常夏の国の冬の姫

桧山 紗綺

第1話 常夏の国の異質な姫



 窓越しに見える鮮やかな緑の葉が風に揺れている。

 今日の風は少しひんやりしていて気持ちよいらしい。さっき女官が言っていた。

 アクアオーラの目に入る庭も遠くの芝生に当たる日の光は柔らかく、木陰にできる影は少し薄い。

 通年強い日の差すこの常夏の国では珍しい、穏やかな日のようだった。


 お茶の準備をしていた手を少し止める。

 用意するお茶は彼が好む柑橘を使った冷たいものにしようと思っていたけれど、来てから聞いた方がよさそう。

 いつもは暑い中をやってくる彼のために最初の一杯は飲みやすく渋みが薄い物を選んでいるけれど、今日はもしかしたらお茶よりも水分の多い果実の方が良いかもしれない。

 女官に果物を多めにカットしておくよう告げて窓の外に視線を戻す。


 日当たりの良くない北にある庭園は花の美しさを楽しむ宮殿の表にある大庭園とは違い、花よりも緑が目立つ。

 あまりに暑い日などは木陰に涼を求める人が休んでいることもあるけれど、今日の気候では変化の少ない木立ちの間を歩くよりも大輪の花の咲く大庭園にいく人の方が多いことでしょう。あそこには噴水もあり、陽を受けてきらきらと輝く水柱も楽しめると聞くから。


 その木立ちの中をゆったりとした足取りで歩む美丈夫の姿に目が吸い寄せられる。

 豊かな濃い金の髪を無造作に背に流し、伝統的に王宮へ上がる際に用いられている装束を纏った姿は遠目から見ても人を引き付ける存在感に満ちていた。

 見つめていると顔を上げた彼の視線が真っ直ぐにこちらへ飛ぶ。

 目が合ったことにぱっと破顔し、ひらひらと手を振ってくれる。

 嬉しそうな笑みに口元が緩むのを抑えて手を振り返すと彼はさらに笑みを深くし、もう一度手を振って足早に階下に消えた。



「アクアオーラ!

 待たせたかな!?」


 階段を駆け上がってきたのかと思うほど早く彼、アイオルドはこの部屋までやってきた。

 近くで見ると白の伝統装束は最近流行りの模様で刺繍を施してある。父親たちの世代の大臣などは伝統的な衣装に手を加えることを嫌がり良い生地で装飾の無いものを着ているけれど、その下の世代は型さえ同じなら伝統装束であるのに変わりはないと思い思いの工夫をしている。

