第17話 #16

            ✳︎


 「いらっしゃい! おぉ、カケルか! 久しぶりだね!」

 「こんばんは。優子さん」


すっかり見慣れてきた店内に入ると、すぐに優子さんが僕とチハルさんがいる方向を向いて明らかに声量を間違えた声でそう言って笑っていた。その隣には男の人にお酒を提供しているミクさんの姿もあった。ミクさんに会うのは本当に久々で僕とダイキが初めてここに来た時に会った以来だと思うから、かれこれ半年ぶりくらいかもしれない。


 「カケルさん、こんばんは。チハルさん、お疲れ様です」


アニメの声優かと聞き間違えるほど凛とした声でミクさんも声をかけてくれた。僕もそれに応えるように「こんばんは」と言って軽く会釈をした。


 「優子さん、今日もあそこのテーブル借りていい?」

 「あぁいいよ! 今日は予約も入ってないしね! あぁ、いつもか!」


がははと笑いながら優子さんはくいっと一杯、手元にあるグラスに口をつけた。首元にある動物の毛皮のようなマフラーのようなものが優子さんの迫力を後押ししているように見えた。


 「カケルくん、私たちはこっちね」

 「あ、はい。お邪魔します」


チハルさんは手際良く僕の手元に飲み物や軽いツマミを用意してくれた。誰から聞いたのか僕が以前に言ったのか、僕がよく食べるチョコレートやスナック菓子がずらりと並べられている。今日は酒を飲むことが出来ないからと、アルコールの入っていないけれど、どこかカクテルのような甘い匂いのする飲み物を作ってくれた。


 「チハルさん、これは?」

 「チハルスペシャル。ふふ、ハルカに対抗して作ってみた。安心して。お酒は入ってないから」

 「あ、ありがとうございます。じゃあお言葉に甘えて」

 「うん、無理しない程度にね。さっきもいっぱいチャーハン食べてたし」

 「チハルさんの分も食べましたからね」

 「食べてくれてありがとうね。じゃあ、改めて乾杯!」

 「乾杯」


カチンと小さなグラスを合わせ合って僕はくいっとひと口それを飲んだ。飲み物なのに、フルーツを食べているくらい水々しくて爽やかな味わいが僕の口の中にやってきた。メロンとマンゴーが一緒にやってきたように甘ったるいのに、何故か後味は涼しい夜風が体を吹き抜けていくような爽快感を味わえた。


 「美味しいですね」

 「やった。研究した甲斐があったね」

 「何が入ってるんですか?」

 「それは企業秘密だよ」

 「メロン?」

 「秘密だって」


今日の僕は普段よりも自然な笑顔をチハルさんに見せられている気がしている。ダイキには悪いけれど、今日は1人でここに来て良かった。目を合わせて向かい合っても緊張せずに過ごせている自分に驚きながら僕は再びチハルスペシャルを口に含んだ。


 「カケルくん、そういえば会うのはあの日以来だっけ」

 「あの日? あ、あぁ、そうっすね。チハルさんの家に泊まった日以来だと思ってます」


チハルさんの言うあの日を思い出すと、今でも心臓がどくんと大きく動く。情熱的であり濃密でもあった充実していた時間。あの時間は僕にとって間違いなく宝物だ。鮮明に一部始終を思い出せるし、これからも絶対忘れはしないだろう。


 「そうだよね。カケルくん、いつも忙しそうだもんね。だから今日は会えて嬉しいよ」

 「は、はい。お、おれもチハルさんに会えて嬉しいです」

 「今日もこの後、ウチに来る?」

 「えっ!?」


僕の発した声は、店内にいる全員が僕の方を向くほど大きな声だった。僕は誤魔化すように頭を掻きながら彼女から視線を逸らした。自然な笑顔ができているかもしれないけれど、自然な振る舞いは確実に出来ていない自分を自惚れるなと喝を入れた。


 「声、大きいよ。カケルくん」

 「す、すいません。つい」

 「今日も来てくれるなら優子さんに頼んで店を早めに閉めてもらうね」

 「え? それは皆さんにも悪いですよ」

 「いいの。今日ね、キミが来る前にすごい羽振りのいいお客さんが来たんだって。普段の売り上げの3倍くらい1人で出していってくれたくらい。だからね、今日は早めに終わっても問題無いんだって。で、どう?」

