ラックランドにようこそ ~魔王さまの勇者育成計画~

橘樹 紫仁

前幕

SS 041_R 報道発表(1/4)


 一人の記者が、まだ眠い目を開き、船の上で缶コーヒーをくわえ、首筋を軽くはたいている。彼の寝覚めの儀式のようなものだ。周囲には似たような連中が群れを成していた。

 昨日はいわき支社に泊まり、早朝から久野浜港に移動して、聞いてはいたものの海上自衛隊の護衛艦を目にすると感じた事のない緊張感を覚えた。近年の自然災害で報道する機会が増えたとは言え、さすがにそれに乗船する経験が巡って来るとは思っていなかった。

 流れ去る港には、“魔王領反対”の横断幕や幟旗のぼりが目に付く。港には漁船の姿はない。出来た岬――言葉はおかしいが事実だ――などの影響で潮の流れが変わったのか、造成時の土壌の栄養でも流れ込んだのか、調査が追い付かず理由は不明だが、豊漁が続いているようだ。以前と変わらず、美味い魚が揚がっている。

 記者の緊張をよそに艦内放送が流れる。

『輸送艦“おおすすみ”艦長の海江田 一等海佐です。

 本艦は久野浜港を定時出航、魔王領沿岸部を航行し、南相馬海上防災基地に08:50現着を予定しております。乗艦の皆さまには、事前通達ブリーフィングを守り、節度ある行動を期待します。尚、朝食がお済でない方には07:10から食堂を開放いたしますので、海自伝統のカレーをお楽しみください』

 南相馬海上防災基地は自衛隊と海上保安庁が共同管理する海に浮かぶ空港島だ。人工島それ自体は近年では珍しくも無くなったが、一晩で出来た島と言う事と、魔王領に入ることのできる二つの交通路のうちの一つと言う事で注目されている。


「マジですか。コンビニおにぎりで済ますんじゃなかった……」

 同行うちのカメラマンが自らの腹を見下ろして、手を添えてポンポンと軽い良い音をさせた。

「ノー、ノー、ノー。内海を突っ切るんじゃないのぉー。この艦の速力では、その航路じゃ間に合わないよー」

 カメラマンの悲しみの腹音ふくいんに被せるように、少し離れた場所から金髪雑じりの黒ぶち眼鏡の記者が腰を落として叫んでいる。彼は龍頭岬にも秘密の洞穴いりぐちがあると思っていたのだろうか。俺には艦の装備品せいのうのことなんて、さっぱりだが我々日本人の定時への異常な日常感覚については知っている。時間それについての心配は不要だ。




 そして、操舵室では……

「さてと、摩導回路のお披露目と行くかね」


 艦長の脳裏にここ数日の事が思い起こされた。

 たった二日で海上公試運転を切り上げて、この輸送のために任務復帰をした。

 連続した有り得ない事の起こりは、6日前である。

 一夜島への輸送任務に付いていた我が艦だが、着いて突如に防衛大臣の署名入りの命令書を海将直々に渡された。この時点で我らに命令に疑義を覚えることは許されない。

 魔王国による改装を受けるために武装の閉鎖、管制運用及び航行情報の抽出・削除を数時間で済まして、魔王国が管理区域である海上係留施設タンカーバースで艦を引き渡した。

「竜骨もないのか、この船は?」

「大した向上は望めませんぜ、親方!」

 彼らの外洋船では通常、大海蛇シーサーペントの背骨を竜骨として使う。それは巡航時には復元力を増し、高速時には浮力を増す。それは大海蛇の生態そのものと言える。実際の外洋船では摩素の翼を拡げ、海面を滑走する形式なので航法――こちらでは空気浮揚エアクッション艇に近い――としては異なるものとなるが……。

 身長の低い彼の国の職人と思われる者たちの言葉を受けて、不安になりつつ過ごした三日間で換装を済ませた――商船なら知らず、艦艇は一月以上の計画が組まれるのが常である――艦が戻り、すぐに公試に出てたったの二日で命令を受けて、今となる。


