第十七話 世界を言祝ぐ ①
この世界はいつだって、不公平だ。
かつての私はそう思っていたし、今でも公平な世の中なんてものは神様の存在と同じ位の信憑性だと思っている。
世界を罵ったから呪われたのか、呪われたから世界を罵ったのか。その因果性については紐解くつもりも無いが、自身の力ではどうしようも無いことや、受け入れ難い事実の全てを世界の所為にして過ごしてきた私にとっては、それは思いもよらない出来事だった。
罪と罰は等価で無くてはならない。そうでなくては、あまりに不公平だ。
だからこの世界は不公平だ。
だというのに、どう見たって等価では無いのに。
その日、彼女たちの罪を赦してしまえるのが、私の罰だと知ってしまったのだ。
その日の一日は、チャットアプリの着信音から始まった。
途轍もなく長い一日だったと思うし、同時に限りなく短い一日であったとも思った。
メッセージの主は江月だった。起き抜けにスマホを手繰り寄せて内容を読む。
「風邪を引いて学校を休むから、今日はウチまで来なくていいよ」
確かにこのところ寒かったしなぁ。
と、体調を崩した江月に対して、返事を送りながら顔を洗うために洗面所へと向かう。
一通り朝の準備を済ませてから再度スマホを見てみると、既読はついているが返事は無かった。
余程風邪が重いのだろうか。
軽そうであれば見舞いにでも行こうかなと思っていたのだが、かえって迷惑になりそうだ。
一人の登校は久しぶりだ、と私は久しく感じることのなかった孤独感の訪れを、旧友にでも会うかのように懐かしんでいた。
「ん?」
今日も一日よく頑張ったと自分自身を褒めてみながら帰る準備をしていると、ふと視線を感じた。
このクラスで私のことを気に掛けるのは須磨さんくらいなもので、視線の主は予想通りに須磨さんのものだった。
だが、いつもなら無遠慮——それは私には無いもので、羨ましくもある。棘のある表現なのは間違いなく私自身の妬みに近い——に言葉をかけてくる須磨さんだったが、今日ばかりはどうも様子が違う。
私が須磨さんの方を向いても、私の視線に気づかず、どこか上の空で私の方を向いている。間違いなく私を見ているはずなのに。
「………」
無視して帰宅するのはどうだろうか。
客観的に見ると、私と須磨さんは友人同士ということになるのだろう。主観的に見ると疑問符がつくことは否めないが。
まぁ、これも真人間になるための一歩だ。そう割り切って、私は珍しく自分から話しかけてみることにした。
「ええと、須磨さん。どうかした?」
「椎本さん…。ごめん、今から時間貰えるかな?」
また彼氏に振られたんだろうか。トーン的にはそんな沈痛な重さがあったが、あれ以来彼女に恋人が出来たなんていう話は聞いていない。
私に言ってないだけという可能性もあるけど、普段の彼女の様子を見ていると、嬉々として私に報告してきそうなものだが。
「別にいいよ。何か話したいことでもあるの?」
「ありがとう。そうだね、ちょっと聞いてもらいたいことがあるんだ」
どこか言葉を濁すような須磨さんの言い方に、ほんの少しだけ違和感があったが、それは見過ごしてしまうほどの微細なもので、事実私はあまり気にしていなかった。
歩き始めた須磨さんが向かったのは、学校の屋上だった。ベンチなんていう気の利いたものは無く、風は強いし床も掃除されていないので土や砂の汚れで座ることも出来ない。そのためか、解放はされているが、殆ど立ち入る生徒はいなかった。
屋上には、一人の女子がいた。
見覚えのある姿だった。
「えと、増田さん……?」
去年、私を嫌悪しイジメ抜いた張本人。母の死に目に会えなかった原因の一人。
あの事件の後、あまりにも限度が過ぎるなんていう理由で、女子のグループからも弾かれた私と同じ犠牲者の一人。
彼女は私を恨んでいるだろう。
彼女達にとっては単なる遊びの延長線上だったのだ。あの日私を体育準備室に閉じ込めたのだって、まさか私の母がそのタイミングで逝去してしまうなんて想像すらしていなかったに違いない。
彼女もまた、運が悪かったのだ。
高校でも同じクラスになるとは思わなかったが、お互い不干渉を貫いてきた私達が今更こんな形で引き合わされることに何か意味などあるのだろうか。
思った以上に動揺も狼狽もしない自分自身に驚く。もう、母の死も彼女達への恨みも、私の中では過去の出来事になってしまったのだろう。
それは悲しくもあり、同時にどこか嬉しくもあった。
「ごめん、椎本さん」
とはいえ積極的に会いたい人物ではない。思わず睨む。
睨んだ後で、もしかしたら増田さんがチテイジンなのではないかと推測したが、それにしたって今ここで顔を合わせる理由がわからない。
「えっとさ……。ここに呼び出したのってどんな理由かな。もし、増田さんが私にまた何かしようっていうのならさ、今度こそ私は反撃するからね」
人を殴ったことなんてないくせに、強気な言葉がするりと出た。
須磨さんと増田さんが二人でグルになって私に危害を加えるのなら、私だってやられっぱなしじゃないことを見せつけるしかない。
こんな残酷な世界で江月と生きるのなら、その覚悟が必要だというのなら。
私は、その為に誰かを傷付けたって構いやしない。
そう思ったところで、嗚咽が聞こえた。
増田さんが、涙を流していた。酷く顔を歪ませて、その醜くて綺麗な顔を汚す涙を拭うことすらせず、私を見つめたまま、泣いていた。
「ごめんなさい。許してくれなんて言えないけれど、椎本さんに許されるはずないのは分かってるけど。それでも……ずっと謝りたかったの」
不思議なことに、それは本心からの謝罪だと疑う事もなく私はそう感じ取ってしまった。
彼女にされた仕打ちは、たった一つの謝罪で済まされるようなことではないと私は思っていたし、他のクラスメイトに対しては私自身も多少の罪悪感はあったが、直接的な被害を与え続けてきた益田さん達に対して、今後赦すつもりも無かった。
だというのに。
世界は不公平だ。
罪と罰が等価になることは決してないからだ。
真の平等とは、多分そういうことで。
功利と罪過の全てを曖昧にする事なく、出納表の如く、一切全てが詳らかにされて裁かれるべきなのだ。
それこそが平等なのだと、盲信してきた。
それは、被害者意識の独善的な考え方でしかないと分かっていても、平等が存在しないからこそこの世界は平等なのだと理解していても、その考えだけは私の意地のようなものだった。
だというのに。そうだと信じていたのに。
私は増田さんの謝罪を、その涙を流して首を垂れる姿を。
たったそれだけの仕草で、彼女の全てを許してしまえた。
世界はいつだって優しかった。
そんな当たり前のことを、思い出してしまっていた。
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