 「そ、そうなんですか? まぁチハルさんや店の人に迷惑がかからないなら僕もお邪魔したいですけど」

 「やった! じゃああとで優子さんに言っとくね。ちなみにカケルくん、明日は仕事何時から?」

 「明日は休みなんです。幸運にも」

 「本当? 最高のスケジュールじゃん。予定あるの?」

 「いえ、無いですね」

 「じゃあもう、それはあれだ。私とデートする日だ」

 「え?」

 「嫌?」

 「い、いやいや! すごい嬉しいですけど……」

 「ん?」

 「何かすごい今日、いいことばっかり起きててちょっと怖くなってます」

 「あぁなるほどね。調子が良すぎるとロクなことが起きない、みたいな?」

 「はい。いきなり大災害が襲ってきたり、怖い人に絡まれたりとかネガティブなことばっか考えちゃいます」

 「ふふふ。私も分かるな。その気持ち」

 「え?」

 「今日こんなに素晴らしい日だったから明日はすごい最悪な日になったりしないかなとか漠然と考えたりしちゃうなぁ」

 「ですよね。今、おれもそんな状態で」

 「大丈夫。自分でそう思っているうちは良くないことは起こらないって私は思ってるから。そういうのは忘れた頃にやってくるよ」

 「忘れた頃にやってくる……」

 「うん。だから警戒してる今は気にしなくてオッケー!むしろ前向きに考えようよ」

 「わ、分かりました」


結局、店が閉店したのはそれから2時間後の23時を少し過ぎた頃だった。ミクさんと話していた男性客が長居したこともあって結果的には僕も同じように長居していたことになった。けれど、その分チハルさんと久々に顔を見て色んな話を出来たので結果オーライだ。今日は酒が回っていないのにリラックスして彼女と会話が出来た自分を褒めたい。僕はコインパーキングに停めてあった車に乗り込み、彼女がいつ来てもいいように車内を整えて待っていた。僕が店を出てから15分くらいした後、彼女が店の方から歩いてきたのが見えた。彼女は僕と目が合うと、バッグを持った右手を勢いよく上に上げて手を振った。すると、バッグの中からペットボトルが派手な音を立てて地面に転がった。慌てて拾い上げた彼女は、照れくさそうに笑って僕の車の助手席のドアを開けた。


 「お待たせ。恥ずかしいところを見られたね」

 「お疲れ様です。ちょっと酔ってますか?」

 「うん。いつもより体は熱いかも。熱があるかもだね」

 「え? 本当ですか?」

 「ふふ。嘘だよ。至って健康だよ」

 「驚かせないでくださいよ」

 「キミは単純だからなぁ」


店でのやりとりの続きを車内でするように僕らは再び他愛無い話をしながら彼女の家へと車を走らせた。肘置きに添えてある僕の左手と彼女の右手が以前より多く触れていることを感じながら安全運転を心がけて走行した。


            ✳︎


 「やっぱり私、この時間がいちばん好きだ」

 「この時間って?」

 「体を重ねてから余韻に浸って一緒の毛布にくるまってる時間だよ」

 「あ、おれもです。最近は空気も冷たくなってるから、体温があったかくて気持ちもいいですしね」

 「カケルくん、やらしいこと言うね」

 「そ、そんなことないですよっ!」

 「あはは。そんな必死に否定しないでよ」


僕とチハルさんは1ヶ月ぶりくらいにセックスをした。これで2度目になるけれど、彼女の裸を直視することなんて出来るはずがないし、心臓が飛び出るほど強く脈を打っているのに慣れることも出来るはずがない。今回は酒も入っていないため、興奮した勢いのまま僕は動き続けた。薄暗い部屋でもこれだけ緊張して見ている彼女の体。昼間に直視しようものなら僕は心臓発作でも起こさないかと心配になる。


 「でも、おれもチハルさんと体をくっつけてるこの時間も好きです」

 「ふふふ、キミとはよく好きなものが一致するね」


チハルさんのサラサラで柔らかい髪の毛が僕の顔をくすぐる。漂ってくる薔薇の匂いが今日はいつもより優しく香っている気がする。僕は無性に彼女と体を合わせたくなって、ぐいっとチハルさんを僕の体の方へ引き寄せて少し強めに抱きしめた。


 「どうしたの。そんなに力入れたら私の骨、折れちゃうよ」

 「ごめんなさい。何か急に抱きしめたくなって」

 「ふふふ。それは素直でよろしい」


チハルさんは僕に応えるように腕を僕の背中に回して、体のラインに沿わせるように優しく両腕を添えた。彼女の体温は少しずつ低くなっているのが腕から伝わり、僕は心の奥がきゅっと狭まった気がした。


 「チハルさん」

 「何?」

 「変なこと、聞いていいですか?」

 「ううん、ダメ」

 「ダメですか?」

 「うん、ダメ。変なことはダメ」

 「うーん、じゃあわりと真面目な方を」

 「それならいいよ、どうぞ」

 「は、はい。あの……」

 「うん」


汗をかいたからか緊張しているからか、僕はやたらと喉が渇き、それを誤魔化すように絞り出した唾をごくりと飲み込み、僕は深く息を吸って心を落ち着かせた。


 「ふふ、すごい大きな喉の音、聞こえたよ」

 「ご、ごめんなさい。緊張しちゃって」

 「ううん、いいの。カケルくんらしい」

 「じ、じゃあ改めまして」

 「はい」

 「お、おれ、チハルさんのことが初めて見た時から好きでした」


僕は自分の言葉でそれを伝えられているか、ちゃんと日本語になっているか必死に心を落ち着かせながら彼女に言葉を届ける。僕の胸の辺りで小さく収まっている彼女は、何の反応も見せずにすーっとゆっくりと呼吸をする音だけが聞こえてきた。僕は全てを伝えようと決心した。今ならそれが出来る気がした。


 「だ、だから、おれと付き合ってくれませんか?」


素直に伝えることが出来た自分の頭をくしゃくしゃと思いっきり撫でて褒めてやりたい。生まれて初めて僕は告白をした。その事実に僕の心臓はますます大きく動く。彼女にもこの鼓動が伝わっているかもしれないとさえ思った。すると彼女は、しばらく黙り込んだ後に優しく笑って口を開けた。


 「ごめんね。カケルくん」

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