最初からもう、落ちている
いよの ちか
第1話 ずっと続く幸せを
夏になると私の幼馴染の事を毎日のように思い出す。
三歳から高校を卒業し、県外の大学に進学するまで隣の家で暮らしていた彼女の事を。
私の幼馴染は『夏』がとても似合う。
ひまわり畑や真夏の空に入道雲、目が眩むほどの眩しい太陽が、まるで彼女のために誂えたかのように似合うのだ。それに、名前も「なつ」で夏生まれなのだから、彼女のような人こそを「夏の女」と呼ぶのだろう。
私はそんな彼女を「なっちゃん」と呼び、彼女は私のことを「ゆきちゃん」と呼んだ。私の名前は「ゆき」ではなかったけれど、彼女曰く、私は冬の、それもとびきり雪が似合うらしく、小さい時から「ゆきちゃん」と呼んでいたら、もうこのあだ名が口にすっかり馴染んでしまったのだと彼女は言っていた。
私も、彼女だけが呼んでくれるこのあだ名が大好きで、「ゆきちゃん」と呼ばれるととても嬉しいから、彼女は私の事を今も変わらず「ゆきちゃん」とずっと呼んでくれるのだ。
「あなたたちはずっと仲良しね」と両家の親に言われるほど仲が良かった私たちは、大人になった今でも変わらず、時々会ったり、電話やメッセージのやり取りをしている。
学生の頃とは違い、それぞれ会社に勤めている上に、私も彼女も違う県の別々の大学へ進学し、その進学先の土地で就職したので、前ほど頻繁に会う事はできなくなってしまったが。
そんな私と彼女が初めて出会ったのは、私の家が彼女の家の隣に建ったからだった。
引越しの挨拶に行った私が見たのは、眩しいほどの笑顔。
彼女は、昔は恥ずかしがり屋だった私の緊張をあっという間に解き、手を引いて私を沢山の場所に連れ出してくれたのだ。
当然、どんどん私たちは仲良くなり、同じ幼稚園、小学校、中学校に通い、高校は別だったが、通学路はほとんど同じだったから毎日一緒に登校していた。
――そう、高校。高校時代には特別な記憶がある。
忘れもしない高校生二年生の夏、初めて彼女に恋人が出来た時の事だ。
「どうしようゆきちゃん……私、好きな人ができた……」
そう言って可愛らしく照れながら顔を覆った彼女が半年後、ようやく心を決めて告白すると言った時には、もちろん全力で応援した。
そして。
「ゆきちゃん、応援してくれてありがとう! 私、初めての恋人ができたよ!」
とある真夏のとある日。
どこまでも続く青と白く聳え立つ入道雲。それらを背景にしてふわりと風に揺れる、腰にリボンの付いた真白のワンピース。
灼熱のアスファルトと合わさって、とても夏らしい光景だった。
その中で晴れ晴れと、そして少し照れながら笑う彼女の笑顔を、私は今でも覚えている。
彼女の事を思い出していたからだろうか。
「ゆきちゃん、突然ごめん! その、私の恋人に会って欲しいの!」
突然、その幼馴染から電話がかかってきた。
電話口から聴こえてくる彼女の声の大きさに驚きつつ、少々興奮しているらしい彼女を落ち着かせ、少しずつ詳細を尋ねていけば、どうやら二年ほど付き合っている恋人を私に紹介したかったらしい。
彼女に恋人がいた事は聞いていたし、デートの話と共に写真も見せてもらっていたから、ぼんやりと彼がどんな人かは知っている。だが、「会ってほしい」と言うくらいなのだから、きっと何かあるのだろう。
そう思い訊いてみると、
「実はね、今度結婚することになって……だから、ゆきちゃんにはどうしても紹介したかったの!」
と、またまた彼女が大声でそう言った。
私はゆっくり彼女の言葉を自分の中で噛み砕く。そして、ようやく彼女の言う「ケッコン」が「結婚」だと分かった時、私は思わず叫んでいた。
「ああっ、ごめん! つい叫んじゃって……えっと、おめでとうございます」
「ゆきちゃんが叫ぶなんて珍しい……! じゃなくて、ありがとうございます」
えへへと照れたように笑う彼女に、改めておめでとうを伝える。
「それで、会ってほしいって……?」
「私がね、どうしてもゆきちゃんに紹介したかったの。ゆきちゃんは私の大事な幼馴染だから」
彼女の言葉に、思わず頬がぽっと熱くなる。改めて言葉にされると、なんだか嬉しくて、妙に恥ずかしくなって、つい照れてしまった。
私は、彼女に見せてもらった写真の中で笑っていた彼女の恋人を思い出す。
その人は落ち着いた色合い、そう、例えるなら秋の深い色を着こなし、彼女の隣で幸せそうに笑っていた。その写真だけで彼女の事が大好きだと伝わってくるような笑顔に、見ているこちらが恥ずかしくなってしまったから、印象的でよく覚えている。
その写真を私に見せてくれた彼女も、「とにかく優しくて素敵な人なの」と、幸せそうに恋人の話をするものだから、こちらもほかほかと温かい幸せな気持ちになれたのだ。
「それで、会ってくれる……?」
「うん、もちろん。……ああ、そうだ。ねぇねぇ、『私の大事な幼馴染を嬉し涙以外で泣かせたら許さないから』って、言ってみてもいいかな?」
