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小狸

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 自分は、世の中の役に立つことができない。


 そうした漠然とした思いを、幼い頃から持って生きてきた。


 そんな私の根幹を作るのは、父の言葉である。


 ――お前は、醜い。


 ――お前は、馬鹿だ。


 ――お前は、要領が悪い。


 厳しい父だった。今の基準で言えばモラハラ気質だったのだろうと思う。何より父が死んだときに喜んでいたのは母だったからだ。ただし、父の存在を遡及して断罪することは、もう叶わない。そんな父は既に死んでいるのだ。


 死人に口無しという言葉がある。


 ただし私としては、死人に耳なし、という風にも表現したい。


 死人に何を言っても、その言葉は届かない。


 父はそれらの言葉の先に、決まってこう言っていた。


 ――だから、せめて。


 ――世の中の役に立つ人間になりなさい。


 私にとって、父は世界そのものだった。だから、父が言ったのならそうだと思うしかなかった。そうでもしなければ、暴力を振るってくるからである。


 何より悔しかったのは、大概が父の言う通りだったからである。


 容姿の悪さで、中学時代にいじめにあった。


 いくら勉強してもダメで、塾に行くお金もなかったので成績は悪かった。


 運動も、ビリか底から数えた方が早いくらいだった。


 だから私は、こう思うようになった。


 何故自分は生きているのだろう。


 例えば母は、忙しい中でパートを掛け持ちして家計を支えている。それは凄いと思う。確実に世の中の役に立っている。何でも昇進があったらしく、来月から給料が上がることを喜んでいた。


 きっと私が母の立場なら、昇進なんてそもそもなく、面接で落ちてしまうだろう。


 何の役にも立てない、何の成果も産めない、何も学習できない――そんな私が、そもそも採用されるはずがないからだ。


 世の中の役に立とうとすると、それこそ死ぬほどに辛い。


 辛いのだ。


 それでも死なない。


 それでも死ねない。


 生き地獄を味合うことが、是とされる世の中である。


 父曰く、それこそが大人になる――ということらしいが、だったら子どものままの方がマシであった。


 いっそ死ねたらどれだけ良いだろう。


 そんな思いを内包しながら、私は十数年を生きた。


 就職活動も失敗した。小さい頃から吹き込まれてきた自己否定が板についてしまっていた。


 ――私は、醜い。


 ――私は、馬鹿だ。


 ――私は、要領が悪い。


 いつの間にか、口の中で呪文のようにそう唱えるようになった。


 そんな人間を、まさか会社が採用することはない。人事も馬鹿ではない。書類選考で通らないこともままあった。


 そして周囲の友人のほとんどの就活が決まった所あたりで、父が倒れたという話を聞いた。


 脳溢血らしい。


 まあ、元々高カロリー食を好み、偏食で、自分の料理だけを家族とは別に作らせていた父である。


 私は見舞いに行った。


 その時は、純粋に家族が倒れた見舞いに行こうという感覚、だったように思う。


 病室に行くと、母と、妹がいた。


 父は、驚くほどやつれていた。


 いつかの威厳はどこへやら、呆然と天井を見ていた。


 いくつか医師と話をした後で、母と妹が順番に話しかけた。そして私の番が回ってきた。


 私は、定型文的な見舞いの言葉を発するべく。


 口を開いた。


 しかし。



「お前は、何の役に立つんだ?」



 私から出て来たのは、呪いの言葉だった。


 父ははっと私の方を見て、何か言おうとしていたようだった。制止する母と妹を振り切って、私はそのまま一人で家に帰った。荷物をまとめて、すぐさま一人暮らし先へと戻った。母と妹から鬼のように連絡が来ていたけれど、今は聞く気にならなかった。


 当たり前みたいに愛されている奴らに、私の気持ちは分かるまい。


 父が死んだのは、それから五日後、令和四年の九月八日のことである。



(了)

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