 艦内放送を終えた艦長からの指示が出される。

「摩導回路を起動」

 乗客は気付かないと思いますがと、副長は表情で返事をし、口ではしっかりと復唱する。

摩晶石クリスタル・エムから船首摩法陣への摩力の供給を確認」

 技術仕官が画面モニターを読めば、輸送艦の改装された“球状”船首が海面に淡く光る。それによって、艦が揺れることも、音を出すこともない。

「航法機関との連動を開始します」

「各種機器の数値正常。摩導航法に問題なし」

 航跡に一世代前の潜水艦に装備されていた遮音装置マスカーのような気泡が混じる。摩法により、船首に空気層が生まれ、造波抵抗が減衰された。それにより、航行速度や燃費が劇的に改善される。

 船が波を切ることなく、海が船を感じないかのように、艦は滑るように進み始めた。




 記者が、ぼーっと、見慣れない角度から陸を眺めていれば、艦はあっという間に岩沢龍頭岬の先端に到達した。魔王領との領境となった広野火力発電所までは、未だ見ぬ魔王領に報道記者の一人として上陸できることに期待と緊張があった。が、広野の先は海に突き出る壁のような岩肌の岬が続くだけの景観に、そんな気持ちも落ち着こうと言うものだ。

 

 日本国は旧福島原発を中心とした半径20kmを魔王国に期限付きで割譲した。巨大地震という引き金はあったにせよ、壊れた原発や放射能汚染の処理に手を焼いていたと言うか、お手上げだった人たちにとって、魔王国の申し出は渡りに船だったに違いない。

 領内からの退去における騒動も記憶に新しい。

 防災時の避難指示のように、自らの判断で取る行動ではない。

 紛争地域や感染症の危険などで出される渡航制限の退避勧告レベル4のように、止めてくださいと言うお願いではない。

 強制退去命令は、文字通りに警察による誘導に従わない場合は身柄を拘束、つまり、逮捕してでも手続きを進めるものだった。国内に国境線を持たない島国に育った私たちには体験することのなかったことを、政民ともにその厳しさを味わう事になった。


 魔王領を囲むように出来た環状山地は、そのまま海に突き出て岬となり、海に伸びている。

 領土が海に面していれば、領海の権利も生じる。

 海については魔王国は何も要求していなかった。

 国会答弁にて「国土に、海まで土産につけてやることはない」と攻め、国賊政権とヤジる野党に対して、「魔王国に我々がまずは規則に従うことを示さねばならない」と答えたのは久坂部くさかべ総理だ。こちら側の規則というものを教えて彼らを縛らなければ、彼らの規則で動かれたら飲み込まれると言う真意があったと関係者に聞いたが、果たしてどうだか。

 白華国の機動艦隊の侵攻を本領――地図には載っていないが、今現在、世界の興味を最も引いている太平洋の小島だろう――に受けて、それを力であっさりと排除してみせた魔王国に対して、そんなちまちまとしたことを考えているのが我が国の政治家だと言う現状に、国民が危機感を覚えているか、平和を感じているかについては先日の選挙の投票率に見ることが出来ただろう。


 そんなことを、ぼーっと考えつつも、漁船の姿はないが、本船はその魔王国の領海に進入する。

 侵入しても良いのか?の問いに対しては問題ない。無害通航権と言うらしい。

 言われて見れば、艦橋前後にある機関砲ファランクスにも覆いが被さっている。沿岸国の平和を乱さない限り領海を自由に通行できる権利と言う事らしいが、記者も知らなかった。そんな細かいやり取りを魔王たちが一考するだろうかと、彼は思う。

