは鷹野の存在だった

あの場にいれば知っているだろうに

神崎が備品を取りに行く時などの完全な一人のタイミングに限って声を掛けてくれる


関わっても得など無いだろうに

いつも通り、何事もなかったかのように話しかけてくれる


これが彼女なりの優しさなのだろう





今日も委員会のある日だ

神崎は教室の扉を開けた


いつもより強く視線を感じる


すると、とある男子生徒が立ち上がりこちらに向かってきた


神崎の目の前に立ちこう言う


「神崎、お前もう来なくていいから

お前の分の仕事も俺たちでやっておくから帰ってくれないか」


流石に面と向かって言われるのは堪える


「ああ、悪かった。すまない」


神崎は何とか言葉を捻り出しその場を後にした


俯きながら下駄箱へ向かう


「あれ、神崎?お前今日委員会じゃなかったか?」


竹田の声が聞こえたが構う余裕がなかった


上履きを脱ぎ靴に履き替え、神崎は家路を辿った



あの男子生徒の目が怖かった

こちらに向けられたいくつもの顔が怖かった

教室内の雰囲気が怖かった

あの疎外感が怖かった



”彼“もこんな思いをしたのだろうか


自分の犯した罪はこれほどに大きいものだったのか

全貌を理解していなかった


自分の犯した罪の重さに気付いてしまったから、もう押しつぶされそうだ


冷たい

頬に雨が伝う


段々と雨が強くなっていく


だが自分の身体を雨から守る価値すら感じない


きっと雨に降られている姿がお似合いだ


もうこれから、この雨に降られたまま...



雨が止んだ?

