第22話 第3章 今生きているこの時間 #21
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『今日もお疲れ様。今週はいつ会おうか?』
仕事を終え、更衣室でスマホの画面を開くとチハルさんからのメッセージが届いていた。どんな極上料理が目の前に出されても、どんなに疲れの癒せる温泉が目の前に広がっていたとしても、彼女のこの文章に勝る癒しは無い。
『チハルさんさえ良ければ今から会えるよ?』
『ほんとに? じゃあ会おうよ。私、今家にいるから迎えにきてもらっても大丈夫?』
彼女からのメッセージはほんの数秒で返ってきた。まるで僕がそういう文章を打つということを考えていたかのように。だが、それもまた嬉しい。
『もちろん。すぐ向かうね。仕事終わりだから汗臭かったらごめん。先に謝っとく』
『キミのにおいならドンと来いだよ』
彼女のメッセージに対して、コアラがワクワクしたような顔で目を光らせているスタンプを送り僕は車へと急いだ。彼女から同じようにコアラのスタンプが送られてきた。急かしているように焦っている表情のコアラがいつ見ても笑える。僕は彼女の影響でこのコアラのスタンプを買った。名前もあるようでリラックスするコアラでリラコアラ。実に安直なネーミングだ。ゆるキャラと呼ぶに相応しい愛嬌のあるイラストで、その友達に抱きマクラクマ?というクマがいるようだけれど、流石にそこまで詳しくは知らない。僕は車のエンジンをつけてゆっくりと動き出した。
彼女と知り合って1年半以上、今の関係になって2年ほどが経った。僕らは少しずつ2人の時間を増やしていった。時には京都へ行ってお互い浴衣を着て食べ歩きをした。時には沖縄に行って宝石みたいに輝いていた海でお互いヘトヘトになるまではしゃぎ合った。彼氏、彼女という関係には未だ発展していないけれど、僕は敬語ではない話し方で彼女と接することが出来る距離感になった。夜眠る時間、2人一緒にいる時は迷うことなくセックスをした。互いの体を求め合うように絡み合った。そんなこんなで僕らは変わらずお互い好き同士でいる。はずだ。
「お迎えありがとう。早かったね」
「うん。奇跡的に道が空いててね。すぐ来れたよ」
「仕事終わりなのに来てくれてありがとう」
「ううん。こちらこそ会ってくれてありがとう」
「会えるなら会うでしょ。もちろん」
「フフ、素直に嬉しいこと言ってくれるね、相変わらず」
「カケルくんって相変わらずって言葉、口グセだよね」
「そう? 全然自分では思わないけど」
「ふふ。口癖ってそういうもんだよ」
相変わらず何気ないやりとりを車内で繰り広げながら車を走らせる。彼女が寿司を食べたいと言い出し、僕らはお互い気に入っている回転寿司のチェーン店へ行くことが決まった。それにしても、「相変わらず」が自分の口癖だとは全く思わなかった。言われてみればそんな気もしなくもない。彼女の口癖は何だろう。そう思いながら、信号で停まっている間、彼女の顔をじっと見つめた。
「カケルくん」
「ん?」
「今、私の口癖探してたでしょ」
「さ、探してないよ!」
「絶対うそ。じゃあ何考えてたの?」
「き、今日も綺麗な髪の色してるなぁって思って」
「カケルくん、困ったら絶対それ言うよね」
僕らの笑い声を乗せながら車を走らせる。数分後に着いた寿司屋は時間帯もあってか、ほぼ満車のような状態だった。運良く今から帰る車がいて、入れ替わるように僕はその場所に車を停めた。
「見て、カケルくん。あの看板」
「ん? なに?」
「大変混雑しています。約1時間待ち! だってさ。どうする? お腹減ってるよね?」
「んー。減ってるけどせっかく来たんだしそれぐらいなら待てるよ。早くなるかもしれないしね。あ、もちろんチハルさんがよかったらだけど」
「ふふ、私もキミがいいならいいよ」
「オッケー、じゃあ行こう」
「今日は何皿食べようかな」
「前みたいに食べすぎないようにね」
店の入り口のドアを開けると、そこには思った以上に多くの人がいて混雑していた。僕は受付画面に登録し、彼女と離れないようにしっかりと手を握って空いている端っこのスペースに移動した。
「カケルくん」
「ん? どうしたの?」
「キミ、手汗かいてるよ」
「チハルさんと触れるのはまだ全然慣れないんだよ」
「ふふふ。もう何回も会って体も触り合ってるのに?」
「人前でそんなこと言っちゃダメですよ」
「そんなことって何? 相変わらず変態だなぁ」
僕は相変わらず彼女に上手いように遊ばれる。そんなやりとりさえも愛おしく思えるのは未だに変わっていない。僕は変わらず彼女のことが大好きだ。
✳︎
「いやぁ美味しかったね、相変わらず」
「チハルさんもよく相変わらずって使ってない?」
「ふふ、気のせいだよ? 今日に関しては、ちょっとキミに寄せて使ってるのもあるけどね」
美味しい寿司を食べて気分の良くなっている僕らは意気揚々と車の中に乗り込んだ。シャッフル再生された音楽が好きなバンドのノリノリになれるアップテンポの曲がかかった僕は、より一層気分が高まった。
「そういやさカケルくん」
「ん? 何?」
「そろそろキミ、誕生日だよね」
「あれ? もうそんな時期だっけ? ん? まだ3ヶ月くらい先じゃない?」
「私からしたら、あと3ヶ月はそろそろだよ」
「そ、そうかな?」
「今年は何か欲しいものある?」
「うーん、急に言われると結構迷うな」