 アイオルドが纏うのも装飾がされているけれどけして派手なものではなく、上の世代に配慮してかくすんだ灰色の刺繍は彼の落ち着きや余裕を表しているようだった。


「アイオルド、いらっしゃい。

 今日もありがとう」


 そんなに急がなくてもいいのにとの言葉は飲み込む。

 遠慮よりも感謝を表した方が喜んでくれると知っているから、来訪への感謝だけを口にする。

 アクアオーラの歓迎の言葉にいつもと変わらない笑みを向けた。


「今日は少し日差しが柔らかくて涼しいよ。

 日が暮れて気温が下がったら散歩をするのも良さそうだ」


「ああ、やっぱり。

 影がいつもより薄いと思っていたの」


 テーブルに用意した果物を勧め、お茶を淹れる。

 暑いこの国ではお茶は冷ますか冷やして飲むのが一般的だ。

 一日中部屋にいるアクアオーラでも熱いままのお茶はあまり飲まない。

 頃合いを見て茶葉を取り出し、茶器の蓋を外しておく。少ししたら丁度良い頃合いになるでしょう。


 盛られた果物で喉を潤したアイオルドが手招きする。

 柔らかな布が張られたソファには体の大きなアイオルドが座ってもまだ余裕がたっぷりあった。

 人一人分ほどの間をあけてソファに腰かけアイオルドへ身体ごと向き直る。

 少し行儀の悪い座り方だけれどここに余計なことを言う人間はいない。

 ソファの上で向かい合うとアイオルドの視線がアクアオーラの耳元へ注がれる。


「この前持ってきたヤツ着けてくれてるんだな、ありがとう」


 耳元を見て顔を綻ばせたことに着けて良かったと微笑む。

 琥珀色の瞳がじっと見つめるので髪を耳にかけよく見えるようにする。

 アクアオーラの耳を飾るのは透き通る青色の石を加工して作られたアイオルドからの贈り物。

 いつも会いに来るときには大抵なにか贈り物を持ってきてくれる。

 露店で見つけたアクセサリーや、流行りのお菓子、話題になっている本などアイオルドが持ってきてくれた色々な物がアクアオーラの部屋には置いてある。


「とても綺麗だからいつもは飾って楽しんでいるの。

 アイオルドが来るから今日は着けてみたけれど、似合うかしら」


 ほとんど部屋から出ないアクアオーラには本来装飾品は必要ない。

 けれどせっかくの贈り物をしまい込むのはもったいなくて、普段は飾っている。

 その方が目に入る度に幸せな気持ちになれるから。

 アイオルドが贈ってくれる物はどれも素敵で、その中でもこれは格別に気に入っていた。


「よく似合ってる。

 飾っていつも見てくれてるなんて嬉しいよ」


 少し面映ゆそうな顔でアイオルドが笑う。

 身に着けないことを残念がるかと思ったけれど飾ってくれて嬉しいと言われてほっとする。

 優しい婚約者に恵まれていることを幸運だと思うと共に、少しの申し訳なさを感じてしまうのは私に引け目があるせいなのだろう。


『常夏の国の冬姫』


 そう言われるアクアオーラにはもったいないほど優しく、魅力に溢れている人だった。





 ――常夏の国。


 そう称されるこの国では一年を通して強い日差しが降り注ぎ気温も高い。

 気候故か国民は快活な性質が多いと言われる。

 アイオルドはこの国で美丈夫と言われる条件を全て満たしているような男性だ。

 背も高くしっかりとした逞しい体躯をしており、豊かな金の髪は獅子のように勇ましく、琥珀の瞳は光によって色を変え目を離すのが惜しいほど。

 性格もおおらかで度量が広く朗らかな気質の彼を望む女性は多い。

 薄く日に焼けた肌も精悍さを感じさせるに十分で、彼の人気は閉じこもっているアクアオーラにすら聞こえてくる。

 この国では多く日を浴びた証である褐色の肌が広く好まれる。

 アイオルドの肌は色薄い方だというが、日を浴びないアクアオーラから見るとしっかり日に焼けているように見える。外で労働をするような者はもっと肌の色が濃いらしい。

 しかしそんなことは欠点にもならないほど他を圧倒する魅力的な男性だとみな口を揃える。そして『冬姫にはもったいない』と囁くのだった。




 王族は金の髪を持つ者が多い中でアクアオーラは水色の髪を持って生まれた。


 常夏の国ではありえない青白い肌に寒々しい水色の髪。

 これで瞳の色まで異質であれば王女として認められなかったかもしれない。

 遠い遠い昔に冬の国から嫁いできた姫の先祖返りだと言われている。

 瞳だけはこの国の王族の特徴を濃く表す赤色をしていた。

 しかしそれがまた異質さを強調するのか、尊ばれ親しまれる色のはずなのに忌むような視線を向けられることもあった。

 幸い王宮の北側にあるこの棟で働く者はそういった目を向けてくることはない。

 ここにいるのは幼い頃から側に付いている気心が知れ、信用できる者たちばかりだ。

 しかし、多くの者にとって自分が王宮のお荷物なのは理解していた。


 王女の身なので国王と大臣たちが合議を取る政治には関わることはないが、王女の大きな役割としてこの国を作り見守っているとされる女神様へ感謝を捧げる祭事の取り仕切りがある。けれど外に出れず王宮内であっても気温に耐えられずに体調を崩す王女など役に立たない。


 日陰になる王宮の北側に部屋を与えられ、その周りの温度を管理することでようやく倒れることなく暮らしていられる。

 せめて邪魔にならないようと北棟の一角から出ないようにひっそりと暮らすのがアクアオーラの日常だった。



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