第二十二話 君が見せてくれる世界

 新年になった。

 年が明けたからといって、劇的な変化がある訳ではない。テレビ番組が特番ばかりになったり、去年よりちょっと増えたお年玉を手に椎本と何処へ遊びに行こうかと考える程度で、それ以外普段と変わりない。

 寒いのは嫌いだけど、冬は好きかも知れないと初めて思った。

 冬服の椎本が可愛いからだ。ワンサイズ大きいダッフルコートは、その小柄な体型と合わせて思わず抱きしめたくなるような可憐さがあるし、口元までマフラーで覆う寒がりな椎本の唇は乾燥に弱いらしく、小まめにリップクリームを塗る仕草すら目を奪われる。


 椎本はまだ三ヶ日を終えてないというのに、もうバイトを始めている。今日は午前から夜まで一日中バイトをするようだ。

 そういう訳で暇を持て余した私は休眠した庭の花の様子を見るついでに、冬の間に植え替えをしようとジャージ姿で土弄りをしていた。

 幾つかを植木鉢に移して、去年から植えようと思っていた幾つかの花達の為のスペースを確保する。頭の中で咲いた時の彩りをイメージしながら植え替える作業は楽しい。

 気付けば、夕方になっていた。

 そろそろ家の中に戻るかなと、シャベルや園芸用腐葉土の袋を物置に運んでいると、柵の向こうにナンテンの姿が見えた。

「明けましておめでとうございます、先輩」

「アンタ。この時期に遊んでていいの?公立校の受験はもうすぐでしょ?」

 言いながら、ナンテンに会うのも久しぶりなことを思い出した。最後に会ったのは、柊と図書館に行った時か。

 ナンテンは全て知っていて、私と柊を引き合わせたのだろうか。

 十中八九、そういうことなんだろうけど、不思議と憎めない。但し、理由だけははっきりと聞きたかった。

「先輩、ちょっとお話、いいっすか?」

「柊のこと?」

「……まぁ、そうっす。柊のこと、許してやって下さい。アイツ、本当は」

 と言いかけるナンテンの言葉を手で遮った。それは私の判断するべきことではないような気がしたからだ。

「ナンテンは最初から知ってたの?」

「まぁ……。全部って訳じゃ無いっすけど。でも、柊が塞ぎ込んでるのは見てらんないんすよ」

 柊が塞ぎ込んでるというのは、ナンテンにとってどういう重大さを意味しているのかはわからないが、少なくとも私の思う関係よりも二人は深い絆があるようだ。

「それで、ナンテンは柊の復讐の手伝いをした、って?」

 別に責めるつもりはないが、何故かネチネチと嫌みたらしく問い詰めるような言葉になってしまう。

 多分私の人付き合いの経験の浅さが、そういう表現力の幅を狭めているのだろうな。その点だと、目の前にいるナンテンは上手いこと伝えられるのだろう。

「……知ってました?私、先輩達には可愛がってもらってましたけど、同じ部活の同級生からは結構嫌われ者なんすよ?」

 そんなナンテンは気にした様子もなく、珍しく自分の話を振る。

 その言葉に悲壮感のようなものはなく、しかし、戯けたような喋り方が逆にナンテンがその問題を大きく捉えているのかが分かる。

「そうだったっけ?私から見ると、ナンテンの代は皆仲良かったイメージだけど」

 人と深く付き合わないようにしていた当時の私が、後輩達の人間関係なんて把握しているはずも無い。なので、あくまで表面上のイメージの話ではあるが。

「……まぁ。先輩は、あんまり派閥とかグループとかとは無縁の人ですからね。気付いてないのは何となく察してました。私が嫌われてた理由なんて単純なんすよ。先輩達にゴマを擦ってばかりの、いい顔しい、って感じっす」

 ……それが柊とどんな関係があるのだろうか。そんなことを真っ先に思ってしまった私は、後輩に対して冷たい先輩なんだろうか。

 ナンテンが同級生達にあまり好かれていないという話は初耳だが、思えば当時のナンテンは上級生達ばかりと共に過ごしていた気がする。

 そういう理由があったのかとどこか他人事のように思いながらも、ナンテンの言葉の続きを待った。

「私もそんな自分が嫌いだったんすよ。八方美人っていうか、そうやって全方位にいい顔をしてしまう自分が。だから、柊が羨ましかったんです。嫌いなものを嫌いって堂々と言える人が。嫌いじゃ無いものにも嫌いだと言ってしまう柊が。なんていうんすかね?他人にどう思われようが知ったこっちゃ無いっていう、そういうメンタルが羨ましかったんでしょうね」

 なんとなく、柊のそういうところは椎本に似ている気がする。

 そしてナンテンは少しだけ私と似ている。

 人嫌いだけど、トラブルを避けるために消極的に立ち回っていたのが私で、人嫌いだから、全てを拒否してきたのが椎本だ。

 だから、ナンテンが柊を羨んだ理由も理解できる。

「はぁ……」

 大きな溜息が出てしまう。

 滑稽だな、と思ってしまったのだ。私とナンテンは、多分お互いにどこかズレた感覚で彼女達を見ていたのだから。

 私は罪悪感で、ナンテンは羨望で。

 椎本が本当に欲しかったのは、対等な関係と、心の隙間をお互いに埋めるような愛だったと思う。多分柊も似たようなものをナンテンに望んでいるのかもしれない。

「何すかその溜息。折角私が真剣に謝りに来たっていうのに」

 そしてナンテンはまだ、それに気付いていないのだろう。それこそ他人が口出す話ではないのだろうけど。

「なんていうかさ、アンタ下手くそだよね。器用に生きられる癖にさ」

「どういう意味っすか」

 本当にナンテンは色々と下手くそだ。器用に生きていけるのに、柊や椎本の不器用さを羨んでいるのだから。

 でも、そんなところすら私に似ていて。

「うわ、何するんすか」

 それが可愛くて、頭を撫でてみる。やっぱり、人嫌いな私でも好感を持っていた後輩は、今でもやっぱり同じなのだ。

「公立校の受験は?いつだっけ?」

「今月末ですけど…」

「勉強、これから見てあげるから、ほら家に戻って勉強道具持ってきなさい」

 頭をぐりぐり撫でつけられて、不満そうな顔でこちらを見ているナンテンは、頷く。

「先輩、余裕っすね」

 私、ビンタされるくらいの覚悟をしてたんですけど。と、ナンテンは少し笑う。

「ナンテンも、誰かを好きになったら分かるよ」

「そんなもんなんですかね」


 誰かを赦すということは、想像を遥かに超えて簡単なことだった。

 自分を赦すことの方が何倍も難しい。

 当たり前のことのように思えるそれは、多分当たり前じゃなくて。

 椎本が変えてくれた私の世界は、優しい世界なんだ。

 そんなことを椎本に自慢したくて、きっと私は変わった世界をもっと優しいものだと、そう伝えようとしているのだろうか。


 勉強道具を抱えて戻ってきたナンテンを見ながら、そんな事を思っていた。


 椎本が私に見せる世界の続きを、私はいつまでも望み続けるのだろう。私はその世界の住人になり得るために、出来ることは全て為したい。多分理由はそれだけなのだろう。

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