騎魔を求む少女 2
レジーナが堂々と言ってきた言葉に、ソラは思わず頭を抱えた。
貴族のお嬢様が、この場にいるのだ。それも家出をしてきたと。その事実に、頭が痛くなるのは当然の反応だろう。
エルトは、ハンの街の南部にある大きな街だ。交易の拠点でもあり、旅人の行き交うそこはグランシュ王国北部の中心地とも言える街である。そんな大きな街の首長をしているのだから、当然ながら高い爵位も持っているだろう。
そんな貴族のお嬢様が、ソラの家にいるのだ。
もし、ハンの街にレジーナを追ってきた私兵でもいれば、ソラを誘拐犯として断ずるだろう。それくらいの状況である。
「あたし、遠くに行きたいのよ。だから、騎魔が欲しかったの」
「……参考までに、その理由を伺っても?」
「だから、家出してきたから。お父様の部屋にあったお金だけ持って、身一つでハンまで来たのよ。でも、お父様は多分追っ手を出すから、その前に国を出ようと思って。騎魔なら、国境だって越えられるでしょ」
「……だから、グリフィンですか」
「最悪、ケルピーでもいいわ。水の上を走れるんでしょう?」
はぁ、とソラは大きく溜息を吐く。
国を超えるのならば、関所を通らねばならない。関所では必ず自身の戸籍を証明する必要があるし、その時点で追っ手の出されている身であるならば、その身元に連絡が入る。
だが、この関所を通らず他国に入る方法は、一つだけある。山や海など、関所のない場所から他国に入ることだ。
国境さえ越えることができれば、あとは容易い。ハンの街のように、事情を訊かずに戸籍を作ってくれる街で申請さえすれば、新たな名と戸籍が手に入る。そうやって人生をやり直している者も、ハンの街には何人もいるのだ。
だが、そのためには長い山道を行かねばならなかったり、何日も海の上で彷徨うことになる。そのあたりの日数を、大幅に短縮してくれるのが騎魔だ。
グリフィンに乗って空を飛べば、ケルピーに乗って海を渡れば、ガルムに乗って山を駆ければ、関所を通らずとも他国に行ける。それも、数日とかからずに。
「なるほど……あなたの事情は、理解しました」
「だから、騎魔を売って。あたしの全財産は、この金貨一枚と小金貨五枚よ」
「僕としては、今すぐエルトの街へ帰ることをお勧めします」
「なんでよ!」
ばんっ、とテーブルを叩いて立ち上がるレジーナ。
その気迫にもたじろぐことなく、ソラはベルガの淹れてくれたお茶を一口すすった。
「そもそも、これからどうやって暮らすつもりですか」
「それは……なんか、仕事とか探して」
「ハンの街でもそうですけど、そういう人には厳しいですよ。まともな職には巡り会えません。ちゃんとしたお店とかなら、戸籍も大事になりますからね。ハンの街の商店では、ハンで発行された戸籍を持つ者は、そもそも雇わないと言われています」
「えっ……」
どこから来た者であっても、深く事情を訊かずに戸籍が作れる。
それは、流れ者からすれば天国のように思えるだろう。だが同時に、それだけ粗製しているということで、同時に信用もないのだ。ハンで発行された戸籍を持っているというだけで、他国で罪を犯して逃げてきた者だと思われる程度には。
事実ソラもそのせいで、魔物売りなんて仕事をしているのだから。
「ハンの街に流れてきた人たちの、ほとんどは冒険者になります。大迷宮に入って、魔物を倒して、その証を持ち帰る人たちですね。彼らはいつ死んでもおかしくない。昨日まで一緒に酒を飲んでいた相手が、今日死ぬということも珍しくない」
「……」
「逆に言えば、それだけ命の危険が伴う仕事があるからこそ、誰にでも戸籍を発行するんです。どんな人間でも歓迎するのは、毎日何十人も死人が出るからなんですよ。いえ……ハンの街はまだましですね、冒険者って仕事がありますから。そうじゃない街だと、仕事も見つかりません」
「……」
「レジーナさんはまだ若い女性ですから、行く末が僕にも想像できますよ」
ぷるぷると、レジーナが拳を震わせる。
戸籍さえ貰えば仕事が見つかる――そんな甘い話は、そもそもないのだ。誰しもが自分が生きていくのに必死であり、流れ者を養う余裕などない。だからこそハンの街で流れ者は冒険者となって、命を対価に金を稼ぐのだ。
勿論、それでひと財産を築いた強者も、いないとは言わないが――。
「それでも他国に行きたいというなら、もう止めません」
「……」
ソラの言葉に対しても、レジーナは顔を伏せたまま動かない。
少し厳しく言い過ぎたか――そう僅かに思うが、それ以上は言わない。実際、ソラは事実しか言っていないのだから。
かつてこの街に流れてきた、ソラの経験も交えて。
「……あたし、結婚、させられるの」
「はい?」
「……相手は、王都のお役人なんだって。それも、第四夫人。あたしの、お爺様より年上。一度もお会いしたことないのに、いつの間にか決まってたの」
「……」
「お父様は……あたしのこと、政治の道具としか思ってない、から」
レジーナの言葉に、ソラは眉を寄せる。
正直、何も考えていない貴族のお嬢様だと思っていた。そんなお嬢様がまともな仕事なんて出来るはずもないし、ちょっと遊興を重ねてから実家に帰ることだろう、と。
そのための手助けなどしたくない――ソラは、そう考えていたのだが。
「でも……あたし、そんな人のお人形になるのは、嫌なのよ。あたしは、生きてる人間なの。お父様の……政治のために使われる、道具なんかじゃない。だからもう、帰りたくない」
「……」
「まともな仕事なんか出来ないって言ってたわね……別に、それでもいい。あたしが、あたしのために生きていけるのなら、何だってするわ。だからあたしは、この国を出る」
「なるほど」
ふぅ、とソラは息を吐く。
侮るべきじゃなかったのかな、と僅かな反省を心に。そしてソラは、真剣な眼差しでレジーナを見た。
「……分かりました。レジーナさん。あなたに、騎魔を用意しましょう」
「ほんと!?」
「ただし、僕があなたに売るのではありません」
「……へ?」
ソラの言葉に、レジーナは呆然とし。
そんなレジーナの反応の一切を無視して、ソラは告げた。
「あなたが自分で、騎魔を捕まえるんです。そうすれば、誰から買う必要もありません」
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