第16話 #15
✳︎
「よぉカケル! 2週間ぶりぐらいか?」
「お疲れ。そっか、もうあれから2週間なんだ。あの日から今日までめっちゃ早く感じるよ」
僕とチハルさんが彼女の部屋で一夜を過ごしてから、それとダイキとハルカさんが一緒に帰ったあの日から既に2週間が経っていた。 僕はチハルさんとあの時間を過ごしてから、時間が経つスピードが異常に速くなった。仕事をしている時間も、休みの日も、家で過ごしている時間も。こうして今日、安定の集合場所と化したいつものファミレスのいつもの場所でダイキと会うのも3日ぶりくらいの感覚でいる。
「オレは早く話したくてしょうがなかったわ! この2週間!」
「ダイキが直接会ってからその話をしようって言ったんじゃん」
「そうだよ! だから余計に、自分がソワソワしてたんだよ! 早くカケルと会う日になれ! って」
「よっぽどの話題があるんだね」
「もちろんだ! お前もありそうな顔、してんじゃん」
「うん。あるね」
「じゃあ先に、オレから話すわ!」
「何でだよ」
「わりぃ、我慢出来ん!」
「はぁ。じゃあどうぞ」
僕は半ば呆れながらプラスチックのコップに入った烏龍茶をひと口飲んでダイキの話を聞く体勢になった。
「おう! じゃあ単刀直入に言うと、ハルカと付き合うことになった!」
「おぉ、本当に? それはおめでとうだね!」
「サンキュー! けど意外そうな顔してるぞ?カケル!」
「うん、確かに意外かも。もう少し時間をかけてから付き合うかなって思ってたから」
「オレもそう思ってた。けど、何でだろうな。一緒に帰ってたらハルカと一緒にいたいって思う気持ちが強くなってさ。フィーリングが合ったみたいなやつかな」
「なるほどね。良かったじゃん。その思いを受け止めてもらえたんだ」
「あぁ、ホントに良かった。あ、あとな、ハルカには子どもがいたんだよな」
「こ、子ども!?」
「あぁ! 今年で小3になったって言ってたな」
「ま、まじか。なら尚更付き合うって結果になったのが意外だよ」
「そうか? オレはもう、結婚ってなっても良かったけどな!」
「す、すごいね。そこまで考えてんだ」
僕は相当動揺しているのか、手元のコップに手を伸ばしたその中には無意識のうちに飲み干していたのか、烏龍茶が無くなっていた。僕はゆっくりと伸ばしていた手を戻した。
「オレ、自分でも気付かなかったんだけど子ども好きみたいなんだ」
「へぇ、それは初耳だね」
「ハルカの家で過ごしてたらその子どもにもめっちゃ懐かれてさ、もうダイキパパって言われてんだぜ?」
「ダイキパパか。ちょっと聞き慣れないね」
「オレも呼ばれ慣れないよ。けど、何かめっちゃ嬉しく思えたんだよ。あと、その子がめっちゃ可愛いんだ! ハルカに似てて!」
「へぇ。女の子?」
「あぁ。チナツちゃんだってさ。春の母親と夏の娘。最高だよな!」
「ふふ。いい関係が築けてそうで良かったよ。おめでとう」
「サンキュー! それでお前の方はどうだったんだよ」
ダイキは目をバキバキに見開いて僕を見つめる。普段も大きい目がもっと大きくなっていて本当に少女マンガに出てくるイケメンキャラクターみたいになっている。
「あ、あぁ。おれはね、結論から言うと童貞卒業した」
「マ、マジかあぁあ!!」
店内は僕らしかいない。以前もここにいたヒゲ面の店員がちらっとダイキの方を見て眉をひそめたくらいしか迷惑をかけていないとは思う。けれど、明らかに声量を間違えているダイキの声は流石に自分でも大きな声を出しすぎたと反省しているように辺りを見渡して後頭部をかいて笑っている。
「わ、悪い。マジで卒業してくるとは思わなかったんだ」
「うん。おれもそのつもりは無かったんだけど、何かもう歯止めが効かなくなっちゃってさ。ほぼチハルさんにリードされながらだったけど」
「いやいや、めっちゃいいじゃん筆下ろし!」
「いや言い方」
「そのつもりは無かったってことは、誘ってきたのはチハルからか?」
「そうだね。んでおれも流されてって感じかな」
「いやそこをオレは詳しく聞きてえんだよ!」
「いやいや、そこは秘密にさせてよ。恥ずかしいから」
「マジかぁー、カケルの方もおめでとうだな!」
「ありがとう。ダイキの方も卒業してるんでしょ?」
「オレはしてねえからでけえ声が出たんだよ!」
「あ、そ、そうなんだ。なんかごめんね」
「余計に腹立つわ!」
僕らの笑い声が平和な日常を表現しているように店内に響く。僕らはそれから日付が変わる時間まで語り合い、今度は誰かの家で4人が集まる時間を作ろうという計画を立てた。
「まさかダイキよりも早く童貞を卒業するとは思わなかったよ」
「お前、今日それ言いすぎな」
