帳尻合わせ(No.2)
ユザ
①
「こちらが婚約者の
「初めまして。浜本健太です。いつもお世話になってます」
「初めまして。飯田省吾です。こちらこそいつも
なんだか堅苦しい挨拶になってしまったな、と私は二人を見ていてそう思った。省吾のことを直接誰かに紹介するのは初めてだったので少しだけ心配していた。普段から通い慣れた居酒屋のテーブル席でいつも飲み慣れた健太を正面にして座り──しかも隣には婚約者を従えて──何を縮こまる必要があるのだろうかと頭ではわかっているのだが、知らず
今日だけは絶対に酔い潰れないでいよう、という私の強い決意はドリンクを頼むところから表れていた。店員が三人分のドリンクをテーブルに持ってくると早速健太がそのことに気付き、あっけなく指摘されてしまう。
「あれ、最初の一杯目はいつもビールって決めてるんじゃなかったっけ?」
「今日はいいのよ」と私は答えた。
「もしかして俺たちに遠慮してるんだろ?」と今度は省吾が乗っかる。「カシオレなんて可愛い子ぶっちゃって」
ほとんど同時に笑い出した彼らを交互に眺めていると、そのうち自分だけ気を張っていたことを馬鹿らしく思い始めた。やがて私はカシオレの入ったグラスに手を伸ばした。イッキ、イッキ──なんて大学生みたいなコールを二人にしてもらって見せ物みたいなテンションでそれを飲み干しても良かったのだが、26歳にもなってそれはさすがに下品かと思い直して結局は何回かに分けて胃の中に流し込むことにした。私はグラスが空く直前に店員を呼んでようやく一杯目のビールを頼む。
「それにしても今日は会えて嬉しいです」と健太は言った。
「俺の方こそ会えて嬉しいよ。今日は週末でもないのにわざわざ時間を合わせてもらって悪かったね」
「いえいえ、そんなことないですよ」
健太はそう言ってかぶりを振った。
商社勤めの省吾は普段から残業で帰りが遅く、仕事終わりともなるとなかなか予定が合わせづらい。ただ、第二・第四水曜日に限っては就業規則で定時退社しなければならないと決まっていたらしい。私はその日に合わせて日頃から婚約者を紹介してくれとしつこかった健太に仕方なく彼のことを紹介することにしたのだ。
「省吾さんは高校の時に甲子園出てるんですよね? 明美ちゃんに聞きました」
健太も五つ年上の省吾のことを「さん」付けで呼ぶくらいの常識は持ち合わせていたらしい。普段から彼とは二人きりでしか飲むことのない私は今更ながらにそれを知った。そういえば彼が私以外の誰かと会話している姿を見るのも初めてだったな、とふと思う。中学の頃の同級生とはいえ私はほとんど彼のことを知らなかったようだ。でもまあそれも当然か、と結局は思い直したのだが。
「高校三年の時に甲子園に行ったんだよ」と省吾は言った。「まあ二回戦で負けちゃったんだけど」
「それでも十分すごいじゃないですかっ。甲子園なんて僕らは憧れることしかできなかったんですから。羨ましい限りですよ」
健太の頭部には生まれながらにして一本も髪の毛が生えていなかったという。本来は見られるはずの部位に完全に毛がない状態のことを無毛症と言うらしかった。
いつの間にか私は店内の照明を反射している彼の地肌をじっと見つめていた。それをゆで卵みたいで可愛いと思えるのは私が少しだけ大人になった証拠だろうか。月もあんな風にして太陽に照らされているんだろうな、とどうでもいいことを考えつつ、でも月は決して自分から発光しているわけではないんだよな──とも同時に思っていた。
「健太くんも野球してたの?」
省吾の問いかけに健太は「はいっ」と大きな返事をした。その声が何かの引き金になっていたのか、私はつい就活していた頃の記憶を思い出していた。確かに商社とか銀行などの面接では体育系の部活動出身だった学生たちがその場を席巻して良い意味で目立っていた覚えがあった。そのせいで私はいつも萎縮してしまって面接官の質問に上手く答えられなかったっけ。今となっては何の役にも立っていない過去になってしまったが、当時の私はそんな彼らを強く恨んでいた。それくらい当時の私は就活に追い込まれ、余裕がなかったのだ。
省吾と健太はその後も二人ですっかり意気投合した様子で会話を続け、いつの間にか互いに連絡先も交換し合っていたらしい。どうやら余計な心配をしていたようだ。私は彼らの会話に耳を傾けながらそれを肴につい先ほど手元に届いたばかりのビールで喉を潤した。野球経験者でない私には全く話してくれることがない省吾の高校時代の話とか、思っていた以上に社交的だった健太の立ち振る舞いとか、普段は見ることのできない二人の姿がどこか新鮮で飽きなかった。
まるで地元の先輩と後輩みたいだなあと思いながら私が黙ってその様子を見ていると、省吾が唐突にこちらを向いて「二人は中学の時、仲が良かったの?」と聞いてきた。不意をつかれた私は「ああ、えっと……」と思わず言葉に詰まってしまう。そしてつい健太の方に視線を移した。彼はまるでその会話をハナから聞いていなかったかのようにスマホを触っていた。
しかし、あまりに私が返答に困っているとなんとなくその様子を察してくれたように健太はスマホから顔を上げ、笑みを浮かべた。その瞳はこちらの心の動きを全て見透かしているようで、私は昔懐かしい安堵感を覚えていた。
「まあ、普通のクラスメイトって感じでしたかね。学校で会ったら普通に喋るし、かといって別に一緒に遊んだりはしてなかったですけど、決して仲が悪かったわけではなかったと思いますよ」と健太は言った。
「そうだったね……」
私はすかさず目線だけで健太に「ありがと」と言った。すると彼もこちらに目を合わせて「ぜんぜん」と答えてくれたような気がした。
この場で省吾にだけ聞こえることのないやりとりを堂々としてしまっていることに私は少しだけ罪悪感を抱く。が、それを知ってしまえば彼があまりいい気持ちにならないことはなんとなく察しがついていた。だから言わなくてもいいことをわざわざ言う必要はない。私と健太がどんな関係だったかなんて彼には関係のないことだった。それはもう過ぎた話でとっくに時効は切れているはずなのだから──
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