【33】すれ違う心(2)
「アオアオ?」
シオンが躊躇いがちに声をかけた。
これ以上、誰かを心配させてはいけない。シュロさんのことは〝なるようにしかならない〟きっと今は……時期が来れば状況も変わるはずだ。それまでは、どんなことがあっても前に進まなければ。
私は振り返ると同時に、少しだけ無理をして笑った。
「今は話しても聞いてくれそうにないから、もう少し様子を見るね」
「総長はアオバが嫌いなわけじゃない。ただ恐れてるだけ」
「うん、ありがとう。さぁ、仕事しなきゃ!」
悩めば悩みは大きくなし、歯止めが効かなくなる。どうにもならない時は、別のことを考えて気を紛らわせることも必要だ。
今は黒龍隊の専属香術師として、与えられた仕事をきっちりこなすしかない。指示を受けた通りに給仕場で受け取った食事を持って、捕えた夜叉達がいる地下牢へ向かった。
薄暗く湿気っぽい階段を下りていくと、大きな牢が一つ。鉄格子の向こう側で、夜叉達の瞳がぎらりと光った。何をしに来たんだと言わんばかりに睨みつけられた。
「食事を持ってきました。どうぞ」
鉄格子の間から器を差し出した。もちろん、それを素直に受け取るわけがない。まるで拗ねた子供みたいに、あからさまにそっぽを向かれてしまった。
「根菜の煮物は体が温まるんですよ。ここは陽も当たらなくて寒いですし、狭くて動けないから体も冷えます。さぁ、食べて下さい」
「……そんなもの食えるか」
「人間が用意した物など信用できん。毒でも入っているんだろう」
「毒なんて入っていませんよ。まったく……わかりました! 私が食べて証拠を見せます」
用心深いにも程がある、と言いたいところだけど、相手が敵なら当然の反応だろう。
よそった食事を綺麗に平らげて、空になった器の中を見せた。私自身になんの変化もないとわかると、夜叉達は戸惑ったように顔を見合わせていた。
「ほら、大丈夫でしょ。これで毒入りじゃないって証明されたんですから、ちゃんと食べて下さいね」
それでも信用できないらしく、私を睨みつけるだけで受け取ろうともしない。まったく、どこまで疑り深いのか。
ふと、近くにいた夜叉の男の手傷が目に留まった。戦った際に付けられた切り傷だろうか。包帯をしてはいるものの、傷が塞がっていないせいか痛々しく血が滲んでいた。
「傷、痛むみたいですね。今、手当をしますね」
「……っ! お前には関係ない!」
「放って置いたら悪化しますよ。シオン、蔵から薬香と香炉を幾つか持ってきてくれる?」
「うん、わかった」
シオンは声を弾ませ、タタタッと軽快に階段を駆けて上がって行った。
牢を開けることはできないから、仕方なく鉄格子を挟んでの手当になりそうだ。少しでも作業がしやすいようにと彼の手を掴もうとするも、余計なお世話だと嫌がって手を振り払う始末。そんな中、一人の若い夜叉が突然苦しみ出した。
「うっ! うぅぅぅぅっ!」
「おいっ、しっかりしろ!」
仲間の夜叉が慌てて体を抑えた。すると、若い夜叉の髪が銀色に変わり、瞳は蒼く、みるみるうちに犬歯が鋭く伸び始める。それはシュロさんが見せた反応と同じだった。
「アザミ、深く息を吸い込め!」
体を押さえていた夜叉は、懐に隠し持っていた札香を取り出して焚いた。すると、唸り声をあげて苦しんでいたのが嘘のように落ち着きを取り戻し、体に現れていた反応も集束していく。
そういえば、昨日襲ってきた夜叉達もシュロさんと同じような変化が表れた時、あの札香を使っていたのを思い出した。
「ねぇ、その札香は何なの!? どうして白狼(ハクロウ)の力が治まったの?」
「……知ってどうする?」
なぜそんなことを聞くんだと、睨みつける瞳に威嚇が混じった。食事すら警戒して手を出さないくらいだ。敵対する相手にすんなり教えてくれるわけがない。だからといって、ここで引き下がるわけにはいかなかった。ここで諦めるのは私の性に合わない。
「助けたい人がいるの。もしかしたら、今の札香がその人を救えるかもしれない。お願い、それが何なのか、教えて!」
必死に願う私を前に、夜叉達は顔を見合わせた。当然のことながら、人間に協力するつもりはないため、誰一人口を開く者はいない。もちろん、その反応も予想の範囲内だ。たった一度のお願いで、すんなり答えてくれるとは思っていない。
「……そう。そっちがその気なら、こっちにだって考えがあるんだから!」
傍にいた夜叉の隙をつき、傷を負った腕を掴んだ。それはもう力の限りに、林檎を握り潰す様を想像しながら思いっきり傷口を握ってやった。
「痛っ! いいぃぃぃっ! てめぇ、何しやがる!」
「痛い? 騒いだって無駄よ。私はそれが何なのか聞き出すまで、絶対に離さないから!」
語気を強めると同時に、指先にさらなる力を込めた。
傷口を握られるなんて想像したくもないけど、きっと私が思っている以上に彼は痛いはず。手を跳ねのけることすらままならいほど、痛みに身動きが取れなくなっているのだから。周りの夜叉達も下手に動けず、睨み付けて身構えるだけだった。
「助けたいと思う大切な人がいて、目の前にはその手立てとなり得るものがある。それを手に入ることができれば助けられるかもしれない。もし同じ状況に置かれたら、あなたならどうする? 何もせずに見捨てる?」
「……っ」
痛みの中で、問い質された彼も考えたはずだ。自分ならどうするか、どう動くか。
答えを見出したのか、それとも諦めたのか。彼は深い溜息をつき、握っている私の手を何度か叩いた。
「わ、わかった。わかったから! この手を離してくれっ!」
離したとたんに口を噤むなんてことはないだろうか。半信半疑ではあったけれど、あまりにも必死に叩くから仕方なく離した。彼はほっと安堵して胸を撫で下ろし、血の滲んだ腕を素早く上着の中にしまい込んだ。
「さっきのは……
「蒼ノ月?」
「半年に一度、10日ほど月が青白く輝く夜があって、その間は世界を巡る妖力が最も強くなる。普段はなんともないが、その間は夜叉の俺達でも白狼の力を制御できなくなる」
「それで、あの香で力を鎮めているの?」
彼はムッと口を尖らせ、不貞腐れたように頷いた。その時、脳裏を過ったのはシュロさん、レンゲさん、そしてシオンの姿だった。黄金から蒼に輝く、あの瞳――
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