第6話 精神鑑定の是非

「はい、では六番さんお願いします。」

「四番さんがせっかく元気になって戻ってきたなりに、こんな話題を出して申し訳ないのですが、評議の時間も無限にあるわけじゃないので、すみませんが、また意見を言わせてください。私は検察側も主張しておりますが、精神鑑定に対する捉え方に関して、統一見解を出しておくべきだと思うんです。」

六番裁判員は、このタイミングで精神鑑定の話題を出すことが、この場の空気を少し固くするということに気付かないようだ。周囲の人々がおいおい、と言う困惑した表情を浮かべた様子も気にならないらしい。

「でもさ、裁判所が委託した医師が鑑定して、刑事責任能力なし、という判断を下したんでしょ。私もね、もし事件の被害者なら、こんな精神鑑定で責任能力なしと判断が出ましたから、無罪ですって言われたら、ほんと無念で言葉もなくなるけどさ。」

二番裁判員も構うことなく、四番裁判員の精神状態なんかどうでもいいわ、と言う態度を出した。郁恵はこの二人が吹いたKY風に乗ることに決めた。

「私は、この精神鑑定の判断にして疑問を抱いています。もっと具体的に言うならば、立花京香は芝居をしているのではないかと考えています。」

「芝居?それはないだろう。あれは狂ってるよ。あんたも法廷で見ただろう。」

この指摘にかみついてきたのは、早く帰りたい五番裁判員だ。郁恵の指摘は評議が延びるウィルスになると思ったのか、身を乗り出して、抗議してきた。

「皆さん、先ほどのマイナスドライバーが落ちていた場所が写った写真をもう一度見て下さい。はい、この写真です。そこは先ほど話題にあがった本棚も見えますね。次は、その本棚にある本をよく見て頂けませんか?」

郁恵は自席から身を乗り出して、ボールペンで写真を指した。

「なんか難しそうなタイトルの本が良く並んでいるねぇ。」

一番裁判員は眼鏡を取り出した。その様子を見た二番裁判員も鞄の中を弄り出した。

「はい。これは、福島章と言う人が書いた本ばかり並んでいる棚です。一見、タイトルだけ見ていると、何とも感じないかもしれませんが・・・。」

この棚には、『宮沢賢治・芸術と病理』『狂気と正気の間』『現代人の攻撃性』

『愛の幻想』『対抗同一性』『愛と生と死』『機械じかけの葦』『天才・創造のパトグラフィー』など、タイトルだけでは内容が判読できないような本が几帳面に整列させられていた。

「この著者は、医学者であり、精神鑑定医です。この福島章と言う人は、足利事件で精神鑑定を行った人物です。」

「足利事件と言うと、あの冤罪の・・・」

一番裁判員は眼鏡をはずし、事件について語ろうとし始めた。郁恵はそれを、シャッターを下ろすように遮った。

「そうです。足利事件において、当時の被告人に対し、精神鑑定を行い、代償性小児性愛者である、と鑑定し、その精神鑑定が証拠採用され、当時の被告は有罪判決を受けました。」

遮られたことに気付かない一番裁判員は、郁恵の解説に、しきりに頷いて見せた。その程度の知識は持っているよ、と態度で表現したいのかもしれない。

「足利事件と今回の事件は関係ないですから、どうか、話をミックスしないで下さいね。」

「裁判長、了解しています。でもどうか私の指摘も聞いてください。皆さん。ここに並べられている本は全て精神鑑定に関する著作ばかりなんです。もしですよ、被告人がこの本を読んで精神鑑定について研究していたら、作為的な動作も出来るのではないでしょうか。」

「まぁ普通は読まない本よねぇ。精神鑑定の本とか。研究者とか心理学者ならわかるけど。この手の本が羅列しているだけで、この人が普通の人じゃなかった感じはするわよね。旦那さんのものじゃないの?本当に被告人の本なの?」

「二番さん、審理二日目の検察側と被告人のやりとりを思い出して下さい。この写真は二日目に登場しました。証拠調べ手続きの時です。その時のやりとりで、被告人は、この本棚は私のものだ、夫は使用していなかったと、この時は、珍しく歌を止めて答えています。」

審理二日目の時、寝室にあったものに関する質問が被告人になされた。その時、終始、歌を歌っていた被告人が止めて、自分のものであると主張したのだ。

二番裁判員はなんとなく思い出したのか、少し悔しそうな目を向けてきた。

「殺害現場となった自宅マンションには、寝室のほかに書斎があります。それも裁判で見取り図が出ましたよね。もしかしたら被害者の夫のものは、その書斎にあるのかもしれません。また意味不明の供述に関しても、作為性は十分に感じられます。三名の裁判官はすでに気づいておられますよね。被告人が誰の言葉を引用して事件の真相から逃げてきたか。」

郁恵は隣に立っている、向井裁判官の顔を見据えた。向井裁判官は、自分に振られると思っていなかったのか、一瞬たじろいた顔つきを出してしまった。

「ええ。警察の事情聴取の席で言っていた言葉は、佐川一政ですね。あのパリ人肉事件の犯人ですね。」

「ええ?あの人?えらい昔の事件ですよ。でも確か不起訴処分になった人ですよね。」

案の定、一番裁判員が食らいついてきた。郁恵は一番裁判員の方を向いた。

「はい、佐川が昔、腹膜炎になってと供述した言葉をパリの精神鑑定医が脳膜炎の誤訳したことから、精神鑑定の結果、心神喪失状態での犯行と判断され、不起訴処分になりました。」

「あんた、よう知っとるなぁ。なぁ。」

二番裁判員の方を向き、一番裁判員は感嘆の声を上げた。郁恵は解説を続けた。

「審理の過程で言っていたのは、オウム真理教の麻原の言葉ですね。最後の供述は、連続幼児誘拐殺人事件の宮崎勤の言葉です。」

「あー、どっかで聞いたことがあると思ったんや。」

絶対嘘だ。一番裁判員の声に、他の裁判員は胡散臭い表情を投げた。

「私は、逆にそんな殺人鬼の言葉を乱発するところに異常性を感じるんですよね。」

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