「気持ちだけで十分とか今年は無しだよ」
「あ、それ言おうと思ってた」
「去年も言ってたじゃん。今年こそ、ちゃんと形にしたいんだよ」
元々綺麗な目をしている彼女が、いつもより一層目を輝かせて僕を見ている。僕は気づいていないフリをして運転に集中しようと視線を前に意識する。僕の顔を貫通するのではないかと錯覚しそうなほどビンビンと彼女の視線を感じて僕は目線が泳ぐ。
「じ、じゃあさ、旅行に行きたいかな」
「旅行? 去年も行ったよ。沖縄とか」
「おれ、生まれが神奈川県ってことは伝えたかもしれないけど、小学生を卒業するぐらいまではそこで育ったんだ。それで、毎年のように家族で決まった場所へ旅行に行っててさ、海沿いにある大きなホテルなんだけど、おれ今年の誕生日はそこに行きたいな」
「思い出の場所に行きたい、みたいな?」
「そうだね。中学からずっとこの東京の外れにある街で暮らしてるからさ。久々に行ってみたくなって。それに、チハルさんと一緒なら尚更行ってみたい。外で見る夜の海と星空、最高に綺麗なんだ」
彼女の視線を感じたまま僕は言葉を届ける。形に残るプレゼントを貰うのももちろん嬉しいけれど、やっぱり僕は彼女と一緒に同じ空間で同じ時間を過ごしたいんだと思う。何が欲しいという問いに対して真っ先に僕は彼女との時間というものが頭に浮かび、それが消えることはなく僕の脳内に居座っている。
「じゃあ今年の誕生日はそうしようか」
「え? いいの?」
「もちろん。キミがしたいことをする日だから」
「あ、ありがとう。じゃあ予約とかも少しずつしておくよ」
「ううん、大丈夫。キミはその日主役だから私がやっておくよ。キミは毎日忙しいしね、あとでそのホテルの名前教えてね」
「チハルさん、何から何までありがとう。じゃあお言葉に甘えるね」
「うん、思いっきり甘えておくれ」
いつもと変わらない優しい笑顔を見せるチハルさんだったけれど、その笑顔のなかに僕はどこか切ない感情を抱いているような印象を持った。けれど、実際にチハルさんもその旅行を楽しみにしてくれているようで普段よりも鼻歌を歌っている回数が多いのも事実だ。まぁ僕の勘違いであれば何も問題はない。僕は彼女の家へと車を走らせた。
「小さい頃のカケルくんも可愛かったんだろうね」
「全然。生意気で無愛想なやつだったと思うよ」
「写真とか持ってないの?」
「昔のケータイには多分入ってたと思うけど、今の方には入ってないね」
「もしいつか見つかったらさ、今度見せてよ」
「え、えぇー? 気が向いたらね」
「絶対向かせてやる」
「それならおれもチハルさんの小さかった頃見たいんですけど」
「私のなら家に帰ったら見せてあげられるよ」
「え? マジで? あとで見せてよ」
「うん、いいよ」
「あれ? 恥ずかしいから嫌とか言わないんだ」
「うん。昔の私、自分史上一番可愛い時期があるからさ」
「は、はは。チハルさんが言うなら相当だろうね」
他愛無い話は続く。これからもずっとこうしてお互い一緒いて、一緒に笑い合う時間が増えていけば、いつか彼女も僕の告白に良い返事を返してくれる。僕はずっとその感情を抱く。これからも。
✳︎
「ハルカと結婚しようと思ってる」
「マ、マジ!?」
仕事を終えて明日が休日だから気分が高まっているからか、予想だにしない喜ばしい報告がダイキから伝えられたからか、僕は自分でも思うくらい場違いな声量で渾身のマジ!?をいつものファミレスの店内に響かせた。夜中にここに来るといつも出勤している強面でヒゲ面の店員からも「お客さん、アンタら2人だけなんでいくらでも騒いでもいいっすよ」と言われるほどにはお互い認知している仲にはなった。
「あ、ありがとうございます。何かすんません」
「いえ」
眉間に皺を寄せながらも僕の声には返事をしてくれたその店員は、他の客に出していたたくさんの皿を器用に両手で持ちながらキッチンの方へと帰っていった。
「そんな驚くか?」
「いや、驚くでしょ。いつするの?」
「今さ、東京にある大手事務所から専属モデルにならないかってオファーが来てるんだよ。んで、そこに所属することになったらその勢いで言おうかなって思ってる」
「何か今日、すごい話がいっぱいだね」
「最近オレ、ちょっと頑張ってたんだ。お前にもチハルにも、もちろんハルカにも言ってなかったけどな。それが良い方向に進んでくれたみたいで」
「やっぱりすごいね。ダイキは。両方ともおめでとうだね」
「気が早ぇよ。良くない方向に進むフラグになるだろ」
「でもオファーが来てるならほぼほぼ採用みたいなもんじゃないの? そっちのジャンルはおれには全然分からないけど」
「あぁ、オレがヘマさえしなけりゃ多分大丈夫だと思う。けどさ、上手くいきすぎる時ってさ逆に怖くなったりしないか?」
「うーん。まぁ成功ばっかりしてる人はいないだろうけどね。でも、今言った2つは両方ともダイキ次第でどうとでもなるでしょ」
「そこが不安なんだよ。詰めが甘くて最終的に落選とかになったりしねえかなとかさ。そう考えると最近、寝れねえ日もあってそのまま仕事に行ったりしてたんだ」
ダイキの目元を見ると、言われてみればクマみたいに黒ずんでいるようにも見えた。それに、今日のダイキはどことなく元気が無いようにも見えてきた。ネガティブなことを考えるダイキを僕は初めて見た。
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