👨‍⚕️ 医療で震災復興 👷

医師脳

第1話 東日本大震災と医療弱者

 被災地域で生活して改めて気づくのは、医療サービスが十分でなかった地域が、震災により更に不自由さを増した現状である。

 特に高齢者の場合、公共交通機関が被災したことにより、医療機関へのアクセスが悪化した。

 また女性や子どもの場合も、震災後に沿岸地域の医療機関が激減したため、内陸都市部との医療格差が更に進んだ。

 そこで、元産婦人科医である筆者は、「医療で震災復興を!」と叫びながら、医療弱者の老人と女性を応援している。


 2012年2月末から1年あまり、仮設の岩手県立高田病院の臨時医師として支援を続けた。

 その後は、宮城県気仙沼市へ拠点を移し、医療弱者の代表である老人にも生き甲斐を持って生活して貰えるようサポートしてきた。


 2014年1月から南三陸町に足を伸ばし、仮設の公立南三陸診療所で「レディース外来」を始めた。

 15年前から産婦人科診療が提供されていなかった地域で、女性の心身の悩みに応えるという、女性のプライマリケアを目指したのである。


 さらに医療介護支援を強化するため、4月に南三陸町へ引っ越して、介護老人保健施設ハイム・メアーズに拠点を定めた。


 震災のあと医療支援を続けて感じるのは、「平常時モード」のままで対応しているため問題が多いということである。


一方、「非常時モード」で迅速な対応を受けたのが、宮城県の公立南三陸診療所である。

 佐藤仁町長へフェィスブックでメッセージを送ったところ、約1ヶ月で「レディース外来」が開設された。

 当初は婦人科診療だけであったが、石巻赤十字病院の産科セミオープンシステムに参加し、妊婦健診を地元でも受けられるようにした。これに伴い、レディース外来担当による「助産師外来」も始められたので、産婦人科医不足の対策にも期待される。

 助産師自身にとっても、病院という組織のなかで、安心して助産師としての知識や技術を発揮できるというメリットがある。


 さらに、建築中の(仮称)町立南三陸病院には、新たに産婦人科診察室も追加された。

 2015年11月には、震災前の状況に戻す「復旧」に止まらず、「医療で震災復興」が南三陸町に実現するであろう。


 私事になるが、南三陸町の復興を見続けるため、豊かな自然のなかで人々と愉しみながら働くことにした。

「支援から協働へ」と、自分自身のパラダイムシフトである。


(20150106)

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