「はは、ごめんごめん。けど、それだけじゃないさ。2人、もしくは3人でいてダイキも楽しめてるならそれでいいじゃん」
「まぁ結果、そこだよな! 今後の発展に期待するわ!」
「うん。2人ならすぐだよ」
「あざっす! カケル先輩!」
「いや、その言い方はやめて」
「ハハ! まぁでもカケルも大分顔色も良くなってて安心したわ! またすぐ会おうな!」
「うん。ありがとう、またすぐ集まろう」
僕らはそれぞれの車に乗り込み、それぞれの帰路へ車を走らせた。体にのしかかっていたストレスがどこかへ飛んでいったみたいに今日は体が軽かった。気分が良かった僕は、普段なら絶対しない車内に流れている歌を口ずさんだ。歌を歌ったりするのも久々だな、いつかチハルさんの歌声も聴いてみたいな。あのスナックでなら歌ってくれるだろうか。いつの間にか頭の中はチハルさんのことを考えながら僕は家へ帰った。
✳︎
「西島」
「はい」
「来月からお前、部署異動だ」
午後5時15分。日勤の定時時刻、僕にそう言いながら辻係長が書類の入った透明なクリアファイルを持って近づいてきた。僕よりも身長が大きく、ダイキよりも大きいかもしれないその身長と横幅も大きい係長は器も大きくて有名で職場でも多くの人に慕われている。そんな係長が僕の今後を左右することを言い放った。
「え! 本当ですか?」
「おぉ、久々にお前の張り上げた声を聞いた気がするぞ、俺は」
「どこに異動になるんですか?」
「品質保証係だ。事務所の隣にある、製品の状態を管理したり実験したりする部署だ。喜べ、そこには山中は来ない!」
「あ、ありがとうございますっ!!」
辻係長の声を聞いた僕は頭の中で花火が打ち上がった。その勢いのまま係長に抱きつきたくなったけれど、流石に僕の理性が働いた。
「俺、お前がそんなに目を光らせてる所、初めて見たぞ」
「あ、あはは、すみません。つい嬉しくなっちゃって」
僕はこの職場で唯一、この辻係長とだけは歳の離れた人と気兼ねなく話をすることができる。あと3年ほどしたら定年退職になると聞いているこの人がいなくなったら、僕はまた疎外感を味わうことになるのだろうか。ただ、今はそのことよりも、部署が異動になることが嬉しすぎる。山中さんと顔を合わさなくなるのが何よりも嬉しかった。
「やっと労働組合の重い腰が上がったみたいだな。そこは夜勤もない部署だから、多分お前は大分働きやすくなるんじゃないか」
「はいっ! 夜勤もないのは正直嬉しすぎます」
「ハハ、調子いいやつだな。ま、この1年半、あの現場でよく耐えたな。悪いが、あとひと月だけ今のふんばってくれ。その後から部署が変わる」
「分かりました!」
努力が報われた気分とでもいうのだろうか。ダイキやチハルさん、ハルカさんたちに命を繋いでもらっていたというと大袈裟かもしれないけれど、その人たちのおかげでこれまで頑張ってこれた自分にもついに転機が訪れた。苦しい修行にも思えたこの現場での勤務も終わりが見えてきたと思うと、これまで騒音にしか思えなかった製造機の音も僕を祝福してくれるファンファーレのように聞こえた。今日はあっという間に業務を終えることができた。
『おめでとう! これでキミのストレスも随分減るかもだね』
真っ先にチハルさんへ異動の件を伝えると、5分以内にメッセージが返ってきた。仕事をしていない時間帯の彼女は返信が早い。まぁ流石にダイキには劣るけれど。アイツの返信速度は多分、誰も勝てない。
『ありがとうございます。本当にその通りです』
『今日はもう仕事は終わり?』
『はい。今日はもう終わりですね』
『じゃあ今からさ、ゴハン食べに行かない? その後、私スナックなんだけど一緒にキミもついていってもらって同伴みたいな形で店に行くのはどう?』
職場での異動報告。チハルさんからの誘い。今日は上手くいきすぎて逆に怖くなるほどだった。けれど、断る理由は無いし、むしろ彼女に会いたかった。
『ぜひそうしましょう』
『やった! じゃあ私の家まで迎えにきてもらおうかな。住所送ってもいい?』
『もちろんです。お願いします』
数分後、可愛らしい黒猫のキャラクターのスタンプと一緒にチハルさんの個人情報が送られてきた。気分が良かった僕は、今一番ハマっているバンドの曲を普段より大きめに車内に流してチハルさんを迎えに行った。その後、彼女を乗せた車内で音量を下げるのを忘れていた僕は、いつもよりテンション高いじゃんと茶化されたので見透かされないように誤魔化しながら音量を戻して彼女と一緒に目的の場所へと車を走らせた。
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