一度、言ってみたかったんだよねと冗談ぽく言えば、彼女は笑って「いいよ」とあっさり快諾してくれた。言っておいて何だが、てっきり断られるものだと思っていたのでびっくりだ。
「本当にいいの? 許可を得たからには言うよ?」
「本当にいいの。大事な幼馴染様の貴重なお願いなので」
ふふふと上品に笑う声に、ああ、この子も大人になったのだなぁと、ふと感じた。
昔はもっと、弾けるような、パッと眩しいイメージだったのに。一体いつの間に彼女は上品に笑う事を覚え、そう笑うようになっただろうか。
もちろん、今も彼女の持つ眩しさは変わらないが、やはり大人になったと思う。
私の中にある「なっちゃん」のイメージといえば、当然毎日顔を合わせていた高校生までの「なっちゃん」の割合が高い。大人になってからも会っているとはいえ、そんなに頻度が高くないから当然なのだが。
よって私の中の彼女は、やはり子供のままのイメージの方が強いのだ。
だから、ふとした時に見せる、彼女の大人びた仕草に驚いてしまう。
『結婚』と言うワードだってそうだ。
お互い大人になったのだと強く感じるたびに、私はなんだか嬉しく、そして少し寂しくなってしまう。
そして、この大人になったと感じる事すらもきっと、私が大人になったという事なのだろうなと思うのだ。
「なっちゃんはもう、すっかり大人になったんだね」
「ゆきちゃんだって、大人になってるよ。私、ゆきちゃんが大人になったんだ〜って感じるたびに、少し寂しくなってるんだから」
思わず、話が飛んでしまった。しかし、彼女は私がいきなり話の方向を変えてしまったことに対して驚きも困りもせず、きちんと返事をくれる。
そして私は、つい先程まで私が考えていた事と同じ事を彼女が言うものだから、少し笑ってしまった。
どうやら、幼馴染としてずっと一緒にいた相手とは一致する部分が出てくるらしい。
「私も同じだよ。あのなっちゃんが結婚するんだって思ったら、急になっちゃんが大人になったような気がして、寂しくなったんだもの。あっ、もちろん、嬉しい! おめでとう! って気持ちが一番だからね!」
「うん、分かってる。ゆきちゃんはいつも、私の事を自分の事のように喜んでくれるから」
彼女の声に滲む喜びの感情につられるようにして、じわりと喜びが私の胸にも込み上げる。それから、ほんのちょっと湧いて出てきた気恥ずかしさに、私は「そんなの、当たり前よ」としか返せなかった。
実際その通りだ。
私が彼女の事に関して自分の事として喜ぶのも、悲しむのも至極当然。そして、彼女も私の事を自分の事のように喜び、悲しんでくれる事だっていつもの事で。
それは、私たちがお互いの事が大好きで、とても大切だからだと私は感じている。きっと、これはこの先ずっと変わらないだろうという事も。
「あっ、ごめん。もうそろそろ予定があるから、電話切るね。後で私たちの空いてる日をリストアップしたものを送るから、今度ゆきちゃんの都合の良い日を教えて欲しいな」
また電話するね、バイバーイ! と最後は少々慌ただしく、彼女は電話を終えた。最後、パタパタと慌てた足音が聴こえていたから、本当に急がなければならなかったのだろう。
ただでさえ彼女と話すだけでもパッと心が明るくなれるのに、後の予定が詰まっている中で私にわざわざ報告してくれた事がまた嬉しくて、なんだか柄じゃないのに踊り出したい気分だ。
私はそっと目を閉じ、想像する。
思い浮かべるのはやはり夏だ。
濃い空の青と、もくもくと高く広がる入道雲の白。
その下で純白の美しいドレスに身を包み、彼女はひまわりのような眩しい笑顔を浮かべている。
そしてその隣で、彼女の新しい家族となる人が静かに笑っている様子を。
そして幸せそうな微笑みを浮かべ、そっと目を合わせる二人は、きっと誰の目にもお似合いのカップルだと映るだろう。
そして、ずっと幸せな家庭を築くに違いない。
そうしたら、少しだけ彼女が遠くなってしまうかもしれないけれど、私にとっては彼女の幸せが一番だから。
そう、彼女が幸せに過ごせるのであれば、私も幸せなのだ。
じわりと視界が歪み、ぱたぱたとローテーブルに涙が落ちても、少し寂しさを感じても、私は確かに彼女の幸せを心から喜んでいる。
「おめでとう、なっちゃん」
ぽつりと涙と一緒にこぼれる声。頬を伝う涙に愛猫がスリッと体を寄せて頬をざりっと舐めてくれた。その真っ黒な毛に顔を埋め、私はもう一度想像する。
今度は、近いうちに会う事になった彼女の恋人を前にした時、私は何と言うのかを。
なっちゃんを悲しませたら許さない、とか?
それとも、彼女の事を大切に思ってくれているか、改めて確かめるような言葉だろうか?
――ああ、けれど。
きっと私は、結局こう言うのだろう、
「私の大切な幼馴染の事を、どうかよろしくお願いします」
と。
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