 龍頭岬は鼻頭を海面から突き出し、牙様の岩垂を見せる大口に打ちつける波を飲み込んでいるように見せる。後背部が霧にかすんでいるのも情感的に見える要因だろう。

「あれが人の手に依るものだなんて思えないな……。一丁まあ幻想的ファンタジーに見える感じで一枚頼むぜ」

 出来たばかりなので、海水の浸食による造形美と言う訳ではないが、それでも、皆が知りたいと思っている魔王かれらの印象には叶うだろう。

 が、後ろからの返事は帰ってこない。そして、振り返れば、とても大切なカメラバックが甲板に放置してある。

「あのやろう、カレーを食いに行きやがったな!」

 あの台詞おにぎりの後に、仕事を放り出して誰が二度目の朝食に行くと思うだろうか。

 仕方なく記者かれがカメラに収める。が、画面ファインダーに切り取られたそれは、霧にかすむ切り立つ岩岬である。それは事実なのだろうが、目に見える印象が映されていない。

「ダメだ、これは使えねぇ。あー、読者の気を惹く一枚シャッターチャンスが消えちまう」


「こんな速力、おかしいよー」

 少し離れた場所からも、再びの否定だ。胸板の厚い金髪黒眼鏡が、またしても叫んでいる。

 そんなん知らんがな。確か、去年に乗った東京~大島間の連絡船が80km/hぐらいって言ってたよな。海自の船だぞ、もっと余裕だろ?

 この記者は本当に分かっていないらしい。改装前の“おおすみ”の最高速力は22kn《ノット》であり、その連絡船の半分程度の速力だった。今は巡航だが以前の最速の5割増しで進んでいる。


「いい仕事してたっす」

「お前も仕事しろ」

 腹をポンポンとさすりながら戻ってきた同行者の胸に、大切な報道プレスカメラを突きつける。

「使えないっすね」

「お前に言われたくねぇーわ」

 記者の撮った一枚を見た同行者の一言に、彼はすかさずに返した。

 同行者は一眼レフカメラを操作して一枚、さらに操作を加えて一枚と重ねていく。

 カレーのかほりをこぼしながらニヤリと笑い差し出された画面には、手前に静止した波飛沫の一粒一粒が、そして、その奥の霧の中にかすむように映り込むのは底知れぬ感じをさせる何かである。見る者によっては、龍にも見えるだろう。

「カメラは脳で処理された画像じゃなくて、目に映る一瞬を、イタッ、暴力反対っす!」

「いい加減にしろっ」

 冒頭の一枚いいかげんを手にした彼は褒める言葉の代わりに、同行者の尻に蹴りをかました。すでに言葉は千度ちたびを繰り返した後である。


 岩沢龍頭岬を過ぎれば、金髪黒眼鏡が言う所の内海正しくは湾が望めるはずだが、白く霞んで見ることは叶わない。龍頭の先には、2kmほどの間を開けて、鰐の背中に見られる鱗板のような岩礁が海面から突き出され、波に洗われている。艦の航路の横に、乱礁が徐々に切り上がっていく様は、海から現れる怪獣の背中のようだ。乱礁龍尾岬と名付けられたのも頷ける。

 両岬ともに船が接岸できるような場所ではない。

 環状山地には、我々の目には見えないが障壁のようなものが張られている。人や物は勿論のこと、電波なども遮断し、衛星からの撮影も出来ず、空白ヌルの反応が返って来るらしい。侵入を試みた者は行方知らずの扱いとなっている。尤も事実不詳他国の者なので、その記録も残らない。作戦不能インポッシブルだ。魔王領をぐるりと囲む岩龍が結界を張っているという噂がまことしやかに立つほどだ。

 魔王国が用意した二つの交通路以外で進入できそうなのが、龍の顎下の僅かに感じるこの隙間となる。だが、湾内に進入できるかと問われれば、試みたくないと答えるだろう。

 白波に浮標ブイが上下して洗われているが、魔王国が進入禁止を示すために設置したものではないだろう。と言うのも、明らかに一線で留まっているように見えるし、彼ら自身から海を汚すな撤去しろとの声明が出ている。久野浜漁協は無視しているが、浮標に網らしきものも波に見え隠れすれば、それが元は誰の物だったかは明らかと言うものだ。


 そして、今にも浮上してきそうな龍尾かいじゅうと併走していれば、すぐに一夜島――南相馬海上防災基地の通称――が見えてくるはずだ。

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