第7話 事実か芝居か

二番裁判員は郁恵ではなく、他の裁判員の方を向いて、同意を求めるように言葉を発した。

「本棚にその手の本を置くとか、ずっと凶悪犯の言葉を引用して話すところとか、三番さんはあれ?裁判中の振る舞いの芝居の一つだと言うの?わざと、異常犯罪者の言葉を引用して裁判をかく乱していたとでもいうの?」

「はい。自分は精神異常者であるという演出方法を逮捕前から練っていたのではないかと考えます。このような凶悪犯罪者の言葉は、すぐには準備できません。本棚にある本を読み込んで覚えたのでしょう。あれらの本の中には凶悪犯罪者に対して研究された書物も紛れています。立花京香は謝罪の言葉を述べて、減刑を臨むのではなく、精神異常者として無罪を勝ち取る方を選んだのではないでしょうか。皆さんご存知のように、心神喪失、心神耗弱ゆえに不起訴や無罪になってしまうと刑事司法の手続から完全に離れていってしまいます。そして精神衛生福祉法によって自傷他害の恐れがあるとして、県知事の命令によって強制的に入院させられてしまう措置入院になるケースがほとんどです。ところが、退院については主治医などの判断に委ねられるため、懲役よりも短い年数で世に放たれることもあります。立花京香はそちらに賭けたのでしょう。」

「三番さんの私見は、とても興味深いです。知識も豊富で、もしかしたらそうかもしれないと思わせる迫力も弁論の中にあります。どうでしょう、皆さん、この精神鑑定についてはいろいろな捉え方があります。先ほど、三番さんのお話しだと、退院については主治医などの判断に委ねられるため、数年で世に放たれるケースが多いとありましたが、実は最近は変わってきたんですよ。というのはですね、措置入院に付される者の多くは以前にも措置入院歴がある者が多いからなんです。つまり、直前の犯罪でも精神障害者と認定された場合が極めて多いということです。若干昔のデータになりますが、直前の犯行と同じ罪を犯した者は殺人で約二十三%、強盗で三十五%という驚くべき数字が上がっています。確かに、現行刑法は責任能力のない者を罪に問えません。措置入院の実態は各病院や医師の判断が絡むため一概には言えませんが、重大犯罪を犯す可能性のある人間を社会に放ってしまっているという実態は統計上明らかです。医療少年院退院者については、全く経歴に傷が付かずに出所してしまいます。被害者側の権利を擁護するためには、厳罰以前に、このような重大犯罪を犯す可能性のある人間の社会への復帰を慎重にすべきではないかと考えている裁判官もいます。昨今の判例を見てみますと、納得できないという被害者感情に寄り添った意見を出し、心神喪失や心神耗弱では、滅多なことでは無罪にしておりません。ここは裁判長からの提案なのですが、この二つ目の争点である、精神鑑定の扱いに関しましては、まず挙手での評決を取りたいと思います。考えることは一つです。自分の大事な人、親、子ども友人などが、殺されてしまって、犯人は捕まったものの、精神鑑定の結果、犯行時、心神喪失状態であり、刑事責任能力なし、と言う判断が下されたとします。皆さん、受け入れられますか?受け入れられる方、挙手をお願いします。」


裁判官をはじめ、誰も手を挙げる者はいなかった。


萩原裁判長はメンバーを二周ほど見たのち、

「では、受け入れられないということでよろしいですね。ではこの精神鑑定の扱いに関しては、この鑑定だけを判断材料にして、無罪にするということはしない、ということにします。」

「あの、精神鑑定に関しては疑わしいから採用しないと言い切るには、理由も必要ですよね。先ほどの三番さんが指摘した芝居説だけじゃ弱い気がするのよ。もう一つぐらい理由を設けた方がいいと思うんです。以上の点から採用しませんという風にした方が、弁護側も納得するのではないでしょうかねぇ。」

二番さん、ならば、あなたも頭をひねって案を出しなさいよ。

郁恵は心のむかつきを冷たいお茶を体内へ取り込むことで収め、二番裁判員の方を向き、口元だけ笑みを浮かべた。そして二番裁判員を真っ直ぐ見据えた。

「私は、本当に被告人が暴力によるDVを受けていたのでしょうか。私はそこも嘘を付いているのではないか、と考えています。そして自分でわざと傷を拵えたのではないか、と。」

「三番裁判員さんねぇ。それはないでしょう。証言に立った大学時代からの友人がいたじゃない。あの方はDVされた傷を見たと証言していたわよ。嘘を証言すると偽証罪に問われるし、『嘘は申しません』と宣誓もしていたじゃない。だから、私はあの証言は信用できると思うんですよ。私はね、被告人は本当にDVを受けていたと思うんです。ねぇ、皆さん。」

二番裁判員は素早く左右に首を振り、他の裁判員の同意を求めた。

「ええ。私も証言台に立ったご友人の証言は、嘘は言っていないと思います。」

「ならば、DVを受けていたと言うことになるでしょう。三番さん、あなた言っていることが、ちぐはぐになっていますよ。」

人を馬鹿にするような薄い笑い声を周囲にばらまきながら、二番裁判員は少し顎をあげた。五番裁判員も一番裁判員も、理路整然とペラペラ私見を述べてきたわりには、ここで回線障害になってんじゃねーよと、ポンコツを見るような視線を郁恵に送ってきた。三人の裁判のプロは黙って様子を見ている。

「聞いて下さい。確かに大学時代のご友人はDVで出来たと言われた傷を見たんです。でも、その状況からして私は疑わしさを感じるのです。見たのではなく、見せられたのではないか?と感じるのです。」

「見せられた?」

「はい。」

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