いや止んでいない


俺の周りだけ降っていない

神崎は上を見上げた


傘がある


後ろを振り向くと青年が立っていた

見覚えはない

背が高く細身の男


そして言う


「大丈夫ですか?このままじゃ風邪を引いてしまいますから雨宿りできる場所に移動しましょう」


神崎は今、誰とも話したくなかったが

その青年の吸い込まれるような瞳に釣られてしまった


二人は近くの公園まで行き、屋根のついたベンチに座る



青年は何も言わず俯いたままの神崎を見かねてハンカチを差し出した


何故この人は見ず知らずの人間にここまでしてくれるのだろうか


しかも俺のような人間に


「大丈夫ですか顔色が優れないようですが...」


青年は心配そうな顔をしながら言った


「僕に話を聞かせてもらえませんか?」


神崎はもう礼を言って帰ろうとした

赤の他人に話すようなことではない

だが無意識のうち、既に口が開いていた


「最低な話でもよければ」



「是非とも、お願いします」

青年は力強く言った



神崎は心の内を語りだした

「それじゃあ俺が小学生の頃の話ですが...」



同じクラスにとある男の子がいた


その子は足が遅くて跳び箱が飛べなくて授業中、先生に当てられても答えることが出来なくて

あと背が小さくて体質のせいか体も肥えていて

昼休みはみんなが校庭で遊ぶ中いつも一人で教室に残っていた


それとは反対に神崎は運動会のリレーでアンカーだったしテストの点も学年でトップだった

友達が居ないのが悩みだったが最近になってようやく一緒に遊んでくれる友達ができた



そんな神崎はその子が可哀想だと思った


良いところが一つもないなんて可哀想だと


でも違った


ある日たまたま彼の机の上に置いてあるボロボロの自由帳が目に入った


神崎は魔が差して彼の自由帳を勝手に盗み見てしまった


そして衝撃を受けた


彼は絵がとびきり上手だった


同い年の子が描いたものとはまるで思えない絵がいくつもあった


神崎は彼に興味を持った


昼休みに勇気を出して話しかけそれから神崎は彼が絵を描いているのを横でじっと見るようになっていた


二人の間にあまり多くの言葉は生まれなかったが隣にいるだけで気づいた


彼は絵が上手で、優しくて、好奇心旺盛で、

素直で、努力家で、我慢強くて、おおらかで、正義感があって、礼儀正しくて、思いやりがあって、絵を描いている時の彼の瞳は輝いて見えた


挙げたらキリがないほど良いところが見つかるのに


神崎は恥ずかしくなった


こんな人をいいところが一つもない可哀想な人だと決めつけていた自分が


この時点で既に神崎は同い年の少年に憧れを抱いていた


自分もこんな風になりたいと





だが道を間違えるのはこれからだ





とある雨の日

あの絵の上手な彼がイジメられているのを見かけた


神崎の友人らに


彼は容姿を揶揄われ、絵をバカにされ

輪の真ん中で一人俯いていた



友人らが神崎の存在に気づく


そして言うのだ


「お前も混ざれ」と


ここで神崎が友人らの誘いを断り彼のために怒っていれば違った未来もあっただろう


だが神崎は保身を選んだ


この友人らとの関係が拗れればクラスで居場所がなくなってしまう


あの雰囲気に流されず、友人らに逆らう勇気が神崎にはなかった


自分の身のために憧れを見捨てた


しまいには言われるがまま、あの自由帳を破ってみせた



それ以来、神崎と彼は二度と関わることなく小学校を卒業し、別々の中学校に進学した


神崎は今でも彼の泣き顔を夢に見る


あの時選択肢を誤らなければと何度も後悔した


そして何よりも後悔しているのが彼にごめんの一言も言えなかったことだ


何度も謝ろうと思ったが何を言われるのかが怖くて逃げてしまった


小学校を卒業するまで逃げ続けてその罪が今になって覆いかぶさってきている


自分のような人間は疎外されて当然だ


あの時から後悔と自己嫌悪が止まらない


だがもし今あの男の子、“大倉優吾”が目の前に現れたら謝ることができるだろうか


もしまた逃げてしまったら...

あの時から何も変わっていなかったとしたら...





聞き役に徹していた青年が笑いながら言った

「あなたは優しいんですね」


神崎は笑っている理由も言葉の意味もよく理解できなかった


「何言ってるんですか俺が優しいなんて」


「優しいですよ今でも後悔し続けているんでしょう?普通なら忘れますよ」


「いや忘れて良いわけないじゃないですか」


青年は微笑みながら言う

「その気持ちがあればもう十分ではないですか?それでも自分を許せないのであれば行動に移してみるのはどうでしょう

自分を責めるのはもうやめにしてください」


行動か...

心の中で自分を責めるだけではいつまで経ってもあの頃から変われない


臆病で逃げてばかりの自分を変えなければならない


青年は空を見上げて言った


「雨が弱くなりましたね。もうじき、止むでしょう」



翌日、神崎は委員会に顔を出した


教室内の全員が面食らっている

あれほど言われてまだ顔を見せるとは思わなかったのだろう


あの男子生徒がまた立ち上がりこちらに向かってくる


謝ろう

直接彼らに何かをしたわけではないが

不快な思いをさせてしまったのは確かだ


彼らに謝って竹田にも本当のことを伝えよう

なんて言われるだろうか

どんな言葉が飛び出してきても俺は全て受け止めなければならない


男子生徒はもう十分近づいてきた

神崎が口を開こうとした瞬間、バンッと音を立てて教室の扉が力強く開いた


そこに立っているのは竹田と大倉の二人だった


「おい!!神崎が人をイジメてるって話

あれデマだぞ!」


「そうです!神崎先輩はそんなことしてません!」


イジメがデマ?

何を言って...


あの男子生徒も同じことを思ったのだろうか

一瞬たじろぐものの言葉を放った

「デマだって?証拠があるだろ

神崎が大倉さんの手を無理やり掴んでいる証拠の写真が!」


証拠の写真?

そういえばそんなこと言ってたか

でもおかしい


今、一年の大倉さんは関係ないだろう

それに大倉さんの手を無理やり掴んだこともない

それ以前に俺が小学校で大倉優吾のことをイジメてた時の写真なんてあるはずがない


なにか勘違いをしているのか


珍しく声を荒らげながら大倉さんが言う

「あの写真には悪意があります!神崎先輩は階段から落ちそうな私を助けてくれたんです!」


階段?

確かに第三準備室に向かう途中階段から落ちそうになった大倉さんの手を掴んで助けたが

その瞬間を誰かが盗撮してたのか?


まず第一に二人で第三準備室に向かうことは誰にも言って...

いや鷹野以外には誰にも言ってないはず...


男子生徒が戸惑いながらも言う

「だって鷹野が言ったんだ

神崎が大倉さんをイジメてるって

その証拠の写真と合わせて見せてきて

神崎と大倉さんを引き離す手伝いをしてくれって...」


全員の視線が教室の隅にひっそりと立っていた鷹野にいく


注目を集めた鷹野は耐えられなくなり教室を飛び出してしまった


つまり鷹野が嘘をついたのか?

