彼女に裏切られ女性不信になった僕は、ゲームを紹介した部下に溶かされる
@Arabeske
(始)2207:trente-cinq ans.
第1話
「桑原課長代理、御先に失礼しますね。」
小さくて可憐な頓宮さんの顔が、すっかり緩んでいる。
なんせ新婚さんだものね。ふふ。
「おつかれさま。
お気を付けて。」
……さって。
もうひと片付けしますか。
*
22時7分。
待ち焦がれた始発電車が、ホームへと滑り込んでくる。
身体を持ち上げるように跨ぎ、ポールつきの座席を確保すると、
安堵感が押し寄せてくる。
始発の直通電車。
五十分待てば、最寄り駅まで運んでくれる。
これを逃してしまえば、乗り継ぎありで一時間五分掛かる。
ターミナル駅で、座席を求めて殺到する
ぎらついたサラリーマン達の戦列に加わらなくても良いのだ。
…なんて、考えてる時点で。
体力の衰えを痛感する。
昔は、十八切符で全国を巡れたというのに。
鉛のように重い全身を、へたったクッションに委ねる。
ポールに腕をかけると、少し安らぐ。
傍からは、疲れ切ったオッサンサラリーマンにしか見えない。
本当は、テレポートしたい。
五十分、特等席に座って帰るのすらしんどい。
ハイヤーを雇えるような身分になる頃には、癌が全身に転移してそうだ。
まぁ、いいや。
眼を閉じると、意識が、ふらっと途切れる。
眠れるなら、ありがたい限りだ。
*
……?
……あぁ、ホントに寝ちゃったのか。
鞄、しっかり持っててよかった……。
あれ。
混ん、でる。
『ただいま当列車、
他線人身事故の振り替え輸送のため、
大変混みあっております。
誠にご迷惑様でございます。』
あ。
あぁ……。
あはは。
一人だけ特等席で申し訳ない。
うわぁ。
めっちゃ混んでるなぁ……
ポールまでギュウギュウだ。
空気まで薄く感じる。
……ぇ?
うちの線は、埼京線じゃないんだけどな。
10年通ってるけど、こんなこと、見たことないわ。
…なんで、まわりが気づかない?
あぁ。下からだから、
座ってる側からしか見えないんだ、この状況。
しょうが、ない。
ぐっ。
「!」
犯人の、腕のスーツの袖を、引いた。
黒縁の眼鏡と、グレーのスーツ。
年頃は40を超えた頃だろうか。
満員の状況を利用して、腰を、不自然に突き出していた。
一瞬、焦った顔の後、
凄まじい狂相で睨みつけてくる。
あはは。弱そうだと思われたか。
竹内●みたいな顔してればこんな態度されないわ。
気圧されて俯いたフリをして、親指だけで黄色いメモ帳を立ち上げる。
機能は少ないけど、軽くて、さっさと書けるのがポイント。
『人生終わるぞ。』
フォントを大きくした字を笑顔で示すと、さすがに向こうが俯いた。
気まずくなったのか、こちらから眼を逸らし続けている。
駅がホームに滑り込んだ時、四十路を越えた痴漢犯は、
転げるように外へ走り去って行った。
本来は捕まえるべきだろうが、そこまでの気力はない。
そもそも、この混雑でたどり着けるわけがない。
あ。
がくっと、来た。
もう少しだけ、寝られそう、だ…。
*
……んぁ。
目的駅近くになると、自動で起きるモードが備わってる。
乗り越し後に反対ホームに並ぶ虚しさから付加されたスキルだ。
始発になって長いんだからもう要らないんだけど、身に着いてしまっている。
……さすがに、ガラガラだなぁ。
みんな、座れてる。
殺気だった空気は、どこにもない。
そもそもこの車両、そんなに混まないのがいいんだけど。
3分に1本、このタイプが運行してればなぁ……。
*
「では課長代理、御先に失礼します。」
小さくて可憐な頓宮さんの顔が、すっかり緩んでいる。
新婚さんだものね。こっちまで、幸せになる。
「おつかれさま。」
……ふぅ。
結婚、か。
