おかた

@anplsa

乖離

ある男がいた。そいつは昔っからどこかずれていたやつだった。人見知りで、外で友達と遊ぶような活発な奴じゃなかった。いや、ほんとうの最初はそんなことなかったらしい。みんなが真面目に座っておとなしくしている中、知らん奴とはしゃぎまわっていたという。大人、もしくはこの社会からの抑圧を受ける前のほんとうのあいつは活発だったのかもしれない。わずか数年にして無意識のうちにこの社会に染められ始めた彼の人生はその後思ってもみない方向へと動き出す。


彼は中流くらいの家庭で生まれ育った。幼い頃からバカ真面目で、先生の言うことをよく守る子だった。幼少にして自らの欲求を抑え、他人からの承認欲求を満たすことばかり考えていた。というよりも、怒られることを極度に恐れていたのだ。本来の彼はとにかくわがままで、真面目とは程遠い性格なのだ。何が彼を変えてしまったのか、それだけ思い出すことができないのだが、きっと思い出したくもないほど当時の彼にとっては怖い思い出だったのだろう。このか弱い精神のせいで、友達も少なく、チャレンジング精神がまるでなかった。だから、特段記憶に残るような行いはしていない。ただ、食欲がなく、毎日居残りをさせられて無理やり食わされていたということだけ鮮明に覚えている。


小学校に上がり、彼は算数が得意だと勘違いをし始める。実際、遺伝子のおかげで平均以上にはできたのかもしれないが、小学一年生という夢溢れる時代になんとも幸運な勘違いを起こしたといまでは思う。子供だからみんなそうっちゃそうなんだが、特にあいつは周りのことが全く見えていないやつだった。乖離していく現実と勘違いが彼の成長に大きな果実をもたらす。無意識なる夢追い人の完成である。そうして彼は小二の頃、自ら塾に入りたいと言い出したという。とにかく彼は徹底して宿題をすっぽかすなんてことしなかったし、積極的に手を挙げて発言していた。小4になると、放課後遊び出すようになる。彼にとって唯一の財産。このころはかなり楽しかったんじゃないかなーと思う。小5になって、お受験が始まった。彼自身の意思によって選んだんだけどね。最初は。だけど、いざやってみると綺麗な校舎に通える代償はあまりにも大きいことを知った。膨大な宿題と終わりの見えない戦いのはじまり。逃げ出すのも当然である。むしろ逃げ出さないのはあまりに不自然だ。ここまでかなり世界に染め上げられてきた彼ですら、面談に行くレベルなのだから、世の中の親御さん方は十分に二つの意味で警戒なさったほうがいい。彼の人生でも類を見ないほど闘志をむき出しにしていったはずだった面談なのに、大人の論理に何一つ勝てるところを見出せず、命からがら逃げだしてきた。そりゃそうだ。お前が間違っているんだから。何を甘えたことを言っているんだ。でも、そのとき感じた気持ちは何一つ間違ってないはずなんだ。そういうことで、商売と大人と恐怖心の全てに屈せざるを得なかった一人の少年はこの後2年間の地獄へと突入する。特にひどかった5年の夏。彼が払った代償はあまりに大きすぎた。きつい、きつい、でも、やらねばならぬ。だって怒られるから。正直、あれは小学生に味わわせてはならない禁断の状態であったよな、うん。かつて好きだった電車も、このころには完全にただの交通手段、苦痛を行き来する箱でしかなかった。あんなつらい時期を後から苦労話として美化していいわけがないだろう。だって、その影響は今にも続いていて、結局そのせいで彼はより大きな苦痛を感じてしまっているのだから。でも美化してしまえば美しいストーリーになる。


そんな世間と彼自身との乖離が彼の人生の出発点だったことを僕は覚えている。

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