第三準備室に向かう俺たちを尾けて

俺が大倉さんの手を掴んだ瞬間を写真に撮り、

あたかも俺が大倉さんをイジメているかのように仕向けた

そして委員会のみんなは大倉さんを俺から守ろうと引き離し

大倉さんは訳のわからないままみんなに優しくされて

俺は勝手に小学生の頃の話だと勘違いして反論もせず黙り込んでしまったと


でも一つ疑問が残る

なぜ鷹野はこんなことを?

俺を攻撃してストレスでも解消したかったのか?

いやでも鷹野はずっと俺に優しくしてくれていた...

考えるより行動したほうが早いか

鷹野に直接聞きに行こう


神崎は下駄箱に向かい校門を張った


向こうから俯いた鷹野がトボトボと歩いてくる

こちらに気づいた


すると鷹野は意を決したようにこちらに向かってきてこう言った

「本当にごめんなさい」


神崎は問いかけた

こんなことをした理由を

そうしたら鷹野はこう言った


神崎くんと大倉さんがいつも一緒にいるから引き離したかった

神崎くんが取られてしまうと思ったから、と


つまりこういうことか?

鷹野は俺のことが好きで大倉さんと一緒にいることが気に食わず引き離すためにイジメを偽装したと...


神崎は思わずへたり込んだ

そんなことでそこまでするのか...


それを見て鷹野は堰を切ったように泣きながら謝りだした


まあ俺は鷹野に感謝するべきなのかもしれない

今回の事があったから自分を見つめ直す事ができた

あの頃から止まったままだった自分がようやくほんの少しづつ動き始めた気がする



神崎は立ち上がり、「ありがとう」と言うと鷹野はぽかんと口を開けて止まってしまった




事態はすぐに収束していった

委員会のみんなには謝られた

あの男子生徒も、「酷いことを言ってしまった騙されていたとはいえ申し訳ない」と謝ってくれた


神崎は「全然気にしないでくれ。それよりも文化祭の準備がやばい」と伝えるとみんな大慌てで作業に取り組み始めた


大倉さんはそれを見て満足げだった

彼女も急に囲まれて優しくされて不審がっていた

神崎が巻き込んだことを謝罪すると

「なんで神崎さんが謝るんですか」と笑って流した


それと竹田が神崎の疑いを晴らすために色々と走り回ってくれたことを聞いた

聞き込みをし、写真の存在を知り、大倉さんに直接話を聞いて状況を理解したようだ

神崎は竹田にお礼を伝えると同時に過去のことを話した

それでも竹田は「また辛いことがあれば俺に話せ。友達なんだから頼ってくれ」と言った

感謝してもしきれない

神崎も竹田に困った事があれば必ず何度でも手を貸すと固く約束した




そして今、雨の中神崎は公園に来ている

何故ならあと一人、礼を言い忘れた人がいる

名前も聞き忘れてしまった

あの青年に会えるだろうか

必ずもう一度会って礼を言いたい

屋根のついたベンチに座って歩道を見ていると見覚えのある顔がいた

大倉さんだ

傘を一つ差してもう一つ手に持って歩いている

彼女も神崎の存在に気づきこちらに向かってくる

「神崎先輩こんなところで何してるんですか?」


「いや、ちょっと人を探しててな。大倉さんは?」


「私は兄の迎えに。傘を忘れちゃったみたいで」


「へぇお兄さんがいたのか」


「そうなんですちょうど先輩と同い年の兄ですね」


「なぁそのお兄さんのこともう少し詳しく教えてくれないか?」


「え?別に良いですけど...

兄は絵がとても好きで画塾に通っているんです。ちょうどそこに今から迎えに行くところで」


「ほ...他には?」


「他ですか?うーん...兄は優しい人ですね街で困っている人がいたら絶対話しかけちゃうんです。あ、あと小さい頃は背が低くて太っていたんですけど今じゃ別人みたいに背が高くなって体も細くなっていて...」


「なぁ大倉さん。俺も着いていっていいか?」


「え、兄の迎えにですか?なんでです?」




「ちょっとそのお兄さんに用があるんだ。言わなくちゃいけない事がある」


ありがとうとごめんを彼に伝えたい


神崎は立ち上がり空を見上げた


雨は止みそうにない


だが今は


傘を持っている


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