不幸な結婚ばかり見てきたけれど、
小さくて可憐な頓宮さんの浮き立った笑顔を見ると、少し、ほっこりできる。
子どもが産まれたら、子どもが反抗したら、
その関係は変わってしまうのだろうか。
あんなに緩んだは無くなってしまうのだろうか。
……今更、50万円をつぎ込み、結婚相談所の命令に従うつもりもない。
そんな貴重な時間があれば、休息に充てたい。
そもそも、結婚、向いてないし。
あんな裏切られ方をするくらいなら、一生、独身でいい。
(「貴方のことなんて、最初から。」)
……嫌なこと思い出しちゃった。
もうひと頑張り、しますか。
今日で釈放だしね。
*
22時7分。
待ち焦がれた始発電車が、ホームへと滑り込んでくる。
身体を持ち上げるように跨ぎ、ポールつきの座席を確保すると、
安堵感が押し寄せてくる。
始発の直通電車。
五十分待てば、最寄り駅まで運んでくれる。
これを逃してしまえば、乗り継ぎありで一時間五分掛かる。
ターミナル駅で椅子を求めて殺到する
ぎらついたサラリーマン達の戦列に加わらなくても良いのだ。
なんてったって、金曜日だ。
スマートフォンの電源を落としてしまえば、
明日、明後日は誰からも干渉されない。
車内も、解放感に溢れている。
気がする。
なんとなく。
今日は、ほんの少しだけ気分が良い。
スマホゲームを立ち上げるくらいの体力が残っている。
西新宿に小さなビルを構える会社が作っている
小さなキャラクターがピコピコ動くシミュレーションゲーム。
放置ゲームでも課金ゲームでもない買い切り型なのが良い。
現実にはあり得ない成長の早さも、気晴らしには良い感じ。
例によって黄色いロボットの条件が分からないけれども、
お猿さんは出したから、七割くらいはいってるんだろうな。
「そのゲーム、なんですか?」
ぇ。
…20代中頃くらい、かな。
頓宮さんと、同じくらいか。
ラベンダー色の落ち着いたスーツ。
剝げかかっているが、しっかりと整えられた化粧で、
余所行きとは少し違う笑顔で、画面をのぞき込んで来る。
50代くらいのご婦人に声をかけられたことはあったけど。
20代の方に掛けられるのは珍しい。
まぁ、このゲーム会社、ふつう、知らないもんな。
ゲームをセーブして、
google playを立ち上げ、検索窓に会社名を入れる。
「この会社が作ってるゲームです。
よくできてます。通勤の気晴らしになりますよ。」
女性向きかどうか、分からないんだけどなぁ。
50代のご婦人もやってたから、まぁいいか。
*
終着駅に車両が滑り込む。
いつのまにか隣に座っていたラベンダー色のスーツの女性は、
スマートフォンに釘付けのままだった。
っていうか、この人、同じ駅だったのか。
ラベンダーのスーツで固めた妙齢の女性が、
この会社のゲームをやってると、違和感が半端ないな。
車両のドアが開き、終着駅のアナウンスが響く。
安堵感に満ちた人々が、足早に席を立っていく。
って。
まだ、やってる。
まさか、気づいてない??
あ、耳にヘッドフォンしてる。
本気で気づいてないかもしれない。
これ、回送電車になっちゃうんだけどな。
……東京で知らない人に声をかけたのって、
三年くらい前に、車内に財布を落としてった人以来だけど。
一番スマートな方法は……、
黄色いメモ帳を立ち上げ、急ぎ目に入力し、
彼女のスマートフォンの上に見せた。
『着きましたよ』
びくっ!?
っとラベンダーが上下に揺れた。
こっちが驚くくらいに。
慌てて起き上がった女性は、
軽い会釈だけをして、一直線に階段の真ん中を駆け上がって行った。
……少し待てば、エスカレーター、空